第六章「本当に痛いこと」

第1話

「今日からお前が透明人間だ」

 まったくもって腹の立つ話だけど、ボクもしばらく、ソレに加わっていた。

 簡単に言えば、イジメというヤツだ。同級生の中で、一番体のデカくて、頭の悪い男子が始めた遊び。

 そいつが決めた人を透明人間として扱い、完全に無視するっていうルールだ。

 初めは、一日毎に入れ替わりで透明人間にさせられていたけど、大抵の同級生はこれを拒否したり、泣いて先生に報告したりした。だから、次第に対象は限られるようになる。

 最後まで残ったのが、大人しくて抵抗も密告もしなかった……ボクの幼馴染みの女の子だ。

 しばらくは、ボクも見ないフリをした。見えないフリをした。

 どうせすぐに終わるだろうって。でも、それは半年以上も続いて……彼女はよく、帰り道で泣いていた。

 だから、ボクはきちんと見ることにした。彼女に話しかけ、一緒に遊び、できるだけ傍にいるようにした。それで、全部終わると思って。

 今考えれば、そんなわけがないのはすぐにわかる。

 自分に逆らう人間をあの手のいじめっ子が黙って見過ごすわけはない。

 そして今度は、ボクが透明人間になった。

 でも、怖くはなかった。

 だって、ボクには味方がいたから。彼女なら、きっと……。

 ……

 ああ、そうだ。あの時からだ。ボクが知ったのは。

 『恩は仇で返ってくるものだ』って。


 目が覚める。

 視界に入ってくるのは、少し暗くなり始めた空。視界の端に、わずかに赤く染まった雲が見える。おそらく、日が暮れる頃なんだろう。

 体を起こそうとするけど、上手く力が入らない。腹部にも違和感がある。でも、不思議と痛みはない。

 何とかゆっくりと上半身を少しだけ持ち上げる。

「しゅ、シュン様ぁ!! 目がぁ、目が覚めたんですねぇ!!」

 ガシッと、ミリアが抱きついてきた。普段ならすぐに引き離すところだけど、そういう気力が湧いてこない。

 ボクの意識がハッキリしていないから……だけじゃなく、彼女が本当に嬉しそうな顔を浮かべているからだ。

 周囲に視線を向ける。すると、ここがリィンバームの外だというのがわかった。なぜなら、はるか向こうに、煙を上げる街が見えたから。

 その視界の中に、ティーネの姿もあった。ミリアの声に気づいて、こちらに歩いてくる。

「シュン……よかったよ。危うく死んじまうかと思った」

「ボク、どうして? なんで街の外に……?」

 ティーネは大きくため息を吐きながら、親指を立てて、ミリアへと向けた。

「コイツ……いや、ミリアのおかげだよ。アンタもアタシも、助けられた。まさか、転送系の法術まで使えるとは思わなったけどね。でも、おかげでアンタを連れて、あそこから抜け出せたんだ。それに、ずっとシュンの治療をしてたのも、ミリアだからね。ちゃんと、感謝しときなよ」

「そう……なんだ。ミリア、ありがとう」

「いえ~そんなぁ。ワタシは~ただぁ、シュン様に死んでほしくなかっただけですよぉ」

 よく見ると、ミリアの目の下にはクマができている。相当疲れているようだ。

「シュン、アンタ動けるかい?」

「えっと、ちょっと待って。よいしょっと」

 ボクは脚に力を入れて、立ち上がってみる。少し頭がクラッとしたものの、きちんと立つことができた。

 体を確認してみる。

 上着には血がべっとりとついていて、大きな穴が空いている。けど、ボクの体には傷は見当たらない。ルードヴィッヒに刺された傷もキレイに消えている。

「うん……何とか歩けるよ」

「そうかい。なら、いくよ」

 ティーネの言葉に頷き、ボクはミリアに手を差し伸べた。

「あ、ありがとうございますぅ」

「いや、それこっちのセリフだから。助かったよ、ミリア」

「あ、あれ? シュン様がワタシにお礼ですか~。なんか、照れちゃいますねぇ」

 ミリアが顔を赤らめる。う~ん、こういう反応されるなら、お礼は言わないほうがよかったかな。

 ボクはミリアを引っ張って、立ち上がるのを手伝った。

 それから、ミリアの手を引いて、歩き始める。

「おい、シュン? どこに行くのさ」

 ティーネが驚いたような声を上げた。

 ボクは振り返らない。なぜなら、そっちには……リィンバームがあるから。

「どこって……逃げるんだよ。もう、あそこに戻っても仕方がないでしょ?」

「はぁ!? アンタ、何言ってるんだい? まだ、ルードヴィッヒのヤツがあそこにいるんだよ! それにノールーツの仲間だって……助けにいかないでどうするんだよ!」

 ティーネがこっちに駆け寄ってくる。

「なぁ、おい! 聞こえてるのか!?」

 ティーネはボクの肩を掴み、振り向かせようとする。けど、ボクはその手をすぐさま振り解いた。

「だからって、ボクらに何ができるのさ! 相手は……黒の兵団は何人いると思ってるの? あんなの、三人でどうにかなるわけないでしょ? それに……それに、ティーネよりも強いヤツだっているし……ボクなんて、剣で刺されたんだよ!? お腹に穴が空いて……こんなの、高校生がどうにかできる話じゃない! 総理大臣とか大統領とか、そういう人たちが頑張るところだよ!」

「そ、そうりだ……? シュン、アンタ何言ってるんだよ? 仲間がいるんだよ? あそこには、アタシ達の家があるんだよ?」

「キミの家、だろ。ボクは……ボクの家は、こんなところじゃない……」

 ティーネはボクの前に回り込む。そして、胸元を掴んで、捻り上げた。

「シュン、お前!! 言っていいことと悪いことが……!」

 ティーネは最初、まるで鬼のような表情を浮かべていた。けど、ボクの顔を見た瞬間、目がカッと開いて……そのまま手を離した。

 ボクは一体……どんな顔をしていたんだろう?

「わかった……シュン。悪かったね、アンタは……所詮、人間だったんだ。アタシ達と一緒にいる義理なんてないもんな」

 ティーネは、俯いていたボクを素通りして、そのまま歩いていく。

「どこに行くのかは知らないけど。まぁ……元気でやりなよ」

 それだけ言い残して、彼女はリィンバームへと走っていった。

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