錠前は誰の心に
その日、夜中の十時を回った頃、オレは帰宅途中に寄ったコンビニで夕飯になる弁当を買ってレンジで温めてもらっていた。
レジで会計を済まして、
夜十時となると、いわゆる遅番のシフトで翌日明け方までの勤務になるだろうに、若い女の子をこの時間に雇って問題ないのか、なんてぼんやりと考えながらレンジに収められていく弁当を見ていた。
適度に温もった弁当を受け取り帰宅すると、着替えもそこそこにさっさと弁当を開き、無造作に喰う。
美味いもくそもない防腐剤たっぷりのコンビニ弁当をモゾモゾと食い散らし、オレは風呂を沸かす。さっさと湯船につかったらあとはもう寝るだけ。明日も六時に起床して、すぐに出勤だ。
そんな毎日を自動的とも言える生き方で過ごしてる。すると自分がなんで生きているのか分からなくなる。
幼いころのオレは物語の主役に憧れ夢を抱き、英雄になることを目指していた。
だが年を重ねれば重ねる程、その幻想が朽ち果てていく。
気が付くとオレは葬式に出向くように黒のスーツを着込み、葬式に出向くような表情で出社する一般大衆その一になり果てていた。
風呂が沸いたから、ざばんと体を投げ捨てるように湯船に沈ませた。そして、ぼんやりしてると、疲労がたまっていたからなのかオレは少しばかりウトウトとしてしまった。
やばい、風呂の中で寝こけて溺れたら笑えない。そんな感じにはっとして瞳を開いたその時、オレはもうこの『異世界』にやってきていた。
目の前には幻想的な神殿の風景が広がっていて、オレはなんというか魂だけの存在になってそこに浮かんでいた。
まさか本当におぼれ死んで天国にでもきたのかと思ったが、それはどうも違うらしい。
目の前に現れた女神サマが、オレに仕事を頼みたいと告げてきたのだ。
そんなわけでオレはその仕事、異世界デバッカーを始めることになった。
まぁ、要するに刺激が欲しかったのだ。毎日同じことの繰り返しに飽き飽きしていたから、気分転換のつもりでその突拍子もない『異世界デバッカー』の仕事に二つ返事で頷いた。
どうせ夢だろうという気持ちもあったからかもしれない。
まぁ夢じゃなかったわけだが。
まずはお手並み拝見と言われ、簡単なバグ探しの仕事を振られた。相棒のサクラという妖精を紹介されてから、オレとサクラはデバック作業に移ることになったのだ。
「じゃ、初めてのお仕事ね」
サクラは外見こそ小さな妖精だったが、先輩らしく偉そうにオレに指示を飛ばして来た。
そうして、書類を手渡すとオレに確認するようにと付け足した。
オレが覗き込んだ書類には、ダンジョン奥に眠る宝箱の確認リストがずらりと並んでいた。
強敵を攻略し最後のお宝を開き中のアイテムから何を取得できるのかを調べるだけの簡単な仕事だとサクラは言った。そのリストの数は膨大だった。リストに載っているアイテムがすべて、宝箱から排出されるまで何度も宝箱を開け閉めしろという作業だった。
きちんと設定したアイテムが出ればOKで、出ないものがないのか調べろということだ。
デバックツールというチート能力があるため、ダンジョンの攻略や手ごわいモンスターは指先ひとつでクリアできるが、その宝箱から出てくるアイテムの種類はなかなか大量だ。骨が折れるなと少しばかり溜息を吐いた。
アイテムの種類も多種多様。武器や防具もあれば、単なる金だけの場合もあるし、希少な素材だったり、回復アイテムだったり様々だった。
いわゆる『外れ』に該当するものは排出率的なものが高めになっていて、回復アイテムなんかはたくさん宝箱から出てくるものの、希少な素材品やらレアな武器なんかはまったくお目見えしなかった。
オレの仕事は宝箱から全種類のアイテムが出現することを確認することになるため、ひたすら宝箱を開け閉めしてレア掘りしなくちゃならないわけだ。
まるでリセマラでもやっているような状況だ。
やがて、『大当たり』に該当するアイテムがまだ一度も出てきていない状態で五百回目の『お宝』を回収すると――。
「ちっ、またこれか」
開いた宝箱の中にあったのは外れアイテムの道具屋でも購入できるような一般的な回復アイテムだった。
次だ、次――。そんな気持ちを抱きながらその『外れ』を入手しようとした時だ。
――『所持数が限界です』――。
――『何かものを棄ててください』――。
そんなテキストがオレの目前に表示された。
「……道具袋がパンパンだ」
オレは自分のアイテム所持数がカンスト状態になっていることに気が付いた。
なるほど、アイテムがこれ以上持てないから宝箱のアイテムを獲得できないわけだ。
なにか適当なアイテムを棄てるか。オレは一番レア度が高いアイテムを選択してそれを棄てた。
『天神の槍』とか言う大層な武器で普通なら希少なアイテムを棄てることなどないだろうが、オレはもうレア度なんぞどうでもいいくらい、宝箱を開け閉め出来ていた。だから、感覚として別にどんなアイテムも同じくらいの価値しかなかったのだ。
オレはレアな武器を投げ捨てて宝箱を回収しようとした。
――『そのアイテムはロックされています』――。
――『ロックを解除して棄ててください』――。
「あ?」
オレがなんぞ、と首を傾げると、サクラが助言をしてくれた。
「貴重なアイテムは獲得した時に間違えて捨てないように自動的にロック状態で入手するの。だから、棄てるんならロックを外して」
「はぁ……」
異世界というより、まるでバーチャルMMOゲームの世界に入ったような設定だった。
もっとも、五感はきちんと反応するし、これがまぎれもないリアルな世界なんだという感覚もあるから奇妙だった。
女神サマが言うには、デバッカーとしての能力が作業を行いやすいように、ゲーム風のイメージをオレたちに抱かせているとのことだが、なんともデジタルなリアルが時折自分の脳みそを混乱に導いてしまう。
「えーと、ロック解除ロック解除……。……なぁサクラ」
「サクラさん、でしょ。私先輩なんですけど」
「サクラ、ロックの解除は分かったが、これは重要なアイテム以外にも任意にロック設定できるのか?」
「…………で・き・ま・す!」
サクラの忠告を華麗にスルーしてみせたオレに、サクラはプンスコという具合に口をとがらせて返事した。
実際、サクラの容姿はかなり可愛いのでその拗ねるような表情はなんとも愛らしいが、オレはそんなサクラの顔より、ちょっとばかり気になったことが頭の中で渦巻きだしていた。
とりあえず、『天神の槍』のロックを解除してみて、実際に捨てられるかどうかを試してみると、なるほど、ロックを解除された槍は容易く捨てることが出来た。
「……」
オレはそれから宝箱の外れアイテムを回収し、しばし腕組した。
「……試してみるか」
オレはこのつまらない作業にぶっちゃけ嫌気がさしていた。リアルでも同じルーティンワークをこなす毎日なのに、異世界に来てまでルーティンワークをするなんてやってられるかという気持ちが大きく育っていたのだ。
そんなわけで、オレはちょっとした悪戯心から、このつまらない作業をぶっ壊せるだろうかと『思いつき』を開始した。
かちり。かちり。
オレは道具袋に入っているアイテム一つ一つを手に取って、それらに『ロック』をかけていく。
たんなる外れアイテムだろうが、レアモノだろうがお構いなしに全てのアイテムにロックをかけ、一時的に『捨てることが出来ない』状況を組み立てていく。
アイテム数は膨大で、オレはリストの進捗状況なぞほおりだして、もくもくと自分の手持ちアイテムにロックを行っていった。
地味な作業だが所持品全てをロック状態にするのはかなり手間だった。普通はこんなことはしないだろう。やるメリットがないからだ。
オレはコツコツと全てのアイテムにロックをかけて、やっと一息ついた。
「ふう」
「何してるのよ」
オレが何やらもくもくと作業していたのが気になったらしく『先輩妖精』が小さな体を空中で舞い、オレの肩に降り立った。オレの前にずらりと並んだロックされた所持品を見て、眉を寄せるサクラ。
「ちょっとな、この状況で、このふざけた異世界をぶっ壊せないかと思ってよ」
「あはは! ぶっ壊せたら面白いかも」
オレの言葉に、サクラは楽しそうに同意した。どうやらこの世界をぶっ壊すことが彼女の琴線に触れたらしい。先輩のちょっとばかり歪んだ心の中を見た気がした。……が、それはどうやら二人同じ気持ちを共有してもいるようだ。
この詰まらない世界に崩壊を!
オレは目の前の宝箱を
オレはがちゃりと宝箱を開け、中身の『精霊の輪』と言うティアラのようなレア防具を引き当てた。
「あ、当たりね」
「おう」
確認すると、そのアイテムはきちんとロック状態で入手されている。
すると、また所持品がいっぱいだという注意勧告が表示された。何かを棄てろとログが示し、所持品一覧から捨てるアイテムを選択するように促される……。
「…………」
適当なアイテムを選択し、捨てるようとしたオレだったが――。
――『そのアイテムはロックされています』――。
――『ロックを解除して棄ててください』――。
またこの文言が表示され、アイテムが捨てられない状況に戻ってしまう。ロックを解除しなくては先に進めない状況が作り上げられた。
しかし、ロック解除を行うよりも『所持品がいっぱいだから何かを棄てろ』という命令が働くのか、ロック解除が行えず、またアイテムを棄てろという所持品リストが開いてしまう。
「……詰んだな」
オレがお手上げ、という具合に両手を持ち上げた。
所持品を棄てろと命令が来るのに、その棄てることが出来ない状況が組み立てられてしまった。そのため、堂々巡りのように『棄てろ』→『ロック解除しろ』→『棄てろ』の命令がループしてしまうのだ。
「うわ、これどうしようもないじゃん」
サクラがどこか面白そうに言った。後にも引けず先にも進めないため、ここでオレ達の冒険はジ・エンドとなるわけだ。
「身動きがとれなくなっちまった」
「ちょっと待っててカミサマに報告する」
サクラが何やら状況をまとめた手紙を紙飛行機みたいにして飛ばすと、それはワームホールに飲み込まれるみたいにして、空間で突如消えた。
「よし、これで報告おしまい」
「ほお……。で、どうしたらいい?」
「うん、バグ探しもできたし今日はもうこれで上がりかな」
サクラが小さな体をうーんと背伸びさせて身体の疲れを逃がす。
オレは無限ループの中、何もできない状況だったが、不意に目の前の光景が歪んだかと思うと、自宅の湯船の中にいた。
どうやら、元の世界に帰って来たらしい。
「……夢でもみてた、か……?」
オレは湯船から上がり、寝間着に着替えて布団に倒れた。
すると、あっという間に睡魔がやってきて、まどろみの世界に誘われていく。そうして見た夢の世界で、女神さまからバグ発見のお礼を述べられたわけだ。
今後、異世界デバッカーとして本格的に仕事を頼むと言われ、オレは何かこちらにメリットはないのかと交渉を提案した。
すると、女神はあなたの人生に華を添えましょうと、どうにもこうにも曖昧なことを言って霧散して消えていく。
うさん臭い宗教団体でももう少しマシなエサを目の前にぶら下げるもんだが、オレはどこか投げやりに「まぁいいか」なんて考えていた。
こうしてオレは、サクラと共にチームを組み、良く分からない女神のため、異世界の異常を発見する仕事を始めたのだ。
翌朝六時、早々に家を出たオレは朝食をコンビニで済ますため、おにぎりを引っ掴んでレジまで持っていく。
レジの相手はおばちゃんだった。どうもこのおばちゃんが店長らしく、ネームプレートに『店長』の役職名が書いてある。
「おつでーす」
オレの背後からなんとも気だるげな挨拶が聞こえた。振り向くと、そこには昨夜オレの弁当を温めてくれた女子店員がラフな普段着でレジのおばちゃんに挨拶をしていた。
どうやら、バイト上がりらしい。短めの髪にジーパンスタイルの動きやすい服装のその女性はこちらを見ることなく自動ドアを開いて朝焼けの中、店外に出ていくのだった。
今日も代わり映えしない毎日が始まる。
オレはおにぎりを購入した直後に店の外で開け、一気にぱくつく。
この詰まらない世界に生きる一般大衆その一のオレは、ほんの少しだけ足取りが軽かった。
ほんの少しだけ。
葬式に向かうような白黒スーツのオレに、小さな桜の花びらがくっついていた。
――ああ、そうだ。
添えられた華は、どこかこちらを『騙されてやんの』と、バカにしているようでもあったが、普段食っているコンビニのおにぎりが、不思議と美味しく感じた――。
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