第5話 突撃! 第14階層
花乃華とひいなは、ダンジョンの天井に空いた大穴を見上げる。上の階層で戦っていた探索者たちがぞろぞろと穴の縁に集まって、騒ぎになっているようだった。
大穴を開けた張本人であるひいなは、エモーショナルスターロッドで空中をつつくようにして、上を指し示す。
「そういえば、これ、どうやって上るの?」
天井までは10メートル以上あって、もちろん普通には手の届く高さではない。
しかし、花乃華は余裕綽々の顔だ。準備体操みたいに足を屈伸しつつ、ぐっ、と天井の穴を見上げる。
「ついてきてね、ひいな」
言うなり、花乃華は思い切りひざを曲げて、勢いよくジャンプ。
どんっ、と、床が一瞬揺れた気がした。
「わっ!」
ひいなが驚いて上を見上げると、ひいなは、すでに上の階層にあいた穴の縁に手をかけていた。ぶら下がった姿勢から、体操選手ばりの勢いでぐっと体を持ち上げて、一気に上の階層の床に立つ。周囲の人だかりなど知らん顔で、ふたたびジャンプ。
跳び続けて、そのまま一番上まで行くつもりらしい。
「パワフルだなぁ……」
最近の魔法少女は、ほんとに肉体派だ。魔法なしでは運動オンチだったひいなには、とうてい真似できない。
でも、魔法さえあれば、ひいなだってすぐに花乃華に追いつける。
ひいなは、1メートルほどの長さになったエモーショナルスターロッドの先っぽを両足の間に差し入れる。杖をまたいだ姿勢で、呪文を唱える。
「プレジャー・フライヤー!」
エモーショナルスターロッドのクリスタルから、ぽん、と2枚の小さな白い翼が生まれる。
足下からわき上がる浮力。ひいなのブーツが、自然と床から浮き上がる。
それは懐かしい、地面から解き放たれる快さ。
快感が魔法となり、それがますます感情を高ぶらせる。
感情と魔法のループが、まるで電磁石のようになって、ひいなの体を一気に空へと押し出す。
飛翔。
ぐいっと後ろに体重をかけて、杖の先端を真上に向ける。爆発するような勢いで、ひいなの体は天井めがけて飛んでいく。
「わあ~っ!」
思わず声が出てしまう。小学生の時、初めて魔法で空を飛んだ時と同じテンション。
あのころよりずっと体は大きく、重くなったけれど、魔法は私に何でもできる力を与えてくれる――そんな想いが、ひいなの胸にわき上がる。
一瞬、恍惚に浸る。
そして、あっという間に、ひいなは上の階層へと駆け抜けていく。
「おっと、ここまでか」
自分の開けた大穴を通り抜けて、かなり上の階層まで飛んできてしまった。穴の縁に降り立ったひいなは、下の階層を見下ろして花乃華を呼ぶ。
「花乃華ちゃーん?」
ほどなく、下の階層からジャンプしてきた花乃華が、ひいなの横に着地した。乱れた額の髪を指先で横に流して、ひいなを見つめる。
「ひいな、速い」
「そっかな? つい勢いつきすぎたかも」
「浮かれないでよね。かなり上の階層まで来ちゃったし」
花乃華が低い声でひいなに釘を刺す。
確かに、あたりはなんだか異様に静かで、奇妙な雰囲気だ。苔と蔦に覆われた壁も、タイル状の床も、さして第1階層と変わらないのだけれど、空気が違う。
「ここって何階? 私、数えずに来ちゃったんだけど」
「第14階層」
「花乃華ちゃんのベストは何階?」
「第6」
「それってやばいんじゃない?」
「ひいながいるから、きっと大丈夫」
あっさりと、花乃華は何でもないことみたいにそう言った。
会ったばかりの相手を、そんなに簡単に信頼するものじゃないよ。
裏切られたり、逃げられたり、するんだから。
薄暗い言葉がひいなの脳裏に浮かぶ。
けれど、ひいなはそれをすべて呑み込んだ。
「いやぁ、そんなに頼られちゃったら仕方ないね」
ロッドの先端でほっぺたを引っかきながら、ひいなは笑う。花乃華は半眼で睨む。
「腑抜けた顔しないで。ていうか魔法の道具でほっぺたとか掻かないで」
「いいじゃない、便利だよ、孫の手みたいで。ていうか、そんなに顔間抜けだった?」
「馬鹿っぽい」
花乃華は言って、すたすたと歩き出す。ひいなは苦笑しながら、彼女の後に付いていく。
ふたりの足音が静かなダンジョンに響く。
ひいなは、ちょっと首をかしげてつま先でとんとんと床を叩く。なんだか、ブーツのサイズと高さが足にうまく合っていないような気がする。普通に歩くと、どことなくバランスが悪い。
「なんか靴ズレしそう」
「気をつけてよ、土壇場で転んだりしたら大変」
「まぁ、いざとなったら飛べばいいし、平気でしょ」
「大雑把……」
肩をすくめる花乃華。その表情が、ふと、引き締まる。
「気をつけて。何か来るよ」
「分かってる」
ひいなはうなずく。エモーショナルスターロッドを握る手に、力が入る。
ずっとダンジョンに流れていた空気の正体が、なんとなく分かってくる。それは、屋内にずっと滞留したまま漂い続けていた、戦いの痕跡の気配だ。人とクリーチャーが衝突し、傷つけあった気配。
もっと平たく言えば、鉄と血の匂い。微細すぎて、それとは判別できなくても、無意識にそれを感じ取っていたのだ。
どこからか、甲高い、歌のような声が聞こえる。たくさんの声がいびつに重なり合って、へたくそな合唱のようだ。
<お嬢ちゃん ほら、おいでよ こちら♪ こちら♪ お菓子の方へ>
<これも欲しい? ならプレゼント お似合い、お似合い その血のコーデ>
「下の階層でもそうだったけどさぁ、何なの、この歌?」
「このダンジョンのクリーチャーの特性。上の階の強い敵になるほど、歌がまともな言語になって、ついでに怖くなる」
聞こえてくる歌は、海外の童謡めいた、朗らかな旋律に乗った残酷な歌詞だ。韻をやけにちょこちょこ踏んでいるのも、それっぽい。
ダンジョンの通路の奥から姿を見せたのは、赤いフードをかぶって、リボンのついた子供服を着た幼児の集団だった。
目深にかぶったフードの奥の顔は見通せない。しかし、かすかに動く口元から発せられる歌は、まがまがしい彼女らの本性を如実に現している。
それより何より、彼女らが揃って逆手に握った大振りのナイフ。
そのいくつかからは、血が滴っている。
<あらあら、どうしよ 青い顔だ >
<真っ赤な 血の色 化粧しましょか?>
並んで、ゆっくりと、通路の奥からやってくる異様な集団に、ひいなは息を呑む。
「第1階層と敵のノリが違いすぎない?」
ダンジョン内の敵は、リスト化されてデータが共有されているが、ひいなはこのクリーチャーのことは覚えていなかった。何しろ、こんな上の階まで来るつもりはなかったから。
それにしても、下の敵とはだいぶ趣が違う。キューブムカデは、ちょっとシュールだけどいかにもゲームに出てくる敵って感じだった。けれど、この赤い連中の雰囲気は、あからさまにホラーだ。
「”ブラッドフッド”。あの頭巾の下はがらんどうだって。ナイフが”素材”」
花乃華は手元のスマホを見ながら言う。名前はどっちでもいいけど、狙いが分かるのはやりやすい。
「敵がどうであれ、わたしたちは自分の戦いをするだけ。気を引き締めて」
「了解」
スマホを懐にしまった花乃華は、ファイティングポーズを取って臨戦態勢だ。ひいなも、杖を握って物騒な赤ずきんたちを見据える。
ブラッドフッドが、フードの奥からこちらを見る気配がした。
<あなたたちも>
<バラバラに♪>
ざんっ。
床を蹴ったクリーチャーの群が、一斉にこちらに飛びかかってくる。
花乃華が跳んだ。
もっとも間近にいたブラッドフッドの一体めがけ、飛びながらの前蹴り。ナイフを振るわせる暇もなく、空中で姿勢を変えて逆足で横に蹴り飛ばす。数体のブラッドフッドが、まとめて通路の壁に叩きつけられた。
続いて、反対側から迫ってきた敵のナイフを、左の裏拳で弾き飛ばす。そして右のフック。打ち下ろし気味の一撃で、ブラッドフッドは撃ち落とされる。
「すごっ」
「ひいな! 援護!」
感嘆するひいなに、花乃華の叱咤。
そうだ、いくら花乃華が強いと言っても、彼女の戦闘スタイルは格闘。どうしたって多数の敵に対処するには無理がある。
魔法少女の敵は、割と一対一で戦ってくれるけど、ダンジョンではそうはいかないのだ。
(あの子を、ひとりにはしておかない!)
仲間を助けたい、守りたい。その感情が、エモーショナルスターロッドに流れ込んで、魔法に変わる。
「プレシャス・プリズム・ブロッケード!」
ロッドの先端に据えられたクリスタルが、ぱきっ、と音を立てて己の分身を作り出す。数十個の小型クリスタルが、花乃華の周囲を守るように移動する。
その数多のクリスタルから、瞬時に幾筋もの光の筋が発射され、ブラッドフッドに突き刺さる。
ぐしゃっ、と、血のような液体をまき散らして、ブラッドフッドは砕け散った。
「死に様も怖い!」
「ビビらないで、ひいな!」
「このくらいでビビるわけないって! プリズム、もう一度発射!」
ひいなの呪文に応え、小型クリスタルが再度光を放つ。
その攻撃でできた隙間を縫うように、花乃華は敵陣の奥まで踏み込んでいく。彼女の放つ連続攻撃が、瞬く間にブラッドフッドの群をなぎ倒していく。
そして、ふたりは、ブラッドフッドを瞬く間に片づけたのだった。
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