第32話 謎多き迷宮をゆく
花乃華のおかげでひいなも元気を取り戻し、3人はまた探索を再開する。花乃華と美鈴が先に立ち、その後ろをひいながついていく、さっきと同じ構図だ。
でも、ひいなとしては、花乃華の後ろ姿を眺めているだけでも安心だった。美鈴に花乃華を取られたような気がして落ち込んでいた時とは、ぜんぜん気分が違うし、そうすると視界の見え方も変わってくる。
揺れる花乃華の銀色の髪が、前よりいっそう輝かしく見えた。それを後ろから守れる自分も、とても誇らしい。
にやけたひいなの脇に、ふと、美鈴が近づいてくる。すこし歩調を落として、ひいなの横に並んだ美鈴が、声をかけてくる。
「少しいいですか、ひいなさん」
「何?」
今度は美鈴が怒る番だろうか。花乃華に頭を抱かれ、顔を寄せられたことに、文句を言うつもりなのだろうか。
恐々とするひいなを横目に、美鈴は冷静な微笑を浮かべている。
「僕、お邪魔ですかね?」
「え、いや、そんなことは」
ないといえばない。美鈴のおかげで、第16階層の攻略は順調だ。
あるといえばある。花乃華とふたりでの探索の方が、気が楽だ。
口ごもるひいなを見て、美鈴は笑みを浮かべたまま、言う。
「正直、もっとひいなさんにちょっかい出したかったんですよ。花乃華を手懐けた大人の女ってのがどんな人なのか、気になってて」
「手懐けてはないよぉ」
むしろ自分が懐いている側だ、と、ひいなも自分で認識している。
花乃華には、気持ち的に、何度も助けられているから。
美鈴は目を細めた。確かにその通りだ、とでも言いたげな、納得の視線。
「ですよね。もっと手強い人をイメージしてたんですけど、なんか張り合いなくって、拍子抜けです」
「それは……ご期待に添えず、申し訳ない」
美鈴と花乃華の様子を見て、勝手に落ち込んだかと思えば、花乃華のおかげで回復する。
そんな、情けなくて頼りない大人が、ひいなの実像だ。
おそらく、美鈴のような精神的に大人びた子にしてみれば、ひいなだって幼く見えるだろう。
「でも、逆に安心しました。花乃華が悪い大人にだまされてる、とかじゃなくって」
「だまされるような幼気な子じゃないでしょ」
「ええ」
「目と鼻の先で人の噂話しないでくれる?」
振り返った花乃華が、ひいなと美鈴を順々に睨んだ。
「あっはは、ごめんごめん。つい、ね」
「褒めてたのに、花乃華ちゃんのこと」
「あれは褒め言葉じゃないでしょ」
花乃華は「まったく」とため息をついて、前に向き直る。彼女のご機嫌を取ろうと、美鈴が歩み寄って花乃華に何か話しかけている。なだめるようでもあり、とはいえ、腰が低いわけでもない彼女の仕草は、成熟した女性のそれに見えた。
花乃華もたいがい物に動じない子だが、美鈴はなおさらだ。
ひいなの魔法に巻き込んでやったら、どんな顔をするだろうか。そんな悪戯心さえ湧いてくる。
でも、美鈴の微笑以外の表情が、うまくイメージできない。そこが頼もしくもあり、ちょっと危うくも思える。
(そういうところは、なんか、似てるな。花乃華ちゃんと美鈴ちゃん)
床に這いだした木の根を飛び越え、散らばる枯葉を蹴散らして、3人は進んでいく。
まっすぐ進む通路の脇、みっしりと密集した木の幹を力ずくで押し広げて、奥へと踏み込む。
「ねえ、こんなとこ踏み込んでく必要ある?」
花乃華が眉をひそめて問う。たしかに、せっかく通路が続いているんだから、ふつうに進めばいいようなものだ。
「まともな進み方じゃ、たどり着けないみたいなんだよね。毎回マッピングしてるんだけど、いつも、どうしても進めない箇所が出てくる」
「美鈴はこまめね」
「花乃華みたいにガムシャラじゃないんだよ。どうせそっちは地図も持たずに力ずくだろう?」
「うるさい」
ひいなはふたりの会話を静かに聞きながら、地図ぐらいは描くようにした方がいいだろうか、と思う。マクリーに頼めば、探索用のアイテムくらいは貸し出してくれるかもしれないが、それがどれほど信用できるかひいなはいまいち確信できない。
この間もマクリーと少し話したが、管理妖精であるマクリーにしてもダンジョンのことはまだすべて知ってはいないらしい。どんな思いも寄らない現象が起こらないとも限らないのだ。
もっと、警戒した方がいいのかもしれない。
進む彼女たちの行く手に、やたらに太い蔓草が生い茂ってくる。
蔓に生えたトゲは拳大ほどもあって、触れれば切り傷どころか肉をえぐられかねない。そんな、電流の通じる鉄条網のように危険な網が、壁と言わず床と言わず張り巡らされ、通り道を塞いでいる。
ひいなは足下を見据えながら、おそるおそる蔓草をよけて進んでいく。つま先立ちで、頭上を警戒しながら、まるで泥棒になった気分だ。
似たような仕草で歩を進めていた花乃華が、うんざりしたように傍らの美鈴に目をやる。
「美鈴、これ退かせない?」
「これだけの密度だと、追い払うのも一苦労だね」
「それなら私がやろうか?」
後ろからひいなが提案すると、美鈴が振り返る。
「いいですけど、気をつけてくださいね。刺激すると襲ってくる可能性が」
「それはやっかいねぇ……でも、なら」
エモーショナルスターロッドを構え、ひいなはふたりの前に立つ。一瞬、生い茂る蔓草が、彼女に警戒したかのようにざわめいた気がした。野生動物どころかクリーチャーさえとらえてしまいそうな巨大なトゲが、ひいなに狙いを定めているように思える。
しかし、ひいなは怖くない。今の彼女は、花乃華に励まされて、至極陽気だった。
「ハッピィ・ラッキィ・トルネードっ!」
ごうっ、と、暴風のような一撃。
ひいなの最大火力、自信満々の一発が、通路に充溢する蔓草を根こそぎなぎ払う。
<ギュッ!>
蔓草が一瞬、蒸発する水滴のような音を立てたが、そのまま何もできずに焼失した。巨大なトゲの中心にあった太い芯のような素材が、ばらばらと通路に散らばる。
目の前には、すっかり見通しのよくなったまっすぐな道。
「よし、快調」
ぽん、と、まだ魔力の残るエモーショナルスターロッドをひとつ叩いて、ひいなは満足する。
「ほんと、調子に乗ったときのひいなは法外よね……」
「今のペースを維持したいなぁ。花乃華ちゃん、もっかいくらい頭ぎゅってしてくれない?」
「安売りしたら目減りするでしょう。それにやりすぎると、耐性ついて効かなくなるよ」
「自分を麻薬かカフェインみたいに……」
軽口をたたきながら歩み出しかけた、花乃華とひいな。
しかし、ふと何かを感じて、ひいなは立ち止まった。見れば、花乃華もひいなと同じくらいの位置で足を止めている。
「何か、音しなかった?」
花乃華が言って、ひいなはうなずく。
微震のような、かすかで長い音が、ダンジョンの天井近くから聞こえてくる。
とっさに飛び退いた。
花乃華もいっしょに下がる。
ふたりの後ろに突っ立っていた美鈴は、呆然として天井を見上げ、動こうとしない。美鈴を追い越したひいなは、彼女の肩に手をかけて引っ張ろうとした。
一瞬、美鈴が、拒絶するように肩に力を入れる。
次の瞬間、ずずん、と、足下が揺れた。
さっきの微震が本震になったみたいな衝撃で、ひいなはよろめく。姿勢を崩した花乃華にとっさに手を伸ばし、ふたりは互いの体重を支え合う。転ばなくてよかった。
その間、美鈴はずっと、上を見上げたままだった。
そして、震動がやむ。
人心地ついて前に向き直ったひいなは、そこに現れたものを見つめて、眉をひそめる。
「……何、これ」
見上げるほどの大きさを持つ、楕円形をした物体。表面は樹皮のようなもので覆われ、わずかに熱を持っているようだ。落下のショックで左右にゆらゆらと揺れるそれは、そのうち、動きを止める。
ひいなの目には、それは、何か巨大な植物の種であるように見えた。
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