第12話 ノンストップ×エスケープ 3

「……正解」

 魔術師。ピタリと言い当てられ、エドは苦笑した。

「恐いか?」

 シプレは首を横に振った。恐がる様子もなく、丁寧畳まれたジャケットを差し出す。

「魔術師さんは、恐くないです」

 エドは彼女の表情を窺いながらジャケットを受け取った。目の動き、微妙な表情の変化。それらを見る限り嘘を吐いている……ということはなさそうだった。

「変わってんな。普通の奴は腰抜かすか全力で逃げるぜ」

「そう、ですか……」

 膝を抱えて縮こまり、彼女は目を伏せた。

 拙いことを言ったな。遠回しに変人扱いしてしまった事に気付き、エドは肩を落とした。散々魔女扱いされ気が滅入っている相手に、追い打ちをかけるように変と言うのは流石に軽率すぎた。

「あー……悪ぃ。さっきのはなしだ。忘れてくれ」

「大丈夫です。変なのは……本当ですから」

 彼女は自嘲気味に言った。

「変だから……こんなことになったんです……」

 自分が他人と違うから魔女と疑われてしまった。恐らく、彼女はそう思い込んでいる。普通だったら、他人と同じだったら。そんなくだらないことを考えながら、今日まで過ごしていたのだろう。

「お前は普通だ。昔のことは知らねぇけど、少なくとも俺の目の前にいるのは普通の女の子だ」

 普通。彼女は普通だ。普通の女の子で間違いない。同じ言葉を繰り返し、エドは彼女の存在を肯定した。自分が認めなければ彼女は本来の自分を見失ってしまう。今まで嫌と言うほど自己を失った者の末路を見てきた。出来れば、彼女が堕ちる姿は見たくない。

「普通、ですか?」

「おう」

「本当に、そう思いますか?」

「おう。本当だ」

 言うと、シプレは伏せていた目を見開いた。

「本当に、本当ですか?」

「しつけぇな。そんな嘘吐いたって意味ねぇだろ」

 気のせいだろうか。濁っていたはずの彼女の瞳に、僅かだが光が戻ってきたように見える。単に物理的に光を反射しているだけかもしれないが、少なくとも先までよりはまともな目をしている。

 彼女はまだ絶望という闇に堕ちてはいない。手を差し伸べ、道を作れば、必ず自分の足で光ある方へ歩いて行ける。シプレの瞳からそれを感じ取り、エドは少しだけ安心した。

 彼女に必要なのは自分を認めてくれる人間。否定され続けていた故に、肯定されることを望んでいる。間違っていないと主張してくれる味方を欲している。

 つまり、否定しないことが彼女を救う鍵だ。どんな状況下でも味方であり続ければ、光を失うことはないということだ。

 ならば自分が彼女にしてやれることは一つ。

 絶対に裏切らないこと。

 これだけだ。

「なあ、シプ——」

 轟音。

 そして零コンマ一秒後に地響き。

 ひび割れる天井。鉄板がプラスチックのように砕け、落下する。

「今度は何だ!?」

 エドは咄嗟に右手でシプレを抱き、床に触れる左手で〈壁を作った〉。

 二人に覆い被さるように現れた湾曲した赤い壁。落下物が壁の上で跳ね、周囲に転がる。

「くっそ……大丈夫か?」

「はい……平気です。こほっ……」

 舞い上がった埃を吸ってしまい、彼女のは咽せた。エドは背中を擦り、気管支が楽になるよう手助けをした。

「一体、何が……?」

「さあな、俺にもわかんねぇよ。けど……」

 壁を消し、天井を見上げる。

 屋根がない。見えるのは漆黒の雲。太陽は雲に消され、倉庫内は夜闇に染められたように暗くなった。

「大丈夫か?」

 小刻みに震える身体を抱き締める。

「……ごめんなさい」

「謝んな。お前のせいじゃねぇだろ」

「でも、わたしが……」

「この街には俺ら以外の魔術師もいる。多分そいつの仕業だ」

 黒い雲。黒い雷。それらか感じ取れる力。間違いなく、処刑場にいた長髪の魔術師である。

 どうやら彼は徹底的に街を破壊するつもりのようだ。力から溢れ出る鳥肌が立つほど純粋な殺意に、エドは嫌悪感を抱いた。

「クソ魔術師の野郎。余計なことしやがって」

 彼のせいで街は更に混乱状態が酷くなったはずだ。逃げても危険、隠れても危険な危機的状況である。彼自身はエドとシプレを追い込むつもりはなかったのだろうが、憎まずにはいられない。

 逃げるか、他の場所に隠れるか。壊れた天井から流れ込む冬風に冷やされた頭に熱を巡らせ、考える。

 戦略やら攻略やら、そういった類いのことを考えるのは昔から得意ではない。それはいつも頭が切れる仲間の役目である。自分はいつもそれに従って動き、力を使うだけ。自力では精々先のような〈マネキン人形をシプレに見立て、囮にして時間を稼ぐ〉程度のことしか考えられない。

「あの……」

 シプレが袖を摘まみ、軽く引っ張った。

「上に……」

 細い指で、天井を指差す。

「上?」

 見上げた刹那。視界が暗くなり、蜜と胃液が混ざったような異様な臭いに包まれた。

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