第22話 強い絆と心のヒビ

 花乃華の両腕が、ひいなの肩を抱く。中学1年生の女子の、まだ成長途上の腕はほっそりと頼りなげで、どうやってこんな体で戦っているのか、と、ひいなは不安になる。

 でも、そんな脆い腕に抱かれたまま、ひいなの方こそ何もできないのだ。


 心配かけさせないで、と花乃華は言った。

 心配していたのはこっちの方だ、と、ひいなは思う。

 けれど。


「いきなりはぐれて、何も分からなくて、やっと合流できたと思ったらこの有様。で、ひいなは、何も言わないし」


 花乃華が切々と訴える。声を発するたび、彼女の体がかすかに震えるのを、ひいなは背中で感じていた。


「不公平だ」と、花乃華はつぶやく。いつもの独り言のようでもあり、ひいなへの抗議でもあるような、内向きさと外向きさを併せ持った声音。

 何が、とひいなが問うより前に、花乃華はまくし立てる。


「前の時。スライムに呑まれそうになって、助けてもらって、で、わたしが泣いた時。ぜんぜん、わたし、感情を抑えられなくって、自分でもびっくりするくらいにわぁわぁ泣いて……あれ、ひいなの魔法のせいでしょ?」


 そうだ。ひいなの魔法に花乃華を巻き込んでしまい、恐怖の感情を増幅させられた花乃華は身も世もなく泣きじゃくった。あの時のことは、今までちゃんと話していなかったけれど、花乃華はずっと気にしていたのだ。

 怒っているのかな、と、ひいなは怯える。ひいな自身の感情から吐き出され、他人の感情を揺さぶる、人の心を脅かす魔法。それが花乃華に被害を及ぼした。そのことをまだ、許していなかったのだろうか。

 ひいなの心が、また縮こまる。床一面に流れ出した液体が、波打つ。


「わたし、本当は安心してたんだ。あの時」


 なのに、思いがけないことを言われた。


「え」

「わたしだって、ぜんぜん、素直に気持ちを話すのなんて苦手なわけ。パナケアのみんなとは、さすがに遠慮なく話せるようになったけど、ひいなとは、ちっとも」

「そう、かな?」


 つい、疑問を口にしてしまう。最初にあった時から、花乃華は物怖じしないし、大人のひいなに対しても遠慮なくものを言うし、引っ込み思案なところなんてなかった。気が強いけれど、率直な子なのだろうと、そう考えていた。

 そんな子に、魔法で涙を流させるなんて、ひどいことをした。

 そう思ったからこそ、ひいなは罪悪感を覚えていたし、話しづらいままでいたのだ。


「そうなの」


 花乃華は、きっぱりと言った。


「それで……ひいなの魔法で泣かされて、みっともないとこ見せて。さすがに恥ずかしかったから、あの後はつっけんどんな態度とっちゃったけど……でも、安心したのもほんとう」


 忘れて、と花乃華は言ったけれど、ほんとは忘れて欲しくなんてなかったのか。あるいは、簡単には忘れられないことも承知でのことかもしれない。


「一度くらいは、弱いところやダメなところ、見せておかないと、大事な人にはなれないんだよ」


 そう言って、花乃華は、ひいなをひときわ強く抱きしめる。

 彼女の腕は強くて。

 強すぎて。


「痛い痛い痛い痛い!!」


 ひいなは叫んでいた。花乃華の腕力は、変身しているせいもあってかかなり強烈だ。加減なしに抱きしめられると、骨格や筋肉が悲鳴を上げてしまう。

 しかし花乃華は、あらゆる声にいっさい耳を傾けない。


「なのにひいなは、自分の気持ちをちっとも見せてくれないから!」


「だから痛いってば!」


「いっつもへらへらしてるし、肝心な時はわたしの心配ばっかだし、こんなに……」


 地団太を踏むように、花乃華は、足下を何度も何度も踏みしめる。

 ひいなのまき散らした、グルーム・ドゥームズ・ソリューションの残滓。花乃華とはぐれたひいなの憂鬱を体現した、感情の汚泥。

 それを、花乃華は、どしどしと踏みつぶす。


「こんなに、こんなに、こんなに暗い気持ち抱えてるのに、わたしにはちっとも見せてくれなかった!」


 ぐちゃり、ぐにゃり、ずしり。

 様々に音を変えて、床を踏む響きがダンジョンに鳴り渡る。魔法によってヒビ割れた床は、そのうち、花乃華の脚力のせいで壊れてしまいそうだ。


 ずん、と。

 花乃華は最後に一度、思い切り床を踏みつけた。


 びりっ、と、ひいなの全身にまで震動が伝わってくる。

 花乃華の踏んだ床の揺れだったのか、それとも、花乃華自身の震えだったのか。


 腕の力を緩めて、花乃華はひとりごとのようにつぶやく。


「……結局、わたしばっかり喋ってる」

「ごめん」

「謝るくらいなら、もっと身のある話をして」


 深いため息が、ひいなの後頭部に生ぬるい感覚を残す。花乃華に、こうして頭の上から触れられるのは奇妙な体験で、胸がこそばゆくなる。成長して、それなりの背丈になってしまうと、他人に頭のてっぺんから包まれることなんてなくなってしまう。

 自分より背が低くて年下の花乃華だから、こうして、素直に抱擁を受け入れられるのかもしれなかった。


「魔法少女だから、って、魔法でしかコミュニケーションが取れないなんて、そんなのないよ。魔法以前に、少女なんだし」

「女の子は本音で話したりしないものだよ?」


 ひいなは苦笑混じりに言う。また、花乃華にきつく抱きしめられた。のどから変な呼気が漏れる。


「今はそういう話じゃなくて。ひいなは、なんか、結局魔法に束縛されてるみたいに見える」

「今は花乃華ちゃんに束縛されてるけど」

「ああもう、そうやってごまかす」


 もそっ、と、花乃華がかすかに動く。首を振ったのだ、と、ひいなは何となく感じた。あきれたのか、諦めたのか、どっちかのような気がするけれど、分からなかった。


 そして、花乃華はそっと抱擁をほどいた。

 ひいなは振り返る。今の花乃華の顔を知りたかった。

 花乃華は、普段通りの静かな無表情で、じっと遠くを見ていた。


「時間はかかるかもしれないけど。ひいなのこと、もっと話してくれたら、嬉しい。後輩だけど、わたしも仲間だから」


 こちらを見ないで告げる言葉。だからって、別に嘘やごまかしではないのは、分かる。やっぱり花乃華も、あけすけにひいなに本音を喋るのは、まだ面映ゆいみたいだった。

 似たもの同士なのかも、と、ひいなは思う。


 ひいなは何も言わずに、立ち上がった。

 いつの間にか、自分でも気づかなかったけれど、床一面に散らばっていた黒い粘液は消えてなくなっている。魔法の痕跡は、あたりの床と壁に走るひび割れと、魔法の溶解力によってえぐり取られた細い溝ぐらいだ。


「これだけ壁が崩れてるなら、一気に先に進めそうかな」


 花乃華は両手をこすりあわせながら、言う。彼女の手の中には、すでにエメラルド色の魔法の光が宿っている。腕力にものを言わせて、壁を手当たり次第破壊していこう、というつもりのようだ。


「さっきみたく、罠に引っかかるかもしれないけど」

「それは気をつけないと、だけど。でも、見て」

「ん~?」


 ひいなと花乃華はいっしょに床を観察する。ヒビ割れと溝でぼろぼろになった床は、しぶとくその構造を保ってはいるものの、もう見る影もない。

 そんな、ぼろぼろになったタイルのいくつかが、まるで生きているようにうごめく。そのうち一枚が、苦痛に耐えかねたようにくるりと回転して、悲鳴を上げた。


<キィィィィィ!>


「トラップ床も、要はクリーチャーの一種なんだろうね。ああやって反応するわけ」

「つまり、片っ端から魔法でぶっ飛ばせばわかると?」

「手っ取り早くすませよう……ふん!」


 花乃華は魔力をまとった拳で、床を殴りつける。

 エメラルド色の魔力がひび割れを通じて、床と壁全体に伝わっていく。まだダメージを負っていなかった部分も、魔力に内側から浸食されたらしく、電気を通された魚のようにびくんと跳ね上がる。

 床のタイルのいくつかが、顔を出し、悲鳴を上げ、暴れ回る。


 片や、じっとその場にとどまっているタイルからは、うっすらと魔力の輝きが放射されていた。魔力を浴びても微動だにしないただの石、安心できるルートだ。

 まるで、エメラルド色の道ができたみたいだった。


「これを通っていけば、大丈夫でしょう」


 花乃華はそう言いながら、さりげなく、ひいなに手をさしのべる。


「でも、万一のこともあるから、手をつないでいこう。はぐれないですむし」

「……怖いの?」

「怖いに決まってるでしょう。暗いところに閉じこめられるの、あんまり得意じゃないの」


 さっきのトラップ体験は、けっこう、花乃華にトラウマを残していたらしい。あんなに感情を露わにしたのも、そのせいかもしれなかった。

 ひいなはかすかに笑って、花乃華の手を握った。

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