夜間召喚"Nachtruf"

相生薫

 夜の彷徨

 夜の静寂しじまが満ちてきた。

 地平線の遥か彼方で鳴り響く救急車のサイレンの微かな音にに始まり、夜行列車の悲しげな汽笛に、更に遠くの大型船の低く響き渡る霧笛。


 召喚のしるしだ。


 ボクはアパートの外に恐る恐る出てみた。

 思った通り人っ子一人いない。完全な"夜"だ。

 ボクは安心してアパートの外に出た。鍵をかけて、階段を降り、街に出る。

 思い切り息を吸うと、完璧な夜の香りが肺を満たす。

 寂寞と勇気がボクの身内にジワジワと染み入る。


 さあ、出発だ。

 まずは汽笛を目指そう。

 あれは間違いなく夜行貨物列車の汽笛だ。しかも、夜の列車に間違いない。まずはあれを目指そう。歩いて十分もしない距離に貨物列車の集積場みたいな所がある。何十本もの線路が並ぶ、貨物列車専用の路線だ。あそこに間違いない。


 線路に向かう途中に深夜のコンビニがあった。

 何も準備していなかったので、必要な物を買っておこうとコンビニのドアを開けた途端、只のコンビニではなく、夜のコンビニだとすぐに解った。客も店員も誰もいなかった。監視カメラの前は空間が拗じられまくり、監視カメラはあらぬ方向の光を見つめていた。


 ボクは必要物資をバックパックに詰め込んだ。スナック菓子、炭酸飲料、惣菜パン、栄養バー、栄養ゼリー、握り飯、バナナ、魚肉ソーセージ、チョコレート、シリアルチップ。詰め込めるだけ詰め込んだ。

 レジ脇に行くと、棚入れする前のタバコのカートンが幾つもカゴに入れたまま置いてあった。少し迷ったが、1カートンをバックパックに入れた。そして、ふと気付いて酒コーナーに戻り、ウイスキーの小瓶の一つを選んだ。箱入りでプラスティック製簡易ショットグラス付きの安酒だったが、夜にはピッタリだ。


 思った通り、店員は誰も出てこなかったので、そのまま店を出た。ここは夜の店だし、ボクは夜の人間なのだから当然だ。だけど、まだ大人の夜人間になりきっていないボクは、ドキドキする気持ちを抑えきれない。

 すると、声がきた。「全て準備はできているから、心配することは何もない。今度はキミが準備をする番だ。早く準備をし給え。昼間のルールはもう通じない。夜のルールに従うのだ」とざっとこんなことを臭わせるのだ。


 ボクは若干の罪悪感を引きずって店を出た。

 店は無人のままだった。

 ボクは住宅街の細い道を進んだ。庭を有することの出来ないくらい小さな住居が延々と続く貧しい住宅街を進み、貨物列車専用停留所のような沢山の貨物列車の停車基地に向かって足を早めた。途中でネットを張ったゴミ集積場で大きめの段ボール箱を見つけ、それを荷物の一部にした。


 人が全くいない踏切から線路内に入り、基地に停まる貨物列車に向かった。すぐに複線が数十本にも分岐する車両基地が見えてきた。コンテナ車両やタンク車両が無数に見える。空を見上げると、雲の中で電磁波が踊り、そろそろ目的の貨物列車が来る時間だと告げていた。


 それから五分もしない内に貨物列車は現れた。ボクの傍らの線路を悠々と滑っていった。百両以上はあるような、アメリカ大陸を横断できそうな、長い、長い貨物列車だった。


 列車は減速し、遥か彼方のプラットホームに機関車を横付けにするために停止したようだ。


 ボクは長い長い列車の列を眺めた。すると近くに小さなコンテナを載せた貨車が何両か連なっていた。元々、もっと大きなコンテナを載せる貨車だったようで、車両の前と後ろに人が乗るのには十分なスペースのある貨車だった。

 ふたつ目のコンテナ車が夜のコンテナ車だったので、ボクはそのコンテナ車の後ろの台に乗って、コンテナを背に座り込んだ。悪くない座り心地だ。


 ボクが乗り込んだことを確認したかのように、機関車から順繰りに緩い衝撃音が伝わってきた。貨物列車が動き出したようだ。

 何十両もの貨車を引っ張る機関車はゆっくりと加速していった。声を潜めるように。夜に紛れるように。


 ボクはバッグから栄養ゼリーを取り出し、ゆっくりと景色が流れていくのを眺めながら、ゼリーを少しずつ吸い上げた。空は雲が張り詰め、月の光がぼうっと光っているのが雲の向こうに見えた。


 夜の貨物列車は何十本もの線路が並列する貨物専用架線を人が走るよりゆっくりした速度で走っていた。

 加速が遅いのは、何十両もの貨車を引っ張っているから、という訳だけではない。機関車にはプラズマ加速器の他に重いポソンフィールド発生・制御装置を載せているからだ。そうしないと、走れるのは夜だけになってしまう。当たり前の事だ。

 昔の蒸気を使っていた頃は強力な磁力と高温高圧でラムディオン原子を弄るという、原始的な方法が使われていたらしいが、余り効果は無かったようだ。


 列車は貨物基地を抜けて、住宅街に入ったが、そこでもまだスピードは控えていた。夜の貨物列車なのだから当然だ。

 住宅街は静まり返り、人っ子一人いなかった。

 走る車も自転車もない。

 家々の窓からは所々灯りが見えたが、人の気配はまるで無い。

 時々、野良猫が気だるそうに道を横切るのが見えるだけだ。猫は全て夜の猫だから、それが許される。


 最近、この辺にもタヌキやイタチが出るらしいが、あれも夜の動物なのだろうかと、ボクはふと疑問に思った。すると雲間から月が顔を見せたので、アイツラも夜の動物なのだと分かった。


 列車のスピードが少し上がった。季節は夏の暑さがまだ気まぐれに残る頃だったが、貨車の上に吹く風は流石に少し肌寒かった。


 ボクは持ってきた段ボール箱を組み立て、その中に膝を抱いて座った。

 何だか、捨てられた子猫か子犬のようだ。そんな自分の姿が可笑しくて、フフフ、と笑ってみた。シニカルに見えただろうか?


 やがて、列車の外の風景に畑や小さな丘のような山々が加わるようになってきた。郊外に出てきたようだ。雲間から時々現れる月の光に照らされて、広い畑や丘陵地、小さな川面が光る様子が見えた。


 もう少しで海が見えてくるだろう。ボクは段ボール箱を少し列車の左側に寄せた。海は左側に見えるはずだからだ。

 ボクはバッグの中からタバコのカートンを取り出し、中の一箱のパッケージを慎重に解くと、煙草をくわえて火を着けた。軽すぎず、重すぎない丁度いいタバコだった。

 次にウィスキーの小瓶を取り出すと、瓶の口に逆さに収められていたプラスティックのショットグラスに半分ほど中身を注いだ。

 舌の上をちょっとだけ湿らすようにウィスキーを口に含むと、煙草の煙を吐いた。機関車が作る風に煙がスーッと流れていった。


 潮の香りが鼻面を掠めたかと思うと、突然左側に海が現れた。

 今まで月の光が弱かったのでよく見えなかったが、近づいてきた埠頭や製鉄所などの巨大工業地帯の灯りで、漸く海が見えるようになったみたいだ。


「わぁ」久しぶりに海を見ると、相変わらずワクワクしてしまう。海風をクンクン嗅いでみた。髪にべたつく風も今日は何だか心地よい。


 すると、隣で人の気配がした。振り向くと女の子が毛布に包まって座り込んでいた。走っている貨物列車に乗り込んできたのだから、この子も当然夜の人に違いない。

 俯いた顔の奥で眼が濡れていた。どうやらさっきまで泣いていたらしい。

 夜の人なのになんで泣くのだろう?

 夜の人ではないのだろうか?初めからこの貨物列車に乗り込んでいただけなのだろうか?

 いや、今、ボクと同じ場所にいるのだから、夜の人に違いない。


「どうしたの?」尋ねてみたが、何も答えない。俯いてボクの方を見たままだ。

 飛びすさぶ街路灯やライトの灯りがパルスとなって彼女の身体にストロボを当てて、暗闇の奥の表情を映し出す。


 やはり泣いているようだ。


 時々、物心ついた後に夜の人になる人が出てくるという。しかし、ほんの僅かだ。所詮、突然変異といった所だ。

 何かの原因で記憶障害になり、自分が夜の人だと忘れてしまう人もいる。そちらの方が遥かに数が多い。彼女もそう言う記憶の疾患を持っているのだろうか?


 ボクはバッグの中から栄養バーを取り出して彼女の方に差し出した。彼女は黙って首を振ったきり、何も喋らなかつた。


 その時、突然雲が晴れて、月光があたり一面に降り注いだ。


 綺麗な満月だった。


 ボクは彼女になにか言おうと振り返ったが、そこには誰もいなかった。


 まぁ、結局あの子も夜の人だったのだ。そういう事だ。


 ボクはまたウィスキーを口に含み、タバコを蒸かした。


 月光が工業地帯と海を照らしだす。

 海は大きな湾の中にあるので波は殆ど無い。


 列車は車輪をキーキーと金属音を響かせながら、緩やかなカーブを曲がり、ピーッと汽笛を鳴らした。

 それに呼応するように、遠くで船の重厚な汽笛が鳴った。


 夜の静寂しじまはどんどん増幅し、深まっていく。


 煌々とした満月の月光の下で、闇がどんどん深まり、世界が深淵へ落ちていく姿を眺めながら、ボクは満足し、グラスに残ったウイスキーをぐいっと一気に飲み干した。


 暗黒の中に煌々と光を放つ工業地帯。その中の空高く聳えた煙突からは間欠的に吹き上げられる炎があちこちで夜を緩める。


 寂寞がボクの中に大挙して、増幅して、夜に放たれるのを実感しながら、煙草の煙を夜に吐き出した。


 夜の貨物列車は海から離れ、田園地帯を走ったり、再び海沿いに出たりしながら、進んでいった。

 空は完全に晴れて、眩しいほどの満月が夜の世界を照らす。


 ボクは、ぼおっとしながら流れる風景を眺めていた。


 どれほどの時間が経ったのだろうか。

 いつの間にか寂寞の増幅波が極限に達していた。


 ボクはしっかり仕事が出来たらしい。

 横に見える海の遥か彼方で月光に照らされた大型貨物船がボーッと長い汽笛を鳴らした。


 そろそろ東の空が白んでくるらしい。


 太陽の光が世界を満たすと、夜の人であるボクにとっては非常に都合が悪い。太陽光を浴びない所に避難しなければならない。


 ボクは今まで背中を預けていたコンテナをあらためた。

 両手をコンテナに這わせていくと、案の定、秘密のドアを探せ出せた。普通の人には分からないようにしっかり偽装されている。

 ボクは隠されたドアノブを引き出し、思い切り引っ張ると、ドアはキーッと軋んだ音をたてて開いた。

 秘密のドアだ。封印を解かずにコンテナの中に入れる秘密のドアだ。


 コンテナの中は殺風景だった。

 大きな木箱が五・六箱が積まれているだけで、端の方にはゴミの山のようなものがあり、ほぼ空っぽと言っていいような状態だった。


 明らかに以前夜の人が個々に来た証だ。経験豊富な大人の夜の人がここに来ている。「工作者」の可能性が高い。もしかしたら「エージェント」の人かもしれない。


 ボクは一度だけ工作する者に実際に会ったことがある。その人はホームレスの格好をしていて、その格好がこの仕事には一番向いていると言っていた。

 そして、エージェントの人達はもっと遠くまで時空を見据えて行動するのだという。


 幼いころのボクは、よく工作者に憧れたものだ。彼らの完璧な仕事ぶりは神の仕業としか思えないほど芸術的だ。


 しかし、ボクはしがない増幅する者アンプリファイアー。彼らの仕事を賞賛するしか能力はない。


 ボクはドアをしっかり閉めて完全な闇の中に身を置いた。

 ゆっくりと深呼吸すると、完全な闇が見えてきた。ボクは夜の人なのだから光がなくても見えるのは当然だ。


 コンテナの中はガランとしていた。四・五個の木箱が雑然と置かれている他、一角にゴミのようなものが山積みされていた。

 寝起きするには十分な居住空間だった。

 これも工作者の仕事に違いない。


 ボクはコンテナの壁に背中を預けて座っていたが、外の静寂は殆ど感じられなかった。増幅してもたいしたものにはならない。

 外から何も得られなてのであれば、自分から何かするしか無い。


 ボクはコンテナの中を彷徨うろついて、物色を始めた。

 すると、木箱の横に小型の冷蔵庫があった。その横の木箱の上にはかなり古い電子レンジが乗っかっていた。

 これも工作者の仕事だ。


 ボクは恐る恐る冷蔵庫を開けてみた。思った通り電気が来ていた。

 こんな所に電化製品を持ち込んでしまうなんて、なんて凄い工作者だろう。

 ボクは興奮しながら冷蔵庫の中を調べた。ミネラルウォーターに牛乳、ベーコン、卵、等、夜の人にピッタリの食材が入っていた。

 中でも一番凄かったのは、一番上の棚に入っていたコンビニ弁当の焼きそばだ。

 賞味期限を見ると十二時間以上後だった。

 もう、凄いとしか言いようが無い。もしかしたらエージェントの仕事かもしれない。エージェントの仕業だとすると、これも山ほどある彼らの仕事の本の一部に過ぎないのだろうが、感心せずにはいられない。


 ボクは焼きそばをレンジでチンして、電子レンジの横に置かれていた真空パックの鰹節を掛け、その横に散らばっていたコンビニの割り箸で焼きそばを食べた。


 なるだけ音が出ないようにモソモソ食べた。

 工作者達の努力を無駄にしない様、出来るだけ音を立てないで機械的にそばを口に運んだ。


 寂寞がどんどん膨らんで、コンテナの外にまで滲みだすのが分かる。


 いい調子だ。


 だが、列車の外に出て、もっと遠くまで寂寞を届け、更に仲間達の孤独を感受して、増幅し、より大きな波を造り出さなければならない。


 この貨物列車は何処まで走り続けるのだろう。


 機関車にはグラビティー・ジェネレーターでも積んでいて、終電まで言ったら更にその先の空まで飛んで行くのだろうか?


 まあ、いい。いずれ分かることだ。


 先のことを考えるのはボクの仕事ではない。寂寞を増幅するのがボクの仕事だ。


 その時が来たら、歩むべき道は開かれているだろう…

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