売買成立



 ミラの母であるテスラは、娘を愛していた。父であるバドゥルーもまた。長男であるゼルも、次男であるジダンも同様に。


「……ごめんねぇ……本当に、ごめんねぇ」


 すがりついて、何度も何度も娘に謝る母親に、ミラは頭を撫でる。


「母さん、大丈夫。私、平気だから。父さんも、ゼル兄もジダン兄も、そんな顔しないでよ」


 極力明るめに、この暗い場をなんとか盛り上げようとする。


「「「……」」」


 しかし、家族の表情は、一様に沈んでいる。


「そ、そんなに暗い顔しないでよ。明日迎えに来たら当分は会えないんだから。今日は、とにかく楽しくしようよ。今日は、みんなの大好物作るからさ」


 最も悲壮感を漂わせるべきなミラが、なぜか場を盛り上げている。


 その後も、盛り上がらない最後の晩餐は、一人明るくしているミラが空回りしているだけの展開だった。


 いたたまれなくなり、ミラは、外へ出た。


 ドアにもたれかかって、満天の星空を見上げる。


「わぁ……」


 夜空は、綺麗な、満月だった。


               ・・・


「はぁ……白馬の王子様でも迎えに来ないかなぁ」


 大きくため息をつきながら、月を眺めてつぶやく。


 ミラは子どもの頃から、おとぎ話が好きだった。


 いつか、白馬に乗った王子様がガラスの靴を持って、迎えに来てくれる。そんな、大抵の少女なら夢想する出来事を心の片隅に置きながら日々を過ごしていた。


 しかし、もうそんな妄想は、卒業しなければいけない。


 そう心に言い聞かせていた時、


「君に王子様は似合わないな……まあ、よくて売人だろう」


 ふと、視線を戻すと、そこにはアシュ=ダールが立っていた。


「な……なにしにきたんですかこのアンポンタン!」


「君に構っている暇はないな。家族はいるかね?」


 そう言いながら、アシュはミラを押しのけて、家のドアを開けた。


「ちょ……なにを勝手に……」


「ほぅ……暗い空気だね」


「あ、当り前じゃないですか!? 明日なんです! 明日、私が売られるんですから……」


「それは……めでたいね。それにしては、祝宴が開かれていないようだが」


 !?


「き、貴様っ!」


 父親のバドゥルーが、猛然と立ち上がる。


「なぜ、怒るんだい? 君たちは、?」


「……っ」


 闇魔法使いの言葉に、家族全員、表情を曇らせる。


「まさか……君たちは、意気消沈していたんじゃあるまいね? 望んで彼女を売り払う身分で、君たちには、落ち込む資格があるとでも?」


「仕方がないことだって……」


「そうだね、世の中にはどうにもできないことはある」


「……あなたは悪魔ですか!? 愛する娘を売って、落ち込まない母親なんていません!」


 母親のテスラは狂ったように叫ぶ。


「そうだね……君たちは彼女を愛していたのだろう。母親が彼女の未来を案じ、号泣するぐらいには。彼女が売り払われる前日に、一様、落ち込む程度には彼女を愛していたんだろう」


 でもね……と、アシュは歪んだ微笑みで続ける。


「母親であるあなたは、売り飛ばされる娘を引き止めるほど、彼女を愛してはいなかった。父親は、そこに転がっている酒瓶の量を少なくするほどは、彼女を愛してはいなかった。息子である君たちも、自分たちの明るいはずの未来を少し分けてやるほどは、彼女を愛していなかった……そうではないかね?」


「「「「……」」」」


 皆、一様に、黙った。


「もう、やめてください! なんですか、あなたは! いったい、なにしに来たんですか!?」


 ミラが家族の前に立って、両手を拡げる。


「おっと、そうだったね。本題は、これだ」


 彼が、カバンを開けると、大量のレル札が入っていた。カバンに目いっぱい詰まれた紙幣は、首都で大貴族の所有している館を買えるぐらいの額だった。


 あまりの多さに、言葉を失う一同。


「これで、彼女を買おう。なに、釣りは要らない。君を買う予定だった者とも話はついている」


「なっ……私、嫌です!」


 ミラはキッとアシュを睨みつける。


「君には聞いていないし、君には所有権も選択権もない」


 そう断じて、二の句を塞ぎ、家長の父親に視線を向ける。


「……」


「安心してくれていい。僕は気の長い紳士だ。5秒……5秒考える時間をあげよう」


「……っ! いくらなんでも娘の将来をそんなに短い時間で――」


 父親の言葉にはまったく耳を貸さずに、アシュは話を続ける。


「あらかじめ断っておくが、彼女を買う予定だった者は、二度と君たちとは交渉はしない。僕も契約が成立しなかったら、もうここに来ることはない。めでたく、君たちの愛は証明されるわけだ」


「……」


「さあ、カウントダウンを始めよう」


「ちょ……まっ……」


 父親が制止しようとするが、アシュはそれを無視する。


「5

 4

 3

 2

「わかった」


 5秒と経たずして、父親は、娘を売った。


「……他の家族は? 意義があれば、僕は去るが」


「「「……」」」


「沈黙は回答と受け取ろう。さあ、ミラ。行こうか」


 優しく彼女の肩を抱いて、颯爽と闇魔法使いは普通の家の扉を閉めた。


「……ひっく……ひっく……」


 アシュの横で、ミラは肩を震わせながら泣きじゃくる。


「そんなに泣くなよ。本当は君が彼らに同じことを言いたかったんじゃなかったのかい?」


「……う゛う゛う゛う゛っ」


「悲しいことに、これが現実さ。残酷で、醜く、狂っている……だからこそ愛おしい」


 満月を静かに眺めながら、 


 白馬の王子様ならぬ――白髪の売人は、彼女の頭を優しくなでた。


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