第3話 復活! エティカル・ひいな!

 第1階層の強敵・キングキューブを倒した花乃華と、それを見ていたひいなは、怪物クリーチャーのばらまいた素材をふたりでかき集めた。色とりどりの輝く破片は、一見すればただのプラスチックの破片のように見えるが、換金すればなかなかの額になる。

 ダンジョンに入るときに支給された「素材袋」に、素材を放り込む。トートバッグほどの大きさの袋は、何か特殊な技術でも使われているのか、大量の素材を放り込んでもびくともしない。


 実体の重さがなくても、大金が入ってるというだけで重たく感じられる。チャージしたばかりのプリペイドカードや、給料日後のクレカに似ていた。


「うーん……」


 ただの生成りのトートバッグにしか見えない「素材袋」を手にして、ひいなは首をひねる。


「意外」


 花乃華がぽつりとつぶやく。


「何が?」


 ひいなが問い返すと、花乃華はちょっと驚いたような顔をした。独り言のつもりだったのかもしれない。


「もっと乗り気になると思ってた。ひいな、お金欲しくないの?」

「そりゃ欲しいけど」


 もちろん、お金はあって不都合のあるものではない。かといって、ダンジョンで汗水垂らして稼がなくちゃいけないほど、ひいなは現状に不満はない。

 彼女をここに連れてきた後輩や、他の職場の人々は、ダンジョンで稼いだお金で飲み会したり旅行に行ったりしているという。そんな贅沢にも、ひいなは興味を持てない。


 部屋があって、静かな時間があって、コンビニのおいしいスイーツがあって、ペットがいる。それよりたくさんのものを求めるつもりはない。


「ひとまず、現状に満足してるし」

「そうかしら。いざというときのための貯蓄だっているし、突然欲しいものができたときに資金があれば後悔しなくてすむし、それに自分の可能性だって広がる。お金は何とだって交換できる価値だよ。貯めといて損はないと思うけど」

「……よくもまあ、そんな誘い文句がぽんぽん出てくるものねぇ。逆に胡散臭いけど」

「そうかな」


 口元に手を当て、花乃華は戸惑う。


「悪役がこういう誘惑するから、覚えちゃった」

「……魔法少女って教育に悪いなぁ」

「ともかく、ひいなが思ってるよりずっと稼げるんだから。こんな1層や2層でちまちま戦うんじゃなくて、もっと上の階層」


 人差し指を立てて、花乃華は上を指し示す。天井は10メートルほどの高さで、地上の灯りは届かない。上の階で何かが暴れているのか、かすかな揺れが壁を通じて足下まで伝わってくる。


「わたし、第6階層まで行ったことあるけど、かなり稼げた」

「かなり、って、どれくらい」


 ごにょごにょ。

 小声で花乃華が発した金額に、ひいなは目をむいた。


「子供がそんな大金持っちゃだめ! 悪い人にさらわれるよ!」

「そんなに大金じゃないってば」

「日本はやっぱりインフレしてる! 教育に悪い!」

「年寄りみたいなこと言わないでよ。大丈夫、自分じゃ持ち歩かないし。管理人に預けてる」

「ああ、そんな仕組みあるんだっけ……」


 ダンジョンがこの世界に出現してすぐに現れた「管理人」は、ダンジョンに関する様々な問題に対処してくれている。

 専用の武器を貸し出してくれたり、怪物クリーチャーから手に入る素材を換金してくれたり、怪我や毒の被害も治療してくれたり、至れり尽くせりだ。

 現金を持ち歩けない探索者のために、素材を換金したお金を預けておく専用の口座を設けてくれるのも、その一環だという。


 逆に言えば、そんなサービスが必要になるくらい、稼げるということだ。聞いたときにはぜんぜんリアリティを感じなかったが、現に目の前にそんな人がいるとなると話は違う。


「お金かぁ……」

「やる気になった?」


 花乃華が、小首をかしげる。彼女の人形みたいにおだやかな面差しからは、うまく感情が読み取れない。ひいながどんな決断を下しても、同じ顔をするだけかもしれない。


 ひいなはそんな花乃華の顔を見つめて、口を開いた。


「花乃華ちゃんが一緒に来てくれるんなら、やってみる」

「本当に? よかった」


 くすっ、と、嬉しそうに花乃華が顔をほころばせる。鋭かった目つきが、喜びの感情を含んで、柔らかく緩む。凍りついているようだった頬に、えくぼができた。

 やっぱり、こんなにかわいらしく笑えるんだ。

 お金のことは二の次。ひいなはただ、そんな花乃華のことを見ていたかった。彼女のそばで、彼女を助けて上げたい、という願いが、自分の中に芽生えていた。


 こみ上げてくる笑みを押さえきれないひいなに、花乃華は告げる。


「じゃあ、ひいなもちゃんと魔法少女やってよ。まずは、変身から」

「あ、そうだ……」


 はっと気づいて、また気が重くなる。花乃華と一緒に戦うってことは、10年以上のブランクを越えて、変身しなくちゃならないってことだ。

 目の前に立つ花乃華は、変身した衣装のままだ。揺らめくリボン、きらめく生地、そして装着者の若くて美しい容姿。現役魔法少女の華やかさは、目にまぶしい。

 まだぎりぎりアラサーとは言えないひいなだが、さすがに気後れしてしまう。


「変身して、力を見せてくれないと、信用できない」


 花乃華の念押しに、ひいなは観念してうなだれる。


「分かったよ……」


 つぶやきつつ、ひいなは小さくため息をつき、ぐっと胸の前で腕を組み、気合いを入れ直す。たとえ10年前の服だって、別に古びたり痛んだりしてるわけじゃない。着れば着れるはず。結婚式にだけ持ち出すドレスみたいなものだ。大丈夫。それにどうせ見ているのは花乃華だけ、言ってみれば同業者の前だ。恥ずかしいことなんてない。


「……変になってても笑わないでね」

「笑わないよ」


 花乃華がそう言うなら、信じる。


 意を決して、ひいなはまっすぐ前を向き、両手を前に突き出した。変身前のポーズだ。

 そして、10年ぶりの呪文。


「魂の声に応え、想いの力よ、我が身に宿れ! エティカル・モード!」


 ひいなの全身が、光に包まれる。肌の上を透明な何かが駆け抜けていくような、むずがゆくも、心地よい、懐かしい感触。胸の奥から熱い感情があふれて、心臓が高鳴る。


 そして、ひいなは変身した。びしっ、とポーズを決めながら、久方ぶりの決め台詞。


「エティカル・ひいな、チカッと参上! ……どう?」


 花乃華はつかのま、ひいなの様子を見つめた。そして、つぶやく。


「……なんかエロい」

「ちょっと、いきなりそれ言うのやめてよ!」


 薄々気づいていたし、予想もしていたけれど、今のひいなが魔法少女の衣装を着るのはかなりの冒険だった。

 何せ、成長して大人になったひいなの体は、あのころよりずっと女性らしくなってしまったのだ。胸も、おしりも、太ももも、前とはサイズが違う。変身衣装はある程度、体つきの変化に対応してくれたみたいだが、元々のデザインはそもそも大人の体型にそぐわないのだ。

 リボンとVネックで隠していた胸元は、大きく開いてしまって谷間が強調されている。上着のおなかのあたり、ちょっと前の開いているのは、ちっちゃい子が着るならキュートだが、大人がおへそ丸出しなのはなんともやばい。スカートが元々長かったのだけはありがたいけれど、後ろが過剰にせり出すのは隠しようがない。


「コスプレだよねえ、これじゃ……」

「でも、大丈夫だよ。ひいなは本物なわけだし、堂々としてればいいよ。どうせ、知り合いが見ても正体はばれないでしょ?」


 変身したエティカル・ひいなは、榊ひいなと同一人物とは気づかれない。魔法少女の変身とはそんなものだ。万が一、知り合いに見られても、彼女がひいなとは分からない。それがせめてもの救いだ。


 それに、変身してみて気づいたことが、ひとつある。

 10年経っても、ひいなは、この姿でいるのがあんまり苦ではなかった。

 もっとしんどい気分になるかと思ったけれど、それよりもワクワク感が先に立つ。自分の中にわき上がる力が、彼女の熱い気持ちを高めてくれる。


 やっぱり、ひいなは、魔法少女としての自分に愛着があったらしい。


「悪くないよ、変身」

「そう言ってくれると、わたしも嬉しい」


 ひいなが言うと、花乃華がにっこり笑う。花乃華の微笑みのためなら、ひいなは魔法少女として再び戦えそうだった。


 女の子の笑顔を守るのは、魔法少女の第一の仕事だから。

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