第3話 とあるシティの魔術師たち 1

 街は騒音に満ちていた。人々の声。陽気な音楽。そして巨大モニターから流れるニュースキャスターの声。今日は街の何処にいても静かな場所はなかった。

 騒がしいのには慣れていた。自分達の住んでいる街は、いつも祭りが催されているかのように賑やかで騒々しい。乱闘、異形の咆哮、爆発、建物が倒壊する音。シティで真っ当な人生を送っていたら絶対に聞くことが出来ない音に囲まれている。

 だから騒がしいと言っても自分の街ほどではないので、いつも静かなはずのシティが珍しくうるさいということ以外、驚きはしなかった。

 何故今日に限って賑やかなのか。周囲を見渡せば一秒足らずで判明する。

 祭りだ。

 今日は通行規制がかかっているらしく、道路に車はない。代わりに人が溢れ、道沿いに様々な露店が並んでいる。食べ物、記念品、日用雑貨、今時珍しい紙媒体の自作の本。露天商達はこれらを捌こうと喉をからしながら呼び込みをしていた。

 一体何の祭りなのか。シティに到着したばかりのライナスとエドは訝しげに観察しながら歩いた。

 目に付く文字は『魔女』『処刑』『火あぶり』。成る程そういうことかと、ライナスは何故〈今日〉祭りが開かれているのかを理解した。

 二人は祭り気分に乗ずることなく真っ直ぐ目的地に向かって足を進めた。露天商に話し掛けられても、白塗りメイクのピエロに道を遮られても、無視して歩き続けた。仕事でシティに出向いた彼らには祭りなど無関係のイベントだった。

 目的地が近づくにつれ、人の多さも増していく。ぶつからないよう気を付けながら歩いていても、意図せず身体の一部が接触してしまう。

「うわっ!」

 前から走ってきた子供がライナスの足にぶつかり、転倒した。

「大丈夫か?」

 ライナスは子供の目線に合わせるように片膝を付き、尻餅をついてしまった子供を抱き起こした。

「怪我は? 痛いところはないか?」

 尋ねると、子供は首を横に振った。だが大きな目には涙が溜まっていた。

「あれ……」

 子供は地べたを指差した。そこには買ったばかりと思われるアイスクリームが転がっていた。真っ白な球体が人々の熱気によって溶かされ、形が崩れていく。

「すまなかった。さあ、これで新しいのを買うといい」

 ライナスは財布から硬貨を五枚取り出し、小さな手に握らせた。子供は大きく瞬きをし、小さく礼を言ってアイスクリーム屋に走った。

 子供が無事新しいアイスクリームを購入出来たのを確認すると、ライナスは何事もなかったように再び道を進んだ。

「魔女の腸詰め焼きはいりませんかー。美味しいストンピッグを使ったソーセージですよ!」

「さあさあ、独自ルートで入手した魔女の裁判記録だ! ここでしか買えない限定品だ! 買って損はないぜ!」

「魔女の串刺し煮込みは如何ですか? 特製ソースに漬け込んだお肉です。これを食べて魔女と戦いましょう」

 飛び交う露天商の声に不快感を抱いたのか、エドは聞こえるように舌打ちをした。

「胸糞悪ぃ……」

「慎めエド。聞かれると厄介だ」

 エドの気持ちはライナスも重々わかっていた。わかっていたが彼に厄介ごとを起こされると後の仕事に響くので、今は気持ちを静めるよう諭すことしか出来なかった。

「……わかってる」

 エドは鮮やかなストライプ模様のニット帽を深々と被り直した。

「それにしても似合わないな」

「自分で用意しておいてその言い草はねぇだろ」

「まあ、そうなんだが」

 ライナスは自嘲した。

 今回の仕事で最も重要なことは、如何に目立たず仕事を済ませられるか、だった。大事になると自分達の立場が危うくなるからである。そのために変装は必須で、特にエドの変装は念入りにする必要があった。

 彼はとても特徴のある姿をしている。と言っても、第二種ゼフテロスのような人間と異なる姿をしているというわけではない。彼はれっきとした人間である。ただ髪の色と肌の色が普通の第一種プロトスに比べて目立つだけだ。

 横を歩いているエドは普段と違い、不自然な白い肌を露出していた。派手なニット帽からはブロンドの長い髪が垂れ下がり、肩の前でゆらゆらと揺れている。そしていつもは髪の毛で覆い隠している右目も、今日は医療用の眼帯で隠している。見慣れない彼の姿に、ライナスは自分で変装道具を用意したにも関わらず可笑しくて頬が緩みそうだった。

「記念に撮っていくか?」

 主神が魔女を罰している、可愛らしい絵柄のパネルが飾られている撮影ブースを指して尋ねた。

「ふざけてんなら帰るぞ」

 エドの黒い瞳に怒気が籠もる。

「冗談だ」

 そう、冗談だ。ここで言える最初で最後の冗談だ。

 ライナスは立入禁止と書かれたテープの前で足を止め、視線を上に向ける。

 頭上には大きな横断幕。

 書かれているのは『魔女の処刑場』という不吉な文字。

「ここが例の交差点か」

 目の前にあるのは大きなスクランブル交差点。アージェットの探偵事務所に向かう途中にある、例の事件が起きた現場だ。シプレ・ライラローズが魔女となってしまった、因縁の場所である。

「見てみろ団長、随分物騒なもんがあるぜ」

 エドは睨むように目を細めた。

 交差点の丁度真ん中。全てが交わる場所。そこに近代的な街に不釣り合いな物が作られていた。

 木を幾重にも組んで建てられた高い台。台の上には藁の束が積まれ、中心には太い柱が立っていた。柱の上方には『罪深き魔女シプレ・ライラローズ』と書かれた札が掲げられている。

 火刑台。それも今の時代では殆ど見ることはなくなった旧式のものだ。どうやら人々は悲劇の始まりである事件現場で全てを終わらせるつもりらしい。

 処刑場の周囲は誰も立ち入らないよう整備されていた。周囲には何十人も警備隊が配置され、ネズミ一匹逃さない厳重な警備体制が敷かれている。

「どうすんだ団長。これじゃ動くに動けねぇぞ」

「いや、問題ない」

 魔女の処刑が一種の祭り状態になっていた事を除けば、現状は大体ライナスの想定通りだった。数百年ぶりに魔女の公開処刑が行われるとなれば、これくらいは普通である。

 寧ろ、予想より警備体制がずさんであることに驚いている。周囲に目を光らせているのは処刑場周辺の警備隊だけで、他の場所を警備している者達は退屈そうに欠伸をしていたり、露店で飲み食いをしていたりと、警戒心の欠片も感じられなかった。

 お陰で易々と侵入出来たわけだが。

 ライナスはシティで配られていたパンフレットに目を落とし、シプレの動きを再確認した。

 処刑が行われるのは正午丁度。それまでは異端審問所から処刑場までの道を引き回され、処刑場に到着した後一時間は火刑台に拘束された状態で晒される。

 携帯電話の画面に表示されている時刻は十時半。そろそろ彼女が到着してもいい時間である。

「エド、倉庫に行ってアージェットの調書を回収しろ」

「おう」

「回収したらすぐに飛行艇に戻れ」

「おう」

「いいか、くれぐれも目立つなよ。気が立っているからと言って八つ当たりはするな」

「へいへい。りょーかい、りょーかい」

 エドは適当な返事をした。

 彼は今、機嫌が悪い。無理矢理大嫌いなシティに連れてこられた上に変な変装をさせられ、更に街全体がこんな状態なものだから、心の底から不機嫌になっている。仕事だから仕方ないと言って付いてきてくれたが、必死に怒りを抑えている彼を見ていると連れてこなかった方がよかったのではないかと少し心が痛む。

「魔女が来るぞ!」

 来た。魔女が来た。祭りを盛り上げていた陽気な音楽が止み、人々がざわめく。

 警備隊は道にたむろしていた者達を歩道に追いやった。ライナス達も背中を押され、人混みに埋もれるように狭い歩道に上がった。

 歩道の最前列は報道陣が占拠していた。様々な報道局のプレートを首から提げた者達が、何処にも負けない映像を撮ろうとせめぎ合っている。

「動けねぇ……」

 調書を回収しに行こうにも全く身動きが取れず、エドは目でライナスに指示を仰いだ。ライナスは首を振り、仕方がないから今は待てと告げた。

 道の先から音が聞こえる。先まで流れていた下品な音楽とは違う、身体の芯を揺さぶるような音だ。高音は人々の罪を洗い流し、対して低音は罪人を拘束して、その身体に重くのしかかる。こちらに近づいてきているのは、そんな主神の降臨を錯覚させるような音楽だった。

 音に合わせて広がっていく啜り泣く声。神聖な音を耳にした者達は邪悪なる者を罰し、正しき者を導いてくれる主神を讃えた。主神に心酔する彼らは、神罰が与えられる瞬間に立ち会えることに涙せずにはいられないのである。

 だがライナスは微塵もそんな気持ちにならなかった。主神から最も遠い存在である彼にとってこの音は耳障りでしかなく、出るのは涙ではなく溜息ばかりだった。

 パレードのように彼らは現れた。

 先頭は音楽隊。彼らの奏でる重低音に、後ろに続いている聖歌隊の天にも届きそうな澄んだ歌声が重なる。

 聖歌隊の後ろには主神の代弁者を気取っている聖職者達。皆、穢れなき者を表す白の祭服を纏っている。

「あれは」

 他の聖職者達を率いるように先頭を歩いている男性。一際目立つ装飾が施された祭服に身を包んだ彼を、ライナスは知っていた。

 聖庁の神聖十大司教の一人で、名前はベルナール。

 彼は普段聖庁の本部であるサンベルクト大教会にいる。本来はそこで各地の教会や異端審問所から上げられた諸問題を片付けるのが仕事だ。余程のことがなければ滅多にシティに姿を見せることはない。

 そんな彼がここにいる。シプレ・ライラローズの処刑に立ち会おうとしている。これが何を意味するのか……ライナスは理解するのに時間を要さなかった。

 推測するに、シプレに死刑判決を下したのは彼だ。そして聖庁にとって、シプレの裁判はなんらかの重要な意味があった。そうでなければ、わざわざ多忙の彼を派遣するわけがない。

「団長」

 エドに肘で小突かれ、ライナスはベルナールから目を離した。彼から視線が外れると、目は自動的に聖職者達の後方に移った。

 その瞬間から、ライナスはそこから目が離せなくなった。

「団長、あいつが」

「シプレ・ライラローズ……」

 待ち焦がれていた。ずっと、ずっと、彼女に会える日を待っていた。まるで恋い焦がれる少年のように、会いたい、そう思い続けていた相手が目の前にいた。

「シプレ……」

 ライナスは愛しい人の名を呼ぶように呟いた。

 重たい鉄の足枷を引きずりながら、彼女は裸足でアスファルトの上を歩いていた。ぎこちなく、時折転びそうになりながら、ゆっくり、ゆっくり、歩いていた。己を恥じるように背を丸めた姿は死を目前にした子猫のようで、小さな背丈が余計小さく見えた。

 顔が見たい。ライナスは願ったが、顔に垂れ下がる亜麻色の髪が邪魔をして見ることが出来ない。

「死ね! 魔女が!」

 人々が彼女に罵声を浴びせ、物を投げつけた。露店で買った食べ物。丸めたパンフレット。石。ナイフ。中には汚物を投げる者もいた。道中様々な物を投げつけられたせいか、彼女の白い服は色鮮やかに汚れていた。

「死ね! 死んじまえ!」

 投げられた石が彼女の頭に命中する。亜麻色の髪の隙間から、血が一筋流れる。

 直後、エドの肩が動いたのを感じ取り、ライナスは彼の腕を強く掴んだ。

 伝わる震え。流れ込んでくる感情。口の端から洩れたのは、怒りと悲しみが混ざり合った、他者ではなく、自分に向けて放った舌打ち。

 シプレが横断幕をくぐって火刑台の前に立つと、人々は土石流のように他者を押し退けながら道路に出た。幅の広い道路が、末端が見えないほどの距離まで人で埋め尽くされていく。

 少しでも近づこうと身を捩る者。棒の先端にカメラを括り付けて撮影をする者。子供や恋人を肩車する者。ダストボックスや街灯に昇る者。近隣のビルから身を乗り出す者。あの手この手で彼らは視界を確保しようとしていた。

 シプレ・ライラローズの最期を見届けるために。

 さて、ここからどう動く。ライナスは思考を巡らせた。出来ればタイミングを見計らってベルナールに接触して交渉をしたいところだが、それにはまずこの人混みから抜ける方法を考えなければならない。

 人の好奇心を侮っていたが故に陥った状況。打破する方法は……適当に暴れて場を混乱させる以外思い付かない。最も危険で、最もやりたくないことだが、火刑台でさらし者にされている彼女を助けるには、それが最良の方法だ。

 ハロルドも連れてくるべきだったか。彼がいればもっと良い方法を考えてくれるはずだ。ライナスは組織のブレーンが不在であることを心から嘆いた。

 ライナスが頭を抱えている間にも、刑の準備は淡々と進められていた。彼女は柱に背中を押し付けられ、身体の凹凸を強調するように太いベルトで固定される。どう足掻いても自力では逃げ出せない状態だ。

 火刑台の前にベルナールが立つ。背筋を伸ばした、主神の代弁者らしい堂々とした佇まいだ。彼は胸の前で手を組むと、祈るように頭を下げた。それに倣い、人々も一緒に拝礼した。

 ライナスとエドは怪しまれないよう、それっぽく格好を真似た。主神に祈りを捧げる習慣はないので、勿論何も祈ってなどいない。

「善良なる主神の子らよ。私は——」

 ベルナールが喋り出した刹那、爆発音にも似た雷鳴が上空に轟いた。

「なんだ!?」

 見上げた先は曇天とは程遠い真っ青な空。しかし目を凝らすと、うっすらと〈陣〉が描かれているのが確認出来る。

 陣の種類は常闇の眷属を呼び出すための召喚陣。書かれている文字は公爵、雷、破壊——

「やめろ!」

 ライナスは叫んだ。だが無駄だった。叫び声は雷鳴に打ち消され、滝のように黒い雷が街中に落とされた。

 雷は容赦なく建物を破壊した。コンクリート壁を砕き、露出した鉄骨を燃やす。窓ガラスも粉々に砕け散り、雨の如く人々の頭上に降り注いだ。

 罵声は悲鳴。祈りは嘆き。好奇心は恐怖。突然の出来事に混乱し、群衆は大波のように動いた。

「おいおい、随分派手な演出だな」

 ライナス達は逃げようとする人波に揉まれながらもその場に踏み止まり、状況を把握しようと周囲を見渡した。

「団長!」

 エドが血相を変えて指差したのは、黒い炎に包まれた火刑台だった。漆黒の炎が火刑台を飲み込み、天に昇る勢いで燃えさかっている。

「シプレ!」

 人波を掻き分け、ライナスは火刑台に向かって前進した。しかしいくら進もうとしても押し流されてしまい近づくことが出来なかった。

 助けなければ、彼女を。この命に替えても、彼女だけは助けなければならないのだ!

 伸ばした指の隙間から見える黒い炎。届きそうなのに、掴めるのは虚空ばかり。

 突き付けられる己の無力さ。少女一人救うことが出来ないのかと、震える唇を噛む。

 炎が揺れる。大きく、勢いを増したまま、生き物のように揺れる。

 揺れて、揺れて、やがて人型になり、そして、炎は、

〈人になった〉

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