第4話

「あれ? 今日もヴァスは戻ってきてないの?」

 祝賀パーティーから数えること五回目の朝である。ボクが、ノールーツの食堂で尋ねると、そこにいたティーネが不機嫌そうに応える。

「ああ、帰ってきてないね……アイツはいつもそうさ! 時々姿を消しては、何をしてるのかわかりゃしない」

「あれじゃないの? 何か仕事を受けてるとか」

 ボクはそう言いながら、『請負掲示板』のほうへと目を向ける。

 それは仕事を受けた人が、依頼の内容と自分のサインを記した紙を貼るためのもの。今、誰がどういう依頼を受けているのか、すぐにわかるようになっている。

 だが、そこにはヴァスのサインが入った依頼書はなかった。

「仕事も受けずにブラブラと……カーマインの名前を汚されたらたまんないよ! リーダーも、どうしてアイツを咎めないんだか」

「そういえば、ヴァスはカーマインの副リーダーでしょ? リーダーって人に会ったことないんだけど……」

 ティーネはテーブルに突っ伏した状態で、ボクのほうに、じとーっとした視線を向けた。

「リーダーは忙しいから……なかなか帰ってこないんだよ。前に顔を出したのは……あれ、いつだっけ? ああもう! どうして戻ってこないの!」

 いや、それをボクに言われてもなぁ。

「なんだって、男っていうのは、ああなんだ? 少しは待ってるほうの身にもなってほしいっていうの」

「ううん? 『男』で一括りにしてはほしくないけどね。ボクはそんな冒険心溢れる生活はしたくないから。というか、ティーネはあれなの? その、リーダーのことが好きなの?」

 さっきまでボーッとした表情だったティーネが、急に眼をカッと見開いた。すると、みるみるうちに顔が真っ赤になる。

「は、はぁ? な、ななな……何言ってんだよ! バカじゃないのか、お前……おい、シュン! どこかのバカ狼みたいな、好いただの惚れただの騒ぐ女に……アタシが見えるっていうのかい?」

 うん、見える。今、見えてます。

 ボクの襟元を掴み、ぶんぶんと揺さぶるティーネの姿は、どう見ても恋する乙女である。目がきょろきょろと動いて視線が定まってないし、顔はおたふく風邪みたいに赤くなってる。でも、口元からチラチラ見える牙が微妙に怖いけど……。

「おはようございます~シュン様ぁ」

 後ろからミリアの声がする。

「ああ、おはよう……って、ちょ、ちょっと! 何で下着姿なの!!」

 振り返ると、大切な部分を隠す布以外は、ほとんど身に纏わない状態で、ミリアが立っている。寝起きだからか、眠たそうに目を擦るたび、大きな胸がフニンフニンと揺れて美味しそう……って違う!

「ああ、これですかぁ? ワタシの服って~装飾が多くて~重いんですぅ。だから~外に出ない時はこのほうが楽で~」

 そう言いながら、なぜかこちらに近づいてくるミリア。

「それはわかるけど……でも、ここは食堂だからね! 自分の部屋じゃないから! 恥ずかしくないの?」

「恥ずかしいも何も~ここにはシュン様以外の人間は~、いないじゃないですかぁ。ワタシ~、シュン様にならぁ、何でもお見せできますよぉ?」

 ミリアはボクの腕に抱きつく。すると、二の腕の辺りが、ちょうど柔らかな谷間の間に埋もれる形になって……

「は、はははは離れなさい! ほら、離れて!!」

 ボクはミリアの手を振りほどき、急いで距離を置く。ミリアは不満そうに唇を尖らせる。

「あ、あのね! いくらここが……カーマインが亜人のギルドだからって、油断しすぎでしょ! そもそも、ヴァスみたいに、人間を好きにあるヤツだっているんだから……他にもそういう目で見る人がいるかもしれないよ? もう少し警戒するように!」

 だが、なぜか不思議そうな顔をされる。ミリアに、ではない。ティーネに、である。

「シュン、何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、アレはヴァスが特殊なんだよ。普通は、自分と同じ種族にしか求婚したりしないよ。まさか、ヴァスがそういう趣味……とは知らなかったんだけどね。本来は他種族なんて、そういう対象にならないのさ。まあ、友情は……ないとは言えないけど。猫と犬の夫婦を想像できるかい?」

「え? そうなの? じ、じゃあ、こう……エッチなことをしたくなったりとかは?」

 我ながら、何てことを聞いているのか。

 だが、ティーネはうなだれながらも、その質問に答えてくれた。

「それこそ、あり得ないね。そもそも、他種族の間じゃ、子どもが作れない。はぁ……シュン。アンタって、一体どんな暮らしをしてきたわけ? こんなの常識っていうか、自然と感じ取るもんだと思うけど」

 何となく、バカにされている気はするけど、それは脇に置いておく。

 なぜなら、それよりも大きな疑問が浮かんだから。

「う~ん、それじゃあ、ヴァスは本当に変わりものなんだなぁ」

「まぁ、そいつは否定しないけど……どういう意味だい?」

 ティーネが尋ねてきたので、そちらに視線を向ける。だが、横にいるミリアの姿が目に入り、視線を逸らす。

「ミリア、とりあえず服を着てきて」

「え~、いいじゃないですかぁ。お気に召しませんか~?」

「そうじゃないけど……いや、お気に召しません! さっさと部屋に戻る!」

 よし、理性が勝った! ここは流されちゃいけない場面だった!

 横目で眺めると、不満そうにしながら、自室に戻っていくミリアの背中が見えた。とりあえず、ほっと一息つく。

「で、どういう意味なんだい?」

 ティーネがもう一度、今度はさっきよりもキツい口調で問いただしてくる。

「ああ、え~っとね。実は……七日くらい前かな? ここからだと街の反対側くらいのところでさ、ヴァスを見かけたんだよ。それで、え~っと……前にティーネに教えてもらったような、白い看板のお店に入っていったんだ。人間の女性と一緒に」

「それ、見間違い……じゃないのかい?」

 ボクが頷くと、ティーネは頭を抱えてしまう。

「はぁ~……アタシはさ、せめて一人だと思ったんだよ。ミリア一人なら、何かのきっかけで『そういうこと』もあるのかってね。でもまさか、ヴァスのヤツが、『人間の女』自体を……そういう目で見てたとは。さすがに……呆れた」

 さっきの話を総合するなら、今のティーネの状況はこうだろう。

 仕事の先輩に当たる人物が、本気で犬や猫と結婚しようとするヤツだった。

 うん、自分で考えてて何だけど、落ち込むっていうレベルはないな。ああ、ホント……どうしてあの時、気づいちゃったかなぁ、ボク。

「あの~ちょっといいですかぁ?」

 落ち込むボクとティーネに、ミリアが近づいてきた。今度はいつもの服をきちんと身に着けている。もっとも、それだって相変わらず露出が多いけども。

「ミリア、アンタ残念だったね。ヴァスは別に、アンタじゃなくてもよかったみたいだよ」

 何もそんな言い方をしなくてもいいのでは?

 ティーネはとことん、ミリアのことが気に入らないらしい。

「そんなことは~どうでもいいんですけどぉ」

 そして、この扱いの酷さ。ヴァスの純情はまったくミリアに届いていないのである。まぁ、今回の件で、その純情にもケチが付いた感じだけど。

「なんかぁ、街のほうから~火の手が上がってるんですけどぉ、大丈夫なんでしょうかぁ?」

「「は?」」

 ボクとティーネは、同時に間の抜けた声を上げてしまった。

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