第9話 必殺技はアロマの香り!

 いっせいに襲い来るクリーチャーからひいなたちを守っていた魔法の盾が、ばきん、と砕ける。


「じゃまっ!」


 火花すら散らして輝くエモーショナルスターロッドを一振りするだけで、クリーチャーどもは一気に吹っ飛ばされる。

 ひいなの手の中で、エモーショナルスターロッドは、今にも爆発しそうな勢いで荒ぶる。


 花乃華を抱き寄せたときのぬくもりは、ひいなの胸のなかにまだ熾火のように燃えている。

 その熱が呼び起こすエネルギーが、魔法の杖に力を与えていた。


「花乃華ちゃん、行って! 私が守る!」

「任せるよ!」


 きっ、と正面を見据え、花乃華は解体姫めがけて跳ぶ。


 その背中を支えるべく、ひいなは、エモーショナルスターロッドの先端を正面に向けた。

 魔力が竜巻となって、杖を包み込む。



「ハッピィ・ラッキィ・トルネードっ!」



 光の波濤が渦を巻き、空間を貫いていく。

 無数のクリーチャーを巻き込み、壁や床をも抉り砕きながら、解体姫の胴体めがけて渦が突進する。


 直撃!


<ぎぎぎっ!!>


 解体姫の絶叫がダンジョンに轟く。

 トルネードと十二単がぶつかり合い、せめぎ合い、耳をつんざく衝突音。


 その接触面、ひいなの魔法が穴を開けた防御の狭間に、花乃華が飛び込む。

 十二単の上衣の下、秋を思わすかさねの下に、白いあわせが見えた。


「ジュニパー・スパイラルコンビネーション!」


 エメラルド色のオーラを宿した花乃華の拳が、解体姫の懐に食い込んだ。

 一気呵成に放たれるコンビネーションは、切れ目なく姫の衣に打撃を与える。


 数多重ねられたうちぎが、花乃華の拳によってだんだんと削り取られていく。その奥に、きっと姫の本体があるはず。


「ひいなが開けてくれた道、無駄にはしない……!」

「花乃華ちゃん、上!」


 ひいなは叫ぶ。花乃華の頭上で、解体姫の口が大きく開かれ、奥から銀色の巨大な刃物と鉗子かんしが顔を出す。ドロドロの不気味な粘液をまとわせた器具が、花乃華に襲いかかる。

 即座に、花乃華は解体姫の衣を蹴飛ばし、距離をとる。刃物の切っ先は、ぎりぎりで花乃華のつま先のほんのすこし前を通過した。


 ひいなのそばに着地して、花乃華は舌打ち。


「押し切れなかった」

「大丈夫だよ、これだけダメージを与えたんだし、もうちょっと……」


 言い合うふたりの目の前で、解体姫は、ぐわっと両腕を持ち上げ、後ろへと上体を傾がせる。

 ずるり、と、肩から衣が滑り落ちる。

 そして次の瞬間には、真新しい衣の鎧が解体姫を包んでいた。


 花乃華が眉をひそめて「反則でしょ……」とひとりごつ。ひいなも同感だった。再生能力が高すぎる。


「どうするよ……トルネード、もう一発くらいは撃てるかもしれないけど、同じやり方じゃ二の舞だし」

「……」


 一瞬、花乃華が、自分の指先を見つめる。彼女の手のひらにともるエメラルド色の輝きは、ひいなとは別の世界からもたらされたであろう魔法の力だ。

 本当なら出会うはずのない、ふたつの魔法が、この場に重なり合っていると思うと、不思議な気分だった。


「ひいな」


 花乃華が目線をあげた。何、とひいなが言い掛けるより先に、花乃華はこちらにその右手を伸ばしてきた。


 ちょん、と、ひいなの鼻の先っちょに、花乃華の指が触れる。

 その幼くて小さい、細い指先には、ほんのりと淡い香りが宿っていた。花乃華の匂い、あるいは、花乃華の身に染み着いた魔法の匂い。

 魔法には匂いがある。ひいなは10年前の経験で、それを知っている。魔力を放つとき、魔法の力が満ちるとき、彼女にはその感覚を匂いで感じ取れる瞬間があった。ひいなのそれは、うっすらと熱を持った、人肌のそれに近い匂い。

 花乃華のそれは、もっとさっぱりして、涼やかな植物の匂いだ。


「わたしの魔力、ちょっとだけ貸す。集中力が増強して、精神が清らかになるんだって」

「清らか、ねぇ」

「その気持ちで、魔法、使ってよ。感情で魔法が使えるんでしょ?」


 ひいなは、花乃華の意図を理解する。

 花乃華の魔法は、ただ物理的に攻撃するだけじゃない。人の感情を操作する作用があるのだ。ジュニパーの名は伊達じゃないらしい。それはかつて魔除けにも用いられた、古式ゆかしいアロマの名。


 すっ、と、息を吸い込む。

 魔法が体に満ちるみたいにして、頭の中がすっきりとしていく。五感が研ぎ澄まされていく感覚。


 真正面、敵の姿を見据える。

 巨大な十二単をまとい、白い面に邪悪な顔を浮かべたクリーチャー。単衣の襲は、さっきまでとは異なっている。まるで季節が移り変わるみたいに、装いを変えているのだろう。細い引き目が、じっとひいなたちの様子をうかがっているのが、はっきり見えた。

 ぎり、と、赤くまがまがしい口元がわずかに開く。


「行って、花乃華」


 花乃華が息をのむ音が、ひいなの耳にはっきり聞こえた。


「分かった」


 床を蹴り、きびすを返し、花乃華がふたたび走り出す。足音も、呼吸音も、筋肉の伸び縮みする気配さえも伝わってくるような気がする。


 花乃華と、そして敵の動きが、ひいなにはゆっくりと見えてくる。魔法が効き過ぎなのかもしれない、とさえ思う。スポーツ選手が入るゾーンとかいう状態が、これなのかもしれない、と思う。


 ぎゅっ、とエモーショナルスターロッドを握りしめる。自分の手の筋肉の動きさえ、鮮明に感じられる。

 魔力が、エモーショナルスターロッドと、ひいな自身の体との間で、回路を作って脈動する。魔法はこうやってできているんだ、と、一瞬、すべてを理解した気がした。

 その瞬間だけ、ひいなは、世界の真理を知った。


 彼女は、楔を打つ。


「ソリッド・ブレイド・コンセントレイト!」


 エモーショナルスターロッドに宿る魔力の輝きが、色を変える。ひいなひとりで作り出した金色の輝きに、花乃華のエメラルドが混じり合う。翡翠かわせみ色の魔法は、ひいなのまっすぐな視線に沿うように、細く鋭く研ぎ澄まされていく。

 それは、一筋の細い刃の形を成した。いくぶん背の方に反った刀身の形状は、打刀うちがたなの風情だ。


 ひいなはエモーショナルスターロッドを前方に突き出す。クリスタルの先端、エメラルド色のブレイドの切っ先を、解体姫へと向ける。

 銃の照準を定めるように、右目だけに意識を集中する。

 狙うのはただ一点。

 どれほど厚塗りの肌も、数多の衣も守れない、しかしあまりに細い、姫の瞳だ。


 瞼と睫の合間、黒い目がぎょろりと動いた。


 エモーショナルスターロッドから、刃が射出される。

 重力にも慣性にも干渉されない真っ直ぐな魔法の刃が、姫の右目を貫いた。


 瞼の奥から、黒い血が噴き出す。


<がああああああああああっ!>


 ダンジョンに、悲鳴が轟く。解体姫の絶叫は、唸り、反響し、あたりを揺さぶる。


 自らの絶叫に耐えかねたかのように、解体姫の顔面がもろく崩れていく。

 同時に、厚く自らを守っていた衣さえもが、ばらばらと解けて散らばっていく。


 今よ、と声をかけるまでもなかった。


「ジュニパー・スパイラルコンビネーション!」


 エメラルド色の輝きが、竜巻となって、敵を穿つ。

 花乃華の拳が、蹴りが、膝が、肘が。

 全身を駆使したすさまじい速度の連打が、ひび割れた解体姫の衣を砕き、抉り、削いでいく。


 そして、最後の拳。


 どん、と、重い一撃が、解体姫の懐を撃ち抜いた。

 衝撃の波が巨体を貫き、天井までも目に見えて届いていくかのような、一撃だった。


 破裂の音がした。

 巨大なクリーチャーの体が、エメラルド色の光を発して、砂塵のように散乱する。

 その破片の中に、いくつか、異なる色を持つ薄い砕片が混じっている。染めた布の切れ端のようなその破片は、見たこともないような濃厚な色彩と、角度によって色を変える美しい風合いとを兼ね備えた、この世ならぬ色をしている。

 あれが、解体姫の「素材」だ。


 しかし、それをかき集めるのはまた後にしよう。


 集中が解けて、ひいなはその場にすとんと膝を突いた。ついさっきまで鮮やかに見えていた世界が、そのテクスチャーを失い、ただの薄暗い空洞のように見えてくる。ジュニパーの魔力による過集中の副作用だろう。色あせた世界に座り込むと、倦怠と疲労がよけいに重たくのしかかってくる。

 とはいえ、それだけの苦労をした甲斐はあった。


 ばたん、と、音がする。

 ダンジョンの床に大の字になって寝転がった花乃華が、肩で息をしていた。目線だけこちらに向けてくる。


 そして、花乃華は笑った。過酷な戦いの時間を共有したものだけが許される、戦友の笑み。


「よくやったね、ひいな」

「花乃華ちゃんこそ、お疲れ」


 ひいなは、花乃華に同じ笑みを返した。


 かくして、ふたりの魔法少女は、第14階層を攻略したのだった。

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