第4話 とあるシティの魔術師たち 2

 これは夢か、幻か。そんなことを考えるほど、ライナスは世間知らずではない。

 成る程そういうことか。ライナスは理解し、焦りで失いかけていた冷静さを取り戻した。

 炎の中から現れたのは奇妙な男。彼は燃える前と変わりない状態の、燃え痕一つ無い火刑台に立ち、ライナス達を見下ろした。

「ごきげんよう、愚かなる羊たち」

 男はシルクハットを胸元に添え、丁寧に、そして大袈裟にお辞儀をした。頭を下げると、背丈と同じ長さの黒髪が火刑台を撫でた。

「何者ですか?」

 真っ先に尋ねたのはベルナールだった。動揺する聖職者達を静め、姿勢を正したまま男と対峙する。

 何者なのかと改めて聞かずとも、正体は誰の目にも明らかだ。奇妙な身なり、雷と炎。それだけで男が何者なのか見当が付く。

「名乗るほど者もではありません。わたくしはただの魔術師です」

 濁すことなく、男は自分の正体を告げた。

 彼の言葉に群衆が更にどよめく。叫び声、鳴き声、狂ったような笑い声。あらゆる声がライナスの鼓膜を震わせた。

「いやいや素晴らしい。実に楽しいお祭りです」

 男は大きく手を叩いた。

「罪深き魔女の処刑祭。なんと愉快で、なんて不快な祭り! 生まれて初めてですよ、こんなに気持ちが昂ぶったのは」

 男は細い目をつり上げて笑った。

 誰も動けなかった。警備隊、聖職者、そしてライナス達も、不審者が目の前にいるというのに動くことが出来なかった。

 相手は魔術師。術の特性を見極められない内から動くと、こちらが痛い目を見る。自分が傷つくのは構わないが、万が一、火刑台に繋がれているシプレに被害が及んでしまったら元も子もない。彼女の安全を第一に考えると、今は手を出さず様子を見た方がいい。

 幸い、炎の中にいたにも関わらず彼女は無傷だった。どうやらあの炎は何かを燃やすものではなく、あくまで魔術師が登場するための演出だったようだ。実に心臓に悪い。

「ご託は結構。目的を聞かせて頂きましょうか」

 凜としたベルナールの声が、魔術師の笑い声を止めた。

「目的?」

「罪深き魔女、シプレ・ライラローズの奪還があなたの目的なのでしょう」

 ベルナールの言葉に魔術師は首を傾げた。

「はて? 何のことでしょうか。わたくしはただお祭りを一緒に楽しみたいと思っただけです」

「そんな嘘が通用するとでも?」

「嘘ではありません。その証拠に、ほら。わたくしは彼女に指一本触れていないでしょう」

 魔術師は無実を証明しようと掌を見せた。

「虚言を……」

「本当です。わたくしはこの少女を助けようなど微塵も思っていません。火炙りになろうが犯されようがわたくしには関係のないことです。何でしたら、処刑にご協力しましょうか?」

 彼は擦り合わせた指先から小さな火を出して見せた。

「結構です。魔術師の汚れた手など借りるつもりはありません。それに……」

 ベルナールは司教杖を魔術師に向けた。

「あなたも処刑される側であることをお忘れなく」

 彼の言葉を合図に、聖職者達が一斉に祭服に隠していた銃を魔術師に向けた。

「おやおや、聖職者様とあろう方が随分と物騒な物をお持ちなのですね」

 彼らの的になっているにも関わらず、魔術師は余裕の笑みを崩さなかった。その態度に、ライナスも一層警戒心を強めた。

「ですが聖庁は人殺しを禁じていると聞いています。まさかそれを破るおつもりで?」

「黙れ魔術師!」

「貴様らは人間ではない!」

 それが聖庁の答えだ。他者を惑わして傷付ける魔術師は、人間とは異なる生き物である。だから殺しても構わない。聖庁からしてみれば、魔術師を殺すのは虫を殺すのと同等なのである。

「やれやれ。これだから神様の下僕共は……」

 魔術師は呆れた様に溜息を吐いた。そしてだらりと腕を下げ、枯草色のロングコートのポケットに手を入れた。

「あなた方のせいで折角の祭りが台無しです。興が削がれました。死んでください」

 淡々と告げ、彼は素早く術を唱えた。

「廻れ廻れ。宵まで廻れ。廻って遊んで、月夜に眠れ我が朋よ」

 上空に現れた巨大な黒い召喚陣。魔術師に呼ばれ、そこから黒い物体が姿を現す。

 拙い。ライナスとエドは障害となっている人の壁を押し退けて火刑台に走った。

「何なんだよコイツは!」

 地上に降り立ったそれに、エドは驚きの声を上げた。

 大きさは六階建てのビルと同じ。大きな頭に、膨らんだ身体。到底物など掴めそうにない丸い腕と、アンバランスな頭と身体を支える太い足。この見た目を喩えるのに一番相応しい物は、そう。子供が大好きなクマのぬいぐるみだ。真っ黒な毛の、巨大なクマのぬいぐるみが魔術師によって召喚されたのである。

魔物モンストルム……!」

 ベルナールは構えた。聖職者、そして警備隊もぬいぐるみを取り囲んで銃を向けた。

「撃て!」

 警備隊長の合図で一斉に銃弾が放たれる。だが銃弾は当たりはしても貫通することはなく、ゴム弾のように弾かれて地面に落ちた。

「撃て! 撃て! 撃てぇ!」

 一度目の失敗で無駄だとわからなかったのか、それとも単なる馬鹿なのか。彼らは懲りずに銃を撃ち続けた。二発も撃てば鉛の銃弾が効かないことくらい判断出来るはずなのだが、彼らは突如現れた魔術師と魔物の脅威に圧されているせいで、判断力を失っていた。撃つ。倒す。今、彼らの頭にはこの二つしかないのだろう。

「助けてくれ!」

「もう嫌だ! 勘弁してくれ!」

「どうして魔術師が街にいるのよ!」

 逃げ惑う人々の声がこだまする。皆、魔術師から逃れようと必死だった。呪われたくない。死にたくない。誰もがその一心で周囲を押し退け、この場から離れようとしていた。誰が倒れようが、誰が怪我をしようが、お構いなしといった様子だ。

「どうすんだ団長。先にあのデカブツをやるのか? それとも胸糞悪ぃ連中を助けるのか?」

 エドが指示を求めた。

「いや、お前は倉庫に向かえ」

「はぁ!? この状況でか!?」

「そうだ。今は何よりも彼女の身の安全と、裁判が不当であったと示す証拠を確保するのが最優先だ。他は後回しにしても構わない」

 仕事を優先した冷たい判断。恐らくエドはそう思っただろう。

 だがライナスは自分の決断が間違っていると思っていなかった。この事態はただの予期せぬ事故で、自分達は巻き込まれただけだ。自ら首を突っ込んで話をややこしくする必要はない。

 寧ろ場が混乱してくれたお陰で大分動きやすくなったとも言える。仕事を遂行するのにこれ以上の好機はない。

 兎にも角にもまずはシプレだ。魔術師達は二の次でいい。

「ったく、相変わらずだな」

 エドは苦笑した。

「で、何とかなりそうなのか?」

「ああ。奴のお陰でな」

 シプレを連れてこの場を脱する方法は無限にある。先までは不可能だったが、魔術師が現れ、ご丁寧に魔術まで使ってくれた為、不可能は可能に変わった。魔術師自体は厄介な存在だが、制限を解除してくれたことには感謝しなくてはならない。

「無理すんなよ。あんたもう五十過ぎてんだからな」

「年寄り扱いするな。早く行け」

 ライナスは若くない。今年で五十一になる。だが現役時代から全く体力は衰えていないし、記憶力も落ちていない。近くの文字を見る時に老眼鏡を掛けることはあっても、遠方を見る分には問題ない。たかが二十六年しか生きていない彼に心配されるようなことは何一つ無いと思っている。

「なあ、ちょっといいか」

 エドは小太りの男性の肩を掴んだ。そして返事を聞くことなく彼の出っ張った腹に右足を掛け、彼を踏み台代わりに押し蹴って近くの街灯に飛び移った。男性は足場にされた反動で後ろに転げた。

「終わったら呼んでくれ。適当にふらついて待ってるからよ」

 エドは踏み台にした男性に硬貨を一枚投げ、倉庫へ向かった。

 心配はしていない。彼は口が悪くて短気だが仕事は真面目にこなす。自分から見ればまだまだ子供だが、手放しで信頼出来る男は彼だけだ。

「さて」

 エドの気配が遠くに消えると、ライナスはゆっくり息を吐いた。

 魔術師が現れたことでシティは混乱する。恐らく一日、二日では収拾がつかない。立て続けに魔術師に命を脅かされたのだ。人々の精神に与えられたダメージは尋常ではないはずだ。暴動、抗議活動程度で収まればまだいいが、隣人や家族を魔術師だと密告しだす、時代錯誤も甚だしい最悪の事態になることも想定される。

 くどいようだが最優先事項はシプレの保護だ。本来は彼女さえ連れ帰ることが出来ればそれでいい。乱入してきた魔術師の対処は聖庁に任せても特に問題は無い。

 が、シティを危険な状態のままにしておくわけにもいかない。最低でも暴動を鎮圧出来る力を持ったキーパーソンだけは生存させなければならない。

 神聖十大司教ベルナール。彼なら事態を鎮められる。何故なら大司教の言葉は主神の言葉だからだ。よって、事後処理は彼に任せるのが適任だ。

「さあ起きろ。仕事の時間だ」

 人の波を越え、ライナスは戦場に足を踏み入れた。

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