第15話 ノンストップ×エスケープ 5

「斬刀 正宗。五ノ型」

 エドが折れた刀身に指を添え、力を込める。すると刀の周囲に、小さな光が集まってくる。やがて小さな光は集合体となって大きな光に変わり、刀を包み込んだ。

「日向ノ剱」

 彼が術を口にすると、光は再びホタルビソウのように散り、消えた。

 現れたのは先ほどよりも短い刀だった。大きさは肉切り包丁ほどで、これくらいなら自分でも扱えそうだなとシプレは思った。

 それを逆手に持ち、エドは突き刺すように石に振り下ろした。

 相変わらず石は割れる気配がない。けれどよく見ると、僅かだが石に一筋ヒビが入っているのが確認出来た。これは決して彼の行動が無駄ではなかったと示す証拠である。

 シプレは彼の手元が狂わないようライトで石周辺を照らした。何か手伝えることはないかと尋ねた時にライトを持っていろと言われたので、それに従っている。

 両手でしっかりライトを持ち、光が当たる位置を固定する。片手で持てない重さではないが、両手で持った方が安定するのでそうしている。

 と、急に、光が小刻みに震えだした。

「えっ! ええー!?」

 振動していたのは光ではなくライト本体だった。規則的に手の中でビリビリと震えている。

 更に、小さなライト部分だけでなく、振動と同時に真っ黒だった板まで光を発していた。光の中には電話機のような絵が描かれており、その上には『団長』という文字が浮かんでいた。

「貸せ」

 どうすればいいのかわからず慌てふためいていると、見かねたエドにライトを取り上げられた。

 彼は慣れた手つきで板に指を滑らせた。すると

『エド、無事か?』

 突然何処からか男性の声が聞こえた。

 シプレは驚き、周囲を見回した。しかし何処にも人影はなかった。

「おう。一応生きてる。無事じゃねぇけどな」

 何も不審がらず、然も当たり前のようにエドは男性の声に返事をした。

『どうした。今何処にいる?』

「わかんねぇ。妙な球体の中に閉じ込められてる」

『妙な球体だと? シプレも一緒か?』

「ああ。替わってやる」

 持てと言うように板を差し出され、シプレは恐る恐る受け取った。

「団長……俺らの中で一番偉い奴からだ。ちょっと挨拶してやってくれ」

 急に挨拶をしろと言われても、こんな状態では言葉など出てこない。一体何を話したらいいのかもわからず、シプレは板を前に狼狽えた。

『初めまして、だな。私はライナス。スキロ・スフィラカスの団長を任されている者だ』

 板の男性がライナスだと名乗った。

「は、初めまして。シプレ・ライラローズです」

 シプレは板に向かって深々とお辞儀をした。

『一時はどうなるかと思ったが無事で何よりだ』

「はい。ありがとうございます」

『あはは。礼は私ではなくエドに言ってやってくれ。私はまだ何もしていないのだから』

「えっと、はい。わかりました」

 顔を上げて、エドの方を見る。目が合った瞬間、彼はそっぽを向いた。

『うむ。君とは話したいことが山ほどあるのだが、今はお互いその余裕はないようだな』

「お互い? 何だよ、まだ追いかけっこしてんのか?」

『いや、見失った。恐らくシティから離れたのだろう』

「ああ? どういうことだ?」

『マナ喰いだ。聖庁が事態を収拾するためにマナ喰いを放ったようだ』

「冗談だろ!? マナ喰いって……」

『生憎冗談を言うほど暇ではない。マナ喰いは今のところ静かにいているが、いつまた動き出すかわからない。お前達が何処にいるのかわからないが、我々も早急にシティから出るぞ』

「出るぞって言われてもよ。俺らそう簡単に出られる状態じゃねぇぞ」

『……そこの特徴は何だ?』

 球体。異臭。ゴム質の壁。肉のような足下。謎の石。エドはそれら空間の特徴をライナスに伝えた。

『エド』

「おう」

『すぐにそこから出ろ』

 ライナスは声を落として告げた。

『恐らくそこは、マナ喰いの吸収器官の中だ』

 直後、空間が大きく揺れた。

 とても立っていられず、エドは顔から壁に激突した。シプレも体勢を保てず、ころりと肉の床を転がった。

「エドさん!」

 転がる最中ある物の変化に気付き、シプレは叫んだ。

 石が光っていた。灰色だった石が、翡翠色に光っている。それは宝石のように綺麗だったが、嫌な予感しかせず背中に鳥肌が走った。

「何が起きてやがる!」

『マナ喰いが動き出した。このままではマナを吸い尽くされて死ぬぞ』

 エドは舌打ちし、刀で壁を斬りつけた。壁を破壊して脱出しようと思ったのだろう。しかし壁に刃は通らず、拳同様跳ね返されるばかりだった。

 次に彼は肉の床に刃を突き立てた。壁と違って刃は通るが、傷が付く以外特に変化はない。

「何か方法はねぇのかよ!?」

『マナ喰いの吸収器官に閉じ込められるなど前代未聞だ。方法があるなら私も知りたい』

「そっちでなんとか出来ねぇのか!?」

『フィルに命令を出した。どうしてもと言うのなら彼女が合流するまで大人しく待っていろ。いいか、決して魔術は使うな。力を消耗するぞ』

「わかってる」

 彼は石に向き合い、歯を鳴らした。そして一歩足を踏み出そうとした途端

「けどよ……言うの遅ぇよ……」

 力なく倒れた。

「エドさん!」

 シプレは揺れに邪魔をされながら四つん這いで彼のもとに近付いた。

「エドさん……エドさん!」

 肩を揺さぶり、名を呼ぶ。

「ああ……凄ぇだりぃ……」

 意識はある。死んではいない。だがとても立ち上がれるような状態ではないようだ。

『しっかりしろエド! エド!』

 ライナスも大声で彼を呼ぶ。その声は間近にいるのではと思ってしまうほど迫力があった。

「っせぇんだよ……耳元で騒ぐなっつーの……」

 彼は僅かに開いていた瞼をゆっくり閉じた。眠るように静かに呼吸をし、死んだように動かなくなる。

 一体どうしたらいい。指一本動かせなくなったエドを見下ろし、逡巡した。

 ここはマナ喰いの吸収器官とライナスは言った。マナ喰い。名前から推測するに、恐らくマナを食べる生物。それに魔術師の力の源であるマナを食べられてしまったから、彼は動けなくなったのだろうか。

 マナを吸い尽くされたら死ぬ。これもライナスが言っていた。それはつまり、このままだと彼は死ぬということだ。

「駄目……」

 シプレはカーディガンのポケットに入れたハンカチに触れた。

「駄目……」

 エドの手から滑り落ちた短刀を握る。

 蓄積された痛みで悲鳴を上げる足腰を叩き、シプレは立ち上がった。

 重たい足を上げ、一歩ずつ、ゆっくり、石に向かって歩く。マナ喰いが動く度に壁や肉の床に身体を打ち付けたが、それでもシプレは歯を食い縛って石に近付いた。

 翡翠色の光が強くなる。きっと彼のマナを吸収したからだろう。

 ようやく辿り着いた石の前で両膝をつくと、シプレは短刀を高く掲げ。

 渾身の力で、刃を石に叩きつけた。

 生きろと言ってくれた。守ると言ってくれた。助けに来たと、手を差し伸べてくれた。大丈夫だと、抱き締めてくれた。そして、何があっても味方でいてくれると約束してくれた。

 そんな彼を。優しい彼を——死なせたくない。

 シプレはエドが作ったヒビに食い込ませるように短刀を突き刺した。弾かれても、刃が欠けても、諦めず、短刀を振り下ろした。

 弾かれた拍子で、刀が手から落ちる。すぐに拾おうと手を伸ばすが、震えて硬直する指が刀を掴むことを拒絶した。

 刀の持ち手に右掌を乗せ、包むように左手で無理矢理指を曲げる。そしてポケットから皺だらけのハンカチを取り出し、右手と刀に巻き付けて固く縛った。ハンカチの両端を左手と歯で引っ張り、離れないように固定する。

 これなら大丈夫と、シプレは再び石に刀を振った。

 痛い。短刀を握る手が痛い。短刀を振るう腕が痛い。腕を高く上げる度に背中の傷が裂け、焼けるように痛い。

 でも、痛みを感じるのは生きている証。

 生きている。自分はまだ生きている。彼に生かされている。

——だから!

 助けたい。痛くても、苦しくても、この手を止めることは出来ない。ここから出るまで。彼を助けるまで。短刀を振るう手を、止めてはいけない。

『シプレ! 何をしているのだ!?』

 ライナスが叫ぶ。シプレは彼の呼びかけを無視した。

『シプレ!』

 刃を打ち付ける音で彼の声を消す。応答する余裕はない、というつもりで。

「はぁ、はぁ……」

 額から落ちる汗が、雨のように翡翠色の石を点々と濡らす。

 傷が付かない。何度やっても、掠り傷一つ付かない。自分の力では、やはり無理なのだろうか。

「いや……」

 もう嫌だ。

「いや……」

 何も出来なかったと後悔するのは。

「絶対に、嫌……!」

 シプレは両手で短刀を握り

「わたしは!」

 叩く。

「絶対に!」

 刀身に亀裂が走っても。

「諦めない!」

 命を懸けた渾身の一撃。金属音が響くと共に刀が砕ける。

 同時に、光を失った石も粉々に砕けた。

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