私の世界にヒビを入れる

 高校を卒業後、やりたいこともなく、かと言って大学に行きたいかと言われるとそれも違うと思っていた私は、フリーターとしてアルバイトをしていた。

 アルバイトだって大したもんじゃない。近所のコンビニのバイトだ。ちょっと変わった部分があるとしたら、深夜勤務ってことくらいだろうか。

 女性の深夜勤務は推奨されないらしいが、そのコンビニのオーナーが知り合いだったため、私はそこで深夜働くことになった。

 なぜ深夜なのかと言えば、理由は単純で給料が上がること、接客時間が少ないことだ。

 接客は苦手だ。発注をかけたり、品出しをしたりしているほうがシゴトとして好きだった。


 空虚。

 私は自分自身のことをそう評価する。


 やりたいものもなく、だらりだらりと生をこなす。

 死んでないが生きてもいない。そんな女だと思っていた。そんな自分や環境、社会に対して好感が持てないし、色々なものを破壊したくなってしまうようなストレスをため込みながらも、それを吐き出すことすら『ダルい』と感じてしまうのだ。

 どこまでも弛んだ人生が続いて、いつかあぶくが弾けるように、突然終わればいい。そんな風にすら思っていた。


「佐倉さん、休憩入って良いよ」

「はい」


 同じ夜勤のバイト先輩である大学生の上村さんがそう言った。

 夜の二時、私は休憩時間に入る。商品の賞味期限切れの品を食べることが許されていて、私は適当な賞味期限切れの弁当をレンジに突っ込んで温めると、それを持って奥の休憩室に入る。

 深夜は二人だけで回すのだが、お客さんもこの時間はあまりこない。わりとのんびりしていても平気なので、弁当をだらだらと食べながら、スマホを弄ったりする。


「……」


 つまらない。ニュースの記事を見ても、胸を大きく動かすようなものはない。

 どうして世の中はこうも空っぽなのだろう。先週読んだマンガに、『世の中が空っぽに感じるのは、あなた自身が空っぽだからだ』という台詞があった。

 まぁ、そうなんだろうなあと、私は冷めた目でそのマンガを眺めた。

 充実している人にとっちゃ、世の中は楽しい素晴らしいものに見えてくるだろう。そんなことは言われなくても分かっているんだ。

 私が空っぽであることなど、昔から分かり切っていたことではないか。でも、好きで空っぽになったんじゃない。私だって、リア充ってのに憧れて、満ち足りた日々を実感してみたく考えたことがある。しかし、どうしたらそれになれるのか、そんな方法は学校では教えてもらえなかった。

 教師たちは『夢中になるものを見付けろ』とか、『色んなことに挑戦してみなさい』とか言う割には、学校は色んなことを禁止する。窮屈な空間と社会が、感覚を封じ込めていた方が傷つかなくていいぞ、と訴えてくる。


「ぶっ壊してぇ」


 思わず物騒な言葉が零れていた。

 休憩室に、自分一人だけで良かった。人に聞かれたら危険人物扱いされるかもしれないし、引かれることだろう。

 

「何をぶっ壊したい?」

「……?」


 突如、脳裏に語り掛けてくるような声に、私は夢でも見たかとぼんやりした思考を目覚めさせる。


「ぶっ壊したいものは何?」

「っ?!」


 幻聴ではない。確かに頭に直接語り掛けてくる意思があった。

 霊障か? しかし、私は生まれてこの方霊感なんて縁がない人生を送ってきていた。

 普通なら、こんな異様な状況に、理解が追い付かず、パニックになったり、恐れたりをするのが、一般的な反応なのかもしれない。

 しかし、私はそうではなかった。


 いい暇つぶしを見付けたという感覚が、生まれていた。

 それは何気なく見た漫画が面白かったから、今後も楽しみにしていくか、くらいの感覚だ。


「ぜんぶ、ぶっ壊してみたい」


 私は小さく、そう呟いた。

 それは、どうにでもなってしまえという思いが透けていたものだろう。面白くない世の中、空虚な自分、変わらない環境、そういうものが破壊されるとどうなるのだろう。そんな軽い好奇心。

 そうすると、私の回答に対し、脳内の意思は返事の代わりに、行動で示した。

 たちまち、私の周囲がぐらぐらと揺れたかと思うと、見た事もない空間にやってきていた。それは無機質な暗い世界に、光線がいくつも走り回っているようなところで、所謂SFチックな電脳空間と呼ぶにふさわしい場であった。


「なによコレ」

「まず、キャラメイクから開始しましょうか」

「あ? 誰の声?」


 なんとも女子らしくない粗野な言葉遣いで私は天の声に唾を飛ばす勢いであった。


「えー。俗にいう神様だと思っていただければ」

「はぁ? てきっとーね。まぁいいわ。キャラメイクって?」

「今から私がつくった『箱庭』にあなたの分身を産み落とします。その姿はあなたの好きなように決めていいので、理想の姿を思い描いてちょうだい」

 随分とふんわりした応対で、私も警戒心はどこかへ飛んで行った。

 そして、言われるままに理想の自分を思い描く。

 ――それは幼い頃に見た、女の子向けアニメに出てくるマスコットキャラ的、妖精の姿。可愛らしい小さな体に虫のような羽をキラキラとさせて宙を舞う。髪は金色でロングにして、青い瞳にしようと思った。

 自分ではなれない別の存在。可愛らしく、誰もがちやほやするような、可憐な自分。

 幼かった頃、夢があった無邪気な私が憧れた、ファンタジーのフェアリー。


 気がつくと、私はそれになっていた。随分と身長も小さく、たぶん三十センチかそこらだろう。


「うわ。すっご」

「名前は?」

「佐倉」

「サクラ、と。登録完了」

「えー、なにこれ。ちょっと面白そうだけど。何すればいいの?」


 未だ姿も見せない存在に、私は少しはしゃいだ様子で跳ねまわり自分の身体の動きに脳を慣れさせる。


「私がつくった箱庭の世界。貴女からすれば『異世界』に該当しますが、この世界はまだ未完成というか、私でも気が付かない『落とし穴』のようなものがあります」

 天の声、カミサマはあまり感情を感じさせないニュースのナレーションみたいな声で応えてくれた。

「その私の世界の落とし穴を見付けてほしいのです」

「落とし穴を見付けるって、どういうこと?」


 ちょっと言葉が抽象的過ぎて理解ができなかった私は、自分の身体をいろいろと撫でさすりながらカミサマに追及した。

 お――、胸はかなり小さいぞ。もう少し大きめにキャラメイクしてもいいかも。


「要するに、私の世界はヒビだらけなので、ヒビを見付けて壊して見せて、と言えばいいかな」

「世界を、壊す?」

「そう。私の世界の壊しどころを見付けて、壊せるものなら壊して見せて」

「なんで、あんたが態々作ったんじゃないの? 壊していいの?」

「壊れない世界を作るためには、どうやったら壊れるのか、色々と試さなくちゃならないの。創造するってそういうものです」


 随分カミサマの口調が崩れてきたというか、和らいできていた。口調からすると相手は女性なのかと思えるが、奇妙なことにその天の声は性別を感じさせないもので、なんとも言えない。カミサマに性別があるのかも私には分からないところだが。

 詳しいことは分からないが、この異世界にある『ヒビ』を見付けて、叩き壊していい、という事は理解できた。


「オッケー。壊すわ」


 私は満面の笑みでブイサインを空に向けた。

 世界をぶっ壊したい、という願いをこんな形で実現できるとは思わなかった。私はもうコンビニのバイトがどうとかそういうのも考えていなくて、目の前に広がる『異世界』という玩具に気持ちが染まり切っていた。


「ヒビかー。ヒビって言ってもホントにひび割れがあるわけじゃないだろうし。どうしたらいいかな」

「いいえ、あながちヒビが本当に入っているかもしれません」

「は? この世界に? 空間が割れてるみたいな?」

「はい。コリジョン・チェック、ですね」

「こ、こりじん……?」


 良く分からない単語に私は首を傾げた。たぶん、今の私のその姿はめちゃくちゃ可愛かったはずだ。

 いいな、美少女妖精。最高だ。


「実は先日、作り上げたばかりの地下世界があります。そこへ今から転移させるので、目につくもの、全部破壊してみてください」

「え、私にそんなことできるの? こんな可愛い妖精が?」

「できるようにしています。デバッグコマンドという能力を授けています。願うだけでそれは力を具現化します」


 言葉が続けなら、カミサマが私をその地下世界らしき場所に移動させた。目の前に広がるのは、巨大な大空洞といった不気味な世界だ。辺りはゴツゴツした岩壁や、何か緑色に光り輝くコケ、燃え上がる溶岩が河のように流れている。


「試しに、そこの岩壁を壊してみましょう」

「どうやって?」

「好きな方法でどうぞ。素手で殴ってもいいし、魔法でもいい。武器を使っても構いません。あなたが望めばそれが具現化します」

「へえ」


 ならば、と私は小さな拳を作り上げ、真っ黒でツヤツヤしている岩壁にその手を振りあげてみた。


「おらぁッ!」


 ドグァアアッ――! ガゴッ、ゴゴゴッ! ズゴオオオオオッ――!


 私の虫けらみたいに小さな拳が、気合と共に前に突き出されると、鋼鉄のように見えた岩壁が粉々になって吹き飛んだ。まるでバトルアニメの一シーンのように。

 私はほとんど力を入れていないつもりだったが、岩壁には直径十メートルに及ぶ穴がぽっかりと空いていた。


「……す……すっご! き、きもちいい……」


 日頃のストレスを晴らしたくて、素手で殴りつけるという方法を取ったけれども、ここまで爽快に壁が砕けると思わなかった。私は思わず、キラキラと瞳を輝かせて恍惚の表情を浮かべていた。


「その調子で全部壊してみてくださいな」

「全部? いいの?」

「はい。壊し尽くしたあと、この地下世界に『ヒビ』がないかを探してみてください。それがあなたの最初の『デバッグ』」

「ふうん。まぁ色々と溜まってたし、丁度いいわ。全部壊してやる!」


 私は腕をぶんぶん大車輪させて、にっこりと白い歯を見せてやった。可憐な妖精による大乱闘が開始されることになった。


 ――およそ三十分程経った頃だ。


「あははは!」


 バゴォォォッ!

 ズズズゥ……ンッ!


 凄まじい振動を上げ、私は溶岩に浮かぶ小島を完全に叩き割った。ガラガラと地響きを立てて、溶岩に地面が沈むのを、私は宙に浮かびながら、腕を組み、脚を広げて見下ろしていた。


「さいっこー❤」


 壊す、ということがこんなに面白いとは思わなかった。きっと私は『破壊神』の才能があるに違いない。

 ……と、見下ろしていた溶岩の中に、変な縦線が入ってるのを見付けた。


「ん?」


 真っ赤な溶岩が流れる中、その縦線は明らかに異質で、近づいてみれば、それは小さな裂け目であることに気が付いた。


「もしかして、これがヒビ?」


 私はまじまじとそれを観察して、面白そうだからと、その割れ目に顔を突っ込んでみた。するとどうだ。その中は目に悪そうな蛍光色の光を放っている別の空間に通じているではないか。

 特に壊せそうなものが見当たらないが、私はそこに飛び込んで、『魔法』をイメージしてみた。

 ぐぐぐ、と両手を添えるようにして、右の腰に引き、そこで魔力を練り上げる。

 掌に光が収束していき、それが破壊のエネルギーに切り替わる。


「波ーッ!」


 ズァボッ――!

 気合と共に、合わせた両手を前に突き出すと、そこから極太のレーザーが発射される。破壊光線は蛍光色の空間に放たれ、見えない壁に直撃した。

 そこで大爆発を起こす――かと思いきや。


『エラー・空間を認識できません』


 と、どこからともなく天の声が響き渡る。


「あ、マジで壊しちゃった? 世界」

 私は流石にやり過ぎたかと、少し慌てたが、カミサマが壊してくれとお願いしたのだから、私にその責任はないはずだ。


「おうい、カミサマー。世界壊れたよー」


 つまらなそうに私が報告すると、やっぱり姿を見せないカミサマが声を返してくれた。


「見つけましたね。座標を特定しているので、十分です。ありがとうサクラ」

「あ、何。これでよかったの?」

「はい。今日のデバッグは完了です。元の世界に戻します」

「え? あ、ちょ……」


 ――私はカミサマに色々と訊ねたいことがあったので、『マテ』と言うつもりだったのだが、その言葉を言うより早く、私の意識はハッキリと覚醒した。


 気が付くと、私は普段のバイト先の休憩室でスマホを握って画面を覗いていた。


「夢、見てた?」


 疲労感から、夢でも見ていたのかもしれない。そんな風に思った。……しかし、スマホ画面の上部にピコン、と通知のお知らせが表示された時、私はガタン、と椅子から立ち上がった。

 その通知には、こんな風に書いていたのだ。


『ありがとうございました。サクラ。また次回、デバッグをよろしくお願いします』


「うっそ、マジ?」


 唖然する私に、上村さんが何事かと顔を見せてきた。


「何、どうかした?」

「あ、いえ、なんでもないッス」

「ふーん。そろそろ休憩交代してくんね?」

「あ、はい」


 そう言うと一度上村さんは引っ込んでいった。私はもう一度スマホを覗き込み、通知履歴を漁ったものの、さっきの『ありがとう』の通知が見当たらない。

 やはり夢だったのか、と私はぼんやりと考えながら、スマホを閉まった。

 その後、上村さんと休憩の交代してからも、私はずっと異世界の夢を考えてばかりいた。


 それから数週間、やはりあれは夢だったのだと頭を整理した頃に、私はまた、あのナレーションのような天の声に導かれ、本格的に『異世界デバッカー』を開始することになった。

 それは空虚な私に、カミサマがくれた自分の価値を見直す瞬間だった。


「あなた、破壊神の才能あるわ」

「それ、すっごい嬉しい」


 私は可愛い妖精姿で、そう笑った。

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