第51話 過去を越えて、進め! 魔法少女

「プレジャー・フライヤー!」


 呪文を唱え、ふたりでエモーショナルスターロッドにまたがる。後ろについた花乃華の方をちらっと振り返って、ひいなは訊ねる。


「どうやって助けに来れたの? ていうかどういう状況?」


 ひいなたちを閉じこめていた列車は消え失せ、線路さえ跡形もない。迷宮としての機能を終えたということだろうか。

 その代わりに、ひいなは過去にとらわれていた。現在を別の形に分岐させる可能性を持っていた、選択の瞬間。線路の転轍機を切り替えるように、別の未来に進めたかもしれないとき。

 過去に残した執着が、ひいなを迷わせていた。


 花乃華はちょっと身じろぎしてロッドにまたがり直す。重みでわずかに傾いだロッドだが、すぐに持ち直す。


「わたしも無我夢中で、よくわからない。ただ、ひいなたちはあの黒い液体に呑み込まれて、わたしだけが、壊れた電車から外に放り出されたの」

「何で花乃華ちゃんだけ?」

「さあね。逆に、ひいなはあそこで何を見たの?」

「昔の自分。10年前の……」


 つぶやきながら、ひいなは何となく、花乃華だけが助かった理由を分かった気がする。

 ひいなのように、可能性に迷った瞬間が、花乃華にはなかったからかもしれない。おそらく、そこまで重大な転機が、花乃華には訪れていないのだろう。何せ彼女はまだ13歳で、しかもひいなよりよほどしっかりしている。自分の行動にきっちり納得し、確信を持ち、前に進んでいる。

 迷った選択に心をとらわれることなんて、花乃華にはないのだ。


「……あのとき、ああしたらよかった、って、今でも思う瞬間。そういうのに、迷い込んでた」

「じゃ、ファニー・フロウやアール・コラージュも?」

「たぶんね。だけど、どこにいるんだか……」


 あたりを見回しても、やはり世界は夕暮れ色の海だ。空と海が同じ色をしていて、水平線さえ判然としない。茫洋とした景色は砂漠のようで、ときとして、先の見えない壁よりもよほど人を迷わせる。ひょっとして天地がひっくり返っているのじゃないか、と、ひいなはつかのま錯覚する。


 そんな空間のどこに誰が閉じこめられているとか、分かりっこない。


 無我夢中だった、と花乃華は言った。手がかりなんてなく、ただ必死でひいなを求めて、ようやくたどり着いたのだろう。なんというか、それもちいさな奇跡に思えた。


「……一生懸命だったんだね、花乃華ちゃん。ほんとにありがとう」


 ロッドの上で体ごと振り返り、ひいなは花乃華にしみじみとした言葉を告げる。


「何、いきなり」


 きょとんとする花乃華の頭をわしゃわしゃと撫でると、花乃華は一瞬怒ったみたいに顔をゆがめたけれど、そのうち、なすがままにそれを受け入れた。かわいらしいなぁ、と思うと同時に、なんとなくほっとする。

 頭を撫でられるのが平気なくらい、花乃華は他人を恐れていない。虐げられて育った子どもは、相手が手を挙げると反射的に怖がるという。叩かれる、という可能性が真っ先に立つからだ。

 花乃華の家はどうやら母子家庭で、仕事で疲れた母親の世話もすることがあるらしい。それと同時に、魔法少女もしていて、ダンジョンを攻略してお金を稼いでいる。いろいろ大変だろうに、彼女はとても健やかに育っている。


 なるほど、迷うことなんてなかったに違いない。いつだって、最善と思える道を歩めたんだろう。

 これからも、そうやって幸せでいてほしいと、ひいなは願わずにいられない。


「……しつこい。いつまでもかまわないで」


 渋い顔で花乃華は首を振って、ひいなの手を追い払う。あんまりかまいすぎると、犬でも子どもでも怒る。相手の気持ちを思わない溺愛はたいていいい結果にならないのだ。肩をすくめてひいなは手を引いた。


「それより、あの子たちを探さないと。どこから手をつければいいかな」


 いつもの冷静な表情を取り戻した花乃華が言う。とはいえ、みなみや千織がこことは違う空間にとらわれてしまったのなら、探しようもない。


「花乃華ちゃんが私を見つけたとき、何か、きっかけとかなかった? ここだ、って分かる瞬間、みたいな」

「必死だったから……でも、そんなに焦らなくても大丈夫だと思う」


 遠くから、海を渡る横風が吹き付けてくる。花乃華が、ひいなのおなかあたりに手を回してきた。体勢を維持するための何気ない仕草なのだろうけど、ひいなはそれについ、どぎまぎしてしまう。花乃華の気配が近くにあるのだ、と意識してしまうと、よけいに緊張する。

 花乃華は、自分を支えるようにひいなに体重を預けながら、言う。


「ひいなのときもそうだった。空が揺らいで、その向こうにひいなの姿が見えたの。わたしはそれに導かれて、ひいなを助けに行くだけでよかった。たぶん、ひいなが自分から迷いを抜け出そうとしてたから」

「……そうかな」


 たしかに、そうだったかもしれない。

 ゲヘナを助けて世界を滅ぼすとか、パノンの言うままにゲヘナを完全に消し去るとか、そんな結論を導き出すことはあり得なかった。

 たとえ幼くて、無知で、考えなしだった過去の自分でも、そのときにできる最善の選択をした。それは、ひいな自身の確信だった。

 それに。


「別の可能性を選んでたら、花乃華ちゃんには会えなかったものね。そんな道、選ばないよ」


 いま、すぐそばにいる温もりを失うことなんて、考えられなかった。

 花乃華は「バカ」と、優しい声でつぶやく。ぎゅっ、と、おなかを抱く手に力がこもったのは、怒っているせいじゃない、と思う。左手の指のこまやかな感触が、服の上からでも、はっきりと感じ取れるみたいだった。


「……だから、ファニー・フロウたちも、きっと自力で何とかすると思う。わたしたちはそれを見極めて、助ければいい」


 照れ隠しに目をそらして、花乃華はひとりごとのようにつぶやいた。ひいなは、ちょっと首をかしげる。


「信頼してるの? あの子たちのこと」


 ファニー・フロウとアール・コラージュは、花乃華の仲間である美鈴を傷つけ、クリプティの素材を事実上強奪した。そんな相手なのに、ふしぎと花乃華は、彼女たちの力量や精神を疑っていないような言動をする。


「強いのは確かだから。結局、いっしょに行動して損はなかったと思うし」

「そう? この階層での戦いなんて、疲れるだけであんまり利益になってない気がする」


 つぶやきながら、ひいなは、不意に違和感に気づく。


「花乃華ちゃん、ここに来てから、あんまり素材集めてないよね」

「……」

「あんなに稼ぎにこだわってたのに。どうしたの、花乃華ちゃんも断捨離に目覚めた?」

「違うよ、ひいなじゃあるまいし」

「だから私のは無趣味なだけだって……」


 苦笑しながら、しかし、ひいなの疑問は消えない。


「お金稼ぐためにダンジョンに来たんでしょ、花乃華ちゃん。素材を集めないんじゃ、意味なくない?」


 ダンジョンのクリーチャーを倒し、素材を獲得し、マクリーに頼んで換金することで利益を得る。それがダンジョン探索者の目的の最たるものだ。ひいなだって、花乃華に言われて、お金につられてダンジョンに挑み始めた。

 もともと、花乃華だって、稼ぎのためにダンジョン攻略を始めたはずで、だからどの階層でもしっかり素材を集めようとしていたし、集められなければ残念がっていた。


 なのに、さっきの列車の中で、花乃華はほとんど素材を集めていなかった。

 急に興味を失うなんて、おかしい。


 花乃華はひいなに体重を預けたまま、黙り込んでいる。そうしていると、呼吸とか、鼓動とか、ふだんは聞こえてこない音までが感じられて、ひいなは戸惑ってしまう。疑問と、驚きと、喜びと、不安と、いろんな感情がいっぺんに押し寄せて、頭の中のものを考える部分が片隅に追いやられていく。


 こんなに間近に花乃華を感じていると、たくさんの感情で心がいっぱいになってしまう。


「……考えていたことがあるの」


 花乃華が、突然、口にする。

 何、と、問いかけようとして、でも、ひいなの口はほんのちょっと開いたまま動かない。声にならない。


 そして、花乃華は言った。


「メノンタールとの戦いが終わったら、わたし、魔法世界に行こうと思う。ファニー・フロウたちみたいに」


 ぐ、と、ひいなは息を呑む。

 次の瞬間、花乃華は上目遣いで、ひいなの目をのぞきこんだ。今までにない間近から、そっと、ひいなの心にプレゼントをするように、告げる。


「ひいなもいっしょに来ない?」

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