第7話

「あら、思った以上に驚いてくれたのね。何だか照れてしまうわ」

 驚いているのはボクだけではない。ティーネは目をパチクリさせているし、ルードヴィッヒに至っては、口が完全に開いてしまっている。

「裏切ったのか……そう聞いたな?」

 一人だけ、この状況を平然と眺めていた眼帯の男が口を開いた。

「悪いが、それは間違いだ。俺は最初から、お前の味方じゃないからな」

 そう言うと、男は眼帯を外す。

 その奥には赤く輝く瞳が映る。と、次の瞬間、男の体が変異を始めた。みるみるうちに体毛が伸びて青く輝き、顔は獣の――狼の形へと変化する。

「「ば、ヴァス!」」

 ボクとルードヴィッヒは、同時に素っ頓狂な声を上げてしまった。

「どういうことだ! て、テメェ……人間だった、のか?」

「そうよ、人間だった……今では立派な私の眷属だけれども」

 首だけになった市長さんが、ルードヴィッヒを眺めながら、ハッキリと言った。

 次の瞬間、彼女の体と頭は黒く溶けていく。二つの影は混ざり合ってから、もう一度人間の形を作っていった。

 だが、そこから現れたのは、さっきまで見ていた女性の姿とは違う。ルビーのような輝きを持った赤い長髪に、若々しく美しい少女。

 それは、ヴァスを見かけた路地で、彼と一緒にいた女の姿に他ならなかった。

「人間じゃない……亜人? いや、死なねぇ亜人なんているわけ……」

「そうね、私は人間じゃないわ。亜人でもないの。知識に乏しいあなたは知らないかもしれないけれど……私は魔人、あるいは不死者と呼ばれる存在ね。そして、ヴァスはその下僕たる存在なのよ」

 ルードヴィッヒの顔がみるみる青ざめていく。そして、後ろに倒れ込むようにして、彼は尻餅をついてしまう。

 どうやら、自分から転んだことさえ気づいていないようで、すぐに両手を振り回しながら怒鳴り散らす。

「ふ……ふざけるなよ! また……また、化物が増えやがって!! 首が落ちても死なねぇなんて、そんなもん卑怯じゃねぇか!! この、人外の怪物どもがぁぁ!! なんなんだ、なんだってんだ!! テメェらなんざ、人間の……俺の下僕がお似合いなんだよォォォ!!」

 ひっくり返った声でわめき散らすものの、彼の顔はどんどん色を悪くしていく。同情する気にはなれないけど、少し哀れに見えてきた。

 だが、ルードヴィッヒの言葉に、ティーネは歯をギリィと鳴らしながら近づいていく。そして、拳は怒りに震えていた。

 だが、ヴァスがそれを止める。

「止めるな! コイツ、さっきから好き放題……」

「ルード、おめぇの気持ちは少しわかるぜ」

「ちょっ……アンタ、何言ってるんだよ!」

「悪いな、ティーネ。みんなには黙ってたが、俺は元々、人間だったんだよ。さっきまでの姿が、本来の俺なのさ」

「……そんな」

 ティーネは……何とも言えない表情を浮かべている。戸惑いというか……少なくとも、さっきまでの怒りはどこかに吹き飛んでいる感じだ。

「元人間だって? なら、ヴァストゥルガ!! テメェがコイツらを殺せよ! 全員、皆殺しにしちまえよ! 人間なんだろうが! あぁ!?」

 また叫び始めるルードヴィッヒ。ヴァスは頭を抱えてしまう。

「人間にとって亜人は脅威だ。最初は誰だってビビる。かくいう俺も、人間じゃなくなっちまってしばらくは、どう接していいかわからず、途方に暮れたもんだったよ。だから、おめぇさんが亜人を受け入れられねぇってのは理解するぜ。だがな!!」

 ヴァスはルードヴィッヒの胸倉を掴み、一気に持ち上げた。

「気に入らねぇ連中を全員みな殺しにしようなんざ、人間としての俺でもぜってぇ許せることじゃねぇぞっ!!」

 ヴァスの口からは唾がバシバシ飛んでいる。そういうことを気にしていられないほど、頭にキテるってことだろうな。

「ヴァス……」

 ティーネはその様子にどこか安堵した様子だ。ボクも安心した。やっぱりヴァスはヴァスである。

「本当はね、この街を明け渡してもいいと思っていたのよ、ルード」

「はぁ? おいおい、笑えねぇ冗談言うなよ、エルレイン」

 ヴァスが目を丸くしている。驚いた拍子にルードヴィッヒを落としてしまう。後頭部を激しく床に打ちつけ、悶えている彼を見て「いい気味だ」と思ったのは黙っておこう。

「冗談じゃないのよ。それがルードの……黒の兵団の意志なら、それも運命だと思ったわ。まさか、あの剣を扱える人間が再び現れるとは思わなかったから」

 若返った市長さんが見つめるのは、床に突き刺さっている黒い剣――クロノスブレードだった。

「顔形はよく似ているし、あの剣を持ったあなたは、記憶の中にあるあの人のそっくりだった。だから、あなたが自分の意志でここに立つなら、命だって差し出してもいいと思ったわ。けれど……」

 さっきまで微笑みを見せていた市長さんの顔は、みるみる険しいものに変わる。眉間にはシワが寄り、目元はヒクッと痙攣した。

「期待は裏切られたわ。ルード……あなたはこの町の、リィンバームの『自由』を冒涜しようとした! そうよね、ヴァス?」

「あ、あぁ……後ろ盾がいたのは間違いねぇ。ここが落ちたなら、その支配権を保証するって約束をしてやがった。相手の正体まではわからなかったが……」

「ありがとう。あなたは本当にいい仕事をするわ、ヴァス」

 市長さんは、ヴァスに向かってニッコリと笑顔を見せた。それは本当の屈託のない表情で……だから逆に恐ろしく、ヴァスは自然と後ずさりをしてしまう。

 ボクも、何だか嫌な汗が出てしまった。

「リィンバームは自主独立の街よ。『何者にも与せず、何物にも縛られず』……そうでなければできないこともあると、あの人は言っていたわ。そのために育て上げたリィンバームを……私の街を、奪おうとしたのはどこにどいつだっっ!!」

 ゴンッ!

 市長さんはルードヴィッヒに頭突きをかます。いや、正確には相手に額に自分のおでこを押し当てた。同時に、彼女の瞳から赤いラインが……スキルの効果範囲が見える。

 それはルードヴィッヒの瞳を覆い、彼の体からゆっくりと力が抜けていくのがわかった。

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