第5話 とあるシティの魔術師たち 3

 遠い昔、世界は魔術師のものだった。

 不思議な力で国や文化、人々の生活を支え、彼らは世界を変えた。彼らを中心に変化を遂げる世界を自ら作ったのである。

 けれど、そんな世界はもう何処にもない。彼らが作った世界は、彼らの犯した過ちによって突然終わりを迎えた。

 世界は変わった。魔術師を必要とする世界から、魔術師を排斥する世界に変貌した。

 そんな世界に、今日、この時間、この場所に、偶然にも三人の魔術師が居合わせることとなった。単なる偶然が。それとも何者かが引き合わせた運命か。思わず詩的なことを考えてしまいそうになるほど、この状況は不可思議であった。

「おやおや、もうお終いですか?」

 銃声が鳴り止んだところで、魔術師が煽るように言った。

「では、今度はこちらから行きますよ」

 魔術師が手を叩くと、ぬいぐるみは大きく手を振り上げた。そして到底その大きさと見た目からは想像出来ない速さでアスファルトを叩き割った。衝撃で足下が揺れ、皆大きくよろけた。

 ぬいぐるみは可愛らしい表情を少しも崩すことなく、ゆっくり上体を起こした。柔らかそうなその手には、叩き潰されたと思われる者の身体の一部がこびり付いている。ぬいぐるみが腕を振ると、血と肉片と身体の一部が足下にばらまかれた。

「さあ、彼と一緒に踊ってください。祭りは終わらせませんよ」

 魔術師は楽しそうに手拍子を鳴らした。それに合わせ、ぬいぐるみは踊るように周辺のビルを破壊し、ステップを踏みながら警備隊と聖職者を踏み殺した。

「止めなさい! 今すぐ止めるのです!」

 ぬいぐるみの攻撃を躱しながら、ベルナールが叫ぶ。けれどぬいぐるみは止まらない。

 周囲を一通り踏み荒らすと、ぬいぐるみは両膝を曲げて大きく飛び上がり、逃げ惑う人々を腹で押し潰した。積雪に飛び込む子供のように無邪気に、腹の下を赤色に染めた。

「外道め!」

 ぬいぐるみの猛攻でボロボロになった祭服を脱ぎ捨て、ベルナールは魔術師に向かって走った。その手には司教杖ではなく、主神のシンボルが刻印された銃が握られている。自分の手で魔術師を殺すつもりなのだろう。

 明らかな殺意を向けられても魔術師は火刑台から動かなかった。ベルナールを見下ろし、不気味な笑みを浮かべている。

「よせ! ベルナール!」

 危険を察知し、ライナスは走った。

 ベルナールに彼は殺せない。小者や偽者、或いは魔術が封じられた状況下の魔術師ならまだしも、手練れの魔術師相手に彼如きが勝てるわけがない。

 聖庁? 神聖十大司教? それが何だ。そんな肩書きなど魔術師には関係ない。魔術師にしてみればベルナールも、逃げ回る人々も、力の無いただの人間だ。ねじ伏せようと思えば、簡単にそれが出来るのである。

「ベルナール!」

 ライナスの言葉が届くよりも先に放たれた弾丸。弾丸は真っ直ぐ、魔術師の心臓目掛けて走った。

「残念です。大司教というからにはもう少し賢い方かと思っていたのですが」

 魔術師は胸の前で軽く手を叩いた。そして掌からベルナールが放った弾丸を落とし、嘲笑った。

 魔術師は仕返しと言わんばかりに右腕をベルナールに突き出した。親指を天、人差し指を彼に向け、手で銃の形を作る。

「ばーん」

 言動は子供の遊びそのもの。だが指先から放たれたのは黒い雷。コンクリートを抉るほどの威力を持った雷がベルナールに向けて放たれた。

 殺させるものか。ライナスは壁になるようにベルナールの前に立った。

 そして

「ウルヴァ!」

 眷属の名を叫んだ。

 呼び出したのは身の丈ほどの盾を持った女型の眷属。足先から伸びる太い鉤爪でアスファルトを掴み、彼女は盾で雷を受け止めた。

 雷は盾に弾かれ、四方に飛び散った。弾き飛ばされた雷のせいで、建物の一部が損壊する。

「無事か、ベルナール」

 魔術師から目を外さず、尋ねた。

「あなたは……何故、ここに?」

「仕事だ。シプレ・ライラローズの救出、及び保護を命じられた」

 ライナスは簡潔にベルナールに事情を説明した。相まみえない立場であるため快く協力、とはいかないだろうが、一応理解だけはしてくれるはずだ。

「確認のため伺います。これはあなた方の仕業ですか?」

「そうだと言ってやりたいが残念ながら私にも予想出来なかった」

 ウルヴァを消し、ライナスは魔術師と相対した。

 突然の乱入者に驚いたのか、緩みっぱなしだった魔術師の顔が少しばかり強ばった。けれどすぐに目を細め、尖った八重歯を唇の隙間から見せた。

「素晴らしい! なんて素晴らしい日だ!」

 魔術師は大きく拍手をした。

「まさかこんなところで同朋にお会い出来るなんて思ってもみませんでした。何という偶然。何という幸運!」

「大袈裟な演技はやめろ。貴様ほどの魔術師なら、とっくに私の存在に気付いていたはずだ」

「買い被らないでください。術を使うまで気付きませんでしたよ」

 魔術師はシルクハットを脱ぎ、再びお辞儀をした。

「お初にお目に掛かります。わたくしはローク・ストラージャー。日夜祭りを求めて旅をしております」

 男は自らをロークと名乗った。無論、本名ではない。魔術師が自分の名を守る為に使う偽名だ。魔術師は名前だけで相手を呪う術を知っているので、絶対に名を明かすことはないのだ。

「私はライナスだ」

「ライナス……? もしかして、あなたがあのライナス殿ですか?」

「知っているのか?」

「ええ勿論。あなたは有名人ですから」

「ほう、一体何を知っている」

「あなたと、あなたが作った組織の活動内容の一部、ですかね」

 ロークは笑みを見せ、シルクハットを被り直した。

「確か、魔術師、または魔術師の疑いをかけられた少年少女を保護しているのですよね。成る程、だからここに来たというわけですか」

 納得したと、ロークは頷いた。

「知っているのなら話は早い。すぐにそこを退いてもらおう」

 ライナスは火刑台に一歩近づいた。

「待て!」

 二歩目を踏み出そうとした瞬間、後方の声がそれを止めた。

「その娘だけは渡せません。即刻ここから立ち去りなさい」

 背中に固い物が当てられる。振り向かなくても、ライナスはそれが銃口であるとわかった。

「理由を聞かせてもらおう」

「あなたに話す義務はありません」

「理由もなく渡せないとは、聖庁もおかしな事を言う。未成年者は必ず我々が預かる決まりだ。聖庁は政府の言葉に従わないと言うのか」

「この場においては仕方のないことです」

「落とされるぞ」

「それで事が収まるのなら本望です」

 背後で撃鉄が引かれる。

「理解出来ない。何故そうまでして彼女を殺そうとする。彼女はただの女の子だ」

「違います。彼女は魔女です」

 頑なに、ベルナールはシプレが魔女であると主張した。

 ライナスは彼に不信感を抱くと同時に確信した。聖庁はこの処刑を機に何かをしようとしている。それも政府に叛くことも厭わないものだ。恐らく世界中に影響を与える大規模な企みに違いない。

 聖庁の考える事なら、まず世界を悪い方へ導くものではないだろう。彼らなりに世界のことを考え、言い方向に導こうとした結果辿り着いた答えがこれだったのだろう。

 しかし、だから何だという。世界のためにシプレに犠牲になれというのか。大罪の魔女という汚名を着せられたまま殺されることに意味があるのか。何故彼女なのだ。彼女でなければいけない理由でもあるのか。他に方法はないのか。一人の少女の死の先に、一体何があるというのだ。

「貴様ら聖庁は……」

 ライナスは低く、怒りを抑えながら言葉を紡いだ。

「鬼畜に堕ちるつもりか」

 コートを翻し、向き合う二つの銃口。

 人間相手に使うことはないと信じたかった護身用の銃。聖庁相手に魔術を使用することは禁じられているため、彼に真実を語らせるにはこれしかなかった。

 どちらも引き金に指が掛かっている。引けば相手の心臓に命中し、この場を支配することが出来る。シプレを生かすも殺すも自由だ。先に引き金を引いた方がそれを決める権利を得られる。

 けれど双方とも動かなかった。向かい合ったまま、相手が降参して銃を下ろすのを待っていた。

 膠着状態になった理由は、どちらも相手を殺せないからだ。

 ライナスは政府の許可が降りない限り他者を殺すことが出来ない。魔術師であるライナスが聖庁の陰に怯えることなく生きていられるのは、他者に危害を加えてはならないという、政府との取り決めをきちんと守っているからである。

 同じように、ベルナールも政府の管理下にあるライナスを殺すことが出来ない。彼を手に掛けてしまうと、政府の命令に叛く以上に恐ろしい結果を招いてしまうからだ。目の上の瘤を排除したいが、聖庁の危機を招くのは避けなければならないと、彼は葛藤しているに違いない。

「あのー、盛り上がっているところ恐縮なのですが」

 自分そっちのけで起きた修羅場を高みで見物していたロークが、申し訳なさそうに口を挟んだ。

 ライナスは銃を向けたまま軽く首を後ろに傾けた。

「あなた方はこんな土塊に命を懸けるのですか?」

 怪訝そうに尋ね、ロークは柱に繋がれているシプレの頭を乱暴に掴んだ。

「よせ! その子に触るな!」

 シプレの頭は水分を含んだ土のように、ロークの手の中で砕け落ちた。

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