終戦


 その雨は激しさを増し、やがて地には水溜まりが発生する。


「はぁ……はぁ……珍しいな。この荒野に雨が降るとは」


 そうつぶやいたのは、ライーザ王。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」


 闇魔法使いもまた。人間に戻った姿でなんとか立つ。


「はぁ……はぁ……アシュ=ダール、君は恐ろしい男だ。見事、その力で怪悪魔ロキエルを倒した……しかし、そこまでだ」


 ライーザ王が、闇魔法使いの元へと歩み寄る。


「ぜぇ……ぜぇ……」


「君がかけていた幻術も解け、兵たちは正気に戻った。戦争は予定通り開始される。我が軍の勝利という形で。そして――」


 高々と挙げ、兵たちを呼ぶ。


「アシュ=ダール。君を捕らえてヘーゼン先生につきだす。二度とこの世界に戻ってこられないように」


 二人の兵隊がアシュの両腕を掴んで拘束する。


「……ぐっ」


「残念ながら……君の負けだよ。つまりは、そう言うことだ」


 ライーザ王がつぶやいた。


「クク……」


 低い声でアシュが笑う。


「無駄だよ。君の戦い方は先ほどまで十分観察させてもらった。私に心理戦は通じない」


「ククク……僕はそんなものを仕掛けているつもりはないよ」


「……敵軍が到着したようだ。もう、君に構っている暇はない」


 そう言って、アシュに背を向け歩き出した時、


 突然、大きな眩暈に襲われた。


「……っ、なん……だ」


 足元が揺れ、身体が痺れ、力が抜ける。


 気がつけば仰向けになっていた。


「やっと効き始めたようだね」


 声の方を辛うじて向くと、アシュが不気味な笑顔を浮かべて立っていた。先ほどまで両腕を掴んでいた兵隊たちもまたライーザ王と同様、倒れこんでいる。いや、その兵たちだけじゃなく、目に見える全ての兵がその場に倒れこんでいた。


「貴様……なにをした!?」


 話はできる。思考も正常だが、眩暈と身体の痺れが止まらない。


「僕の勝ち。つまりは、そう言うことだよ」


 アシュは不敵に言い放った。


 各所から湧き起こる悲鳴。闇魔法使いは心地よさげに耳を傾ける。


「……くっ」


「わからないように仕込むのは大変だったよ。ここで、時間稼ぎをして君たちの足止めをして。デルシャ大国の軍勢もここにおびき寄せて」


 遠くを見てみると、デルシャ国の兵も全て倒れこんでいる。敵・味方関係なく、アシュ以外の者は全てがマヒ状態に陥っていた。


「こんなことが……」


「君たちは僕の作った魔毒を浴び続けたんだ。君も言っていたじゃないか。『この荒野にこれだけの雨が降るとは』とね」


 雨に仕込んだ毒は、人の体内に侵入して身体のマヒ状態を生み出す。アシュの仕込んだものは即効性が高く、また一滴でもつけば必ず効くほどの強い毒だった。


「……」


「チェックメイトだ」


 闇魔法使いの宣告に、ライーザ王はしばし沈黙し、やがてつぶやいた。


「……そうか。私は死ぬのだな」


「ああ、残念ながら。君はこの大多数の兵たちと命を散らすんだ。運の悪いことにね」


 闇魔法使いは満足げな表情で、立ち尽くす。


「ははっ……こんなことなら、追いかけるんだったな」


 少し笑いながら、答える。


「……」


「それほど目を奪われたよ。不覚にもね。一目惚れ……あの時、自分の心臓が高鳴ったのを初めて感じた」


「そうか……だ、そうだよ?」


「……君は」


 アシュの横から現れたのは、ミラ=エストハイムだった。以前のドレスを着て、真珠のイヤリングを片方つけて。化粧も施して。ただ唯一違うのは、彼女が目を瞑っていること。


「死んでいるとは思えないだろう?」


 闇魔法使いは、彼女の黒褐色セピアの髪を撫でた。


「……」


「でも、聞けて良かったよ。ははっ……君はしっかりと物語の王様を魅了していたんじゃないか」


 今までにないような優しい声で。アシュは彼女に語りかける。


「しかし……ふっ……」


「ん? なにかおかしいかい?」


「彼女は私とは別の男性に心奪われていたようだよ。だから、追いかけられなかったと言えば、笑うかい?」


「……ククク。それは、おかしな冗談ジョークだな」


「ハハハハハ……」


「ククククク……」


 しばらく、二人は笑っていた。


「さて……終劇フィナーレが近くなったところで行くことにするよ」


「そうか」


「じゃあ、ごきげんよう」


 そう言い残して。闇魔法使いは、ミラを両腕で担いで歩き出した。


 少し離れた場所の荒野で。


「シシュン。いるかい?」


「はっ」


 暗殺者アサシンの長であるシシュンが現れた。


「いい仕事ぶりだった。あそこにいるのが、ライーザ王だ。煮るなり焼くなり、好きにしていい」


「……アシュ様は復讐しなくてもよろしいのですか?」


「復讐……ではないよ。僕が聞きたかった言葉は、すでに貰ったから。もう、用はない」


「……」


「ああ、それから。すぐに、ここを離れた方がいい。死にたくなければね。じゃあベルセリウス、行こうか」


 子どもの悪魔と共に。アシュは兵たちが倒れている方に向かった。

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