第11話 戦の後はパーティナイト!

 真黯城ダンジョンを出ると、あたりは騒々しい夜の街だった。


 この一帯はもともと寂れた市街地だったのが、真黯城ができてから「ダンジョン横町」と名を改めて、たいそう好景気になったらしい。

 ダンジョンで一稼ぎした浮かれ気分の探索者たちを当て込んだ、飲食店やら娯楽施設やらが軒を連ねている。ひとりでも多くの客を引っ張り込もうと、客引きたちが躍起になって声を張り上げる。初秋の冷えた空気を吹っ飛ばす熱量が、街の隅々まで溢れている。


 きらびやかな店のサイネージが、ひいなの目を引く。食欲をそそる匂いがあちこちから漂ってきて、疲れた体に染み渡っていくみたいだった。


「よーっし、呑みに行くぞーっ!」

「わたしも?」


 花乃華が眉をひそめて訊ねる。変身を解いた彼女の私服は、ちょっといいところの女子中学生という感じで、頭のてっぺんから靴のつま先まで品がいい。変身時のクラウンブレード風の編み込みをほどいて、長い黒髪を背中に垂らしている。


「任せて、ドリンクバーならいくらでもおごっちゃうよ!」

「いくらでもはないでしょ」

「あっはっは、ごめんごめん。大金の使い方なんてよくわかんないし」


 ダンジョンで稼いだ泡銭で、ひいなの懐はいつになくあったかい。せっかくだからぱーっと使ってしまいたいけれど、その「ぱーっ」のイメージが貧弱すぎて、何も思いつかないのだった。

 当て所なく目移りするひいなを、原色で彩られた店構えと、威勢のいい呼び込みの声がいざなう。


「うーん、あれも、これも、何でも良さそう……」


 ぼーっと眺めているうちに、色も、音も、ごっちゃになってくる。

 ぐるぐると、あたりの景色が回転し始める。


「あれ?」


 一瞬、意識が飛んだ。


「ひいな?」


 気づけば、ひいなは、花乃華の腕の中にいた。

 ひいなの視界いっぱいに、美しく整った花乃華の顔。細い目がいくぶん見開かれて、戸惑いを隠せない様子だった。そういう顔の方が年相応だな、とひいなは思う。

 強い魔力を操って猛烈な打撃を繰り出す両腕は、やっぱり中学生らしく、まだ細い。これからもっと成長していく、その前段階だ。


「……ひいな?」

「っと、ごめん!」


 ひいなは慌てて、花乃華の懐から飛び退く。おっとっと、と、軽くよろめいてしまう。花乃華はそんなひいなを見つめ、首をかしげる。


「大丈夫? 歩ける?」

「平気だって」


 とは言うものの、ひいなは確かに疲れを感じていた。全身のあちこちにちょっとずつ重石を乗せたような感じで、バランスは取れているのだけど、何となく体が重たい。

 何せ、10年ぶりに魔法を駆使して、あんな巨大な魔物と大立ち回りを演じたのだ。体も心もヘトヘトになっていたっておかしくはない。今日の疲労と、それから明日の筋肉痛が恐ろしい。


 両腕をさすっていたひいなの前に、ふと、人影。


「おねえさんたち、だいじょうぶ~?」


 見るからにちゃらい感じの男が、ひいなに話しかけてきた。こちらもダンジョン帰りだろうか、やたらにテンションが高い。


「そのへんでちょっと休んでかな~い?」


 ”な~い?”にアクセントのある鬱陶しい口調で言われて、ひいなは首を振る。


「けっこうです」

「何それウケる~」


 何がだ。とひいなが突っ込む前に、花乃華がひいなの手を引いた。


「もう帰ろ、ひいな。今日はもう休んだ方がいいって」

「ほらほら~いいお店あるんだって~」


 いっさい話を聞く様子もなく、男は執拗に絡んでくる。こちらの都合などお構いなしの、無遠慮な距離感で顔を近づけてくる。酒臭い吐息を浴びて、疲れていたひいなの頭に一気に血が上る。

 もしも花乃華に手をかけるようなら……


「あんたうざい」


 花乃華が低い声で言う。


 男は、あっけなくその場に尻もちをついた。


 ついでに勢いで1メートルばかり尻でアスファルトをこすった男は、呆然と花乃華を見上げる。えぐいくらいに腰穿きだった男のジーンズが完全にずり落ちて、トランクスが丸出しになっていた。


「え、ちょ、お前、今何したの?」


 面食らった男は、至極平凡な言葉しか口にできない様子。花乃華は肩をすくめた。


「魔法」


 そして、ひいなの手を引く。花乃華の右手は、力強くひいなの手を握る。

 そうだよね、と、ひいなは内心で満足する。

 私たちは魔法少女だ。異世界の巨大な悪とだって真っ向勝負する、強い女の子だ。その辺でウェイウェイしている男なんか物の数ではない。


「行こう、ひいな」


 まっすぐに前を向いて歩き出した花乃華に手を引かれて、ひいなも歩く。とことこと早足で、こちらを振り返らずにまっすぐ道を進んでいく花乃華の様子に、すこし途惑う。

 ひいなは、ふと、手を握り返す。


「……どうしたの」


 ちらっと目だけでひいなの顔を見て、花乃華は言う。ひいなはちょっと首をかしげる。


「こっちの台詞だよ。どうしたの、急に慌てて」

「……」


 花乃華は、軽くうつむいて、歩調をゆるめる。賑やかなダンジョン横町から離れた一角は、駅と繁華街の狭間にあって、重たさを感じるくらいに静かだった。

 とうとう、花乃華は足を止めた。ひいなは彼女のそばに寄り添うように、立ち止まる。


 しんとした中に、花乃華の声がする。


「恥ずかしくなった。さっきのあいつ、昔のわたしに似てたから」

「あんなパリピが?」


「はじめて魔法少女になったときも、ダンジョンに最初に来たときも、いつも浮かれちゃってた。あとから思い出して、めっちゃバタバタするの。傍から見ると、わたしもあんな感じなのかな、って思ったら、イラッとして、余分に怒っちゃった」


 暗い道路の白線の上を踏みつけながら、花乃華は苦々しそうな声で言った。肩にまとわりつくものを振り払おうとするみたいに、首を左右に振る。


 その潔癖さに、10代の頃の自分を思い起こさせられて、今度はひいなの方が恥ずかしくなる。もやもやして、むずむずして、手の届かない虫刺されみたいにもどかしい。うっかりすると、魔法の力が飛び出してしまいそうだった。

 なぜって、そんな潔癖さは、ひいなも身に覚えがある感情だから。

 そういう純粋さこそが得難い才能なんだ、と、言われたことを思い出す。


「……花乃華ちゃんも、魔法少女なのねぇ」

「何、今さら」

「いいんだよ、気にしなくて。そうやって身もだえしながら成長していくものさ」

「偉そう」


 花乃華が振り返って、顔を上げる。

 黒い髪が、渦を巻くように、夜気の中で揺れた。


「でも、ありがとう」


 花乃華は、はにかんで笑う。下唇を前歯で噛んで笑いを堪えながら、でも、隠しきれない感情が、細めた目元からにじみ出る。

 白い笑顔が、真夜中に咲く水仙のように輝く。


 それが、なんだか、今宵一番の魔法みたいで、ひいなは見とれた。


「ね」


 まっすぐ、花乃華がひいなを見すえる。

 照れくさくて、とっさに目をそらした。


「な、何?」

「ひいなの家って、駅からどっち乗ればいいの?」

「……え?」

「え?」


 花乃華は不思議そうな顔をした。自分の言葉の意味ははっきりわかっているし、相手が何を疑問に思っているのかが理解できない、という表情だ。


「……部屋まで来るわけ?」


 ひいなの問いかけに、花乃華は思い切り眉をひそめて、答えた。


「当然でしょ?」

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