カップ焼きそば
綾瀬八咫
カップ焼きそば
8/14/ 20:49
親愛なる友へ捧ぐ
君はカップ焼きそば、というものをもちろん知っているだろう。今日、堪えがたき内臓の空虚を湛えた私はこいつの封を切る。安くて薄い女物の服を破るかの如き軽快な音を立てて、塩化ビニルは剥ぎ取られた。蓋の注意書きを見たまえ。現代は親切(あるいはおせっかい、あるいは過剰な苦情への予防として)だから懇切丁寧に作り方というものが書いてある(しかもイラストまで描いてあるのだ!)。
へ、へ! さあ君も書いてあるようにやってみるがいい! まずは蓋を半分ほど開く。印の位置までだ。それ以上はカップ焼きそばの完成度に支障をきたしてしまう(君が破滅願望を持たない限り)!
そしてゆっくりと容器を覗きたまえ。細心の注意を払うといい。ソースの袋とかやくの袋が見えるはずだ(もし確認できないとしたら今は塊の状態の麺を持ち上げて、麺の下側、容器の底を見てみたまえ。お目当てのものがあるはずだ。もし確認できなければ蓋か外装のフィルムに書いてある電話番号へと早急に連絡するべきだ)。
きっと君はこれで「よし、準備は整った」と思うだろう。それはある点では正しいのだが、厳密に正解と言えたものではない。
――お湯を用意したまえ。風呂のようなぬるいものでは駄目だ。煮えたぎる――は言いすぎだが、十分に沸騰に近しい(摂氏八十度ほどもあればいいだろう)それを五百――。否、余裕を見て六百ミリリットルほどだ。
タイマーを三分にセットしておいたかね? よろしい。ではかやくの袋を開封し、中身を麺の上にぶちまけてやる(勢い余って外にこぼすのは無しにしておくれ)。そして心を決めてお湯を容器内部の線まで入れていく。
――待った! 何かがおかしい。君は何を入れた? 私は「かやくの袋を開封し、中身を麺の上に出せ」と言ったはずだ。ならばなぜお湯の色がここまで濁ってしまう? そうか、君はやってしまったんだな。ソースをお湯に先んじて入れてしまったな! へ、へ! なんて悪い冗談を! まるで神が人を創りたもうたかのような致命的ミスを! 君も私と一緒に見給えよ、このノアの洪水によって浮き彫りにされた大地の穢れがごとき惨状を(君の顔を鏡で映して見せてやりたい気分だ。このどす黒い水面が君を映してやれば最高に幻想的だというのに)!
――ふふ、親愛なる友よ。今、僕のことをあざ笑おうとしただろう? これで終わったと思ってくれるなよ。僕はこんなところで終わりはしない。
君よ、大丈夫だ。私はこうなった時の対策を知っている。鍋を出すんだ。そう、汚れていないものをだ! こうなってしまっては蓋は意味をなさない。全て剥がしてしまえ(かような事故によりカップ焼きそばの意義の半分が失われたことになる)。次は簡単だ。容器の中身を鍋にまるごと全て流し込んでくれればいい(ああ、これで君が今から食べようとしているそれはもはや完全にカップ焼きそばではなくなってしまった)!
へ、へ! 応急処置が開始となるのだ! 鍋を火にかけてじっくりと煮込んでいくのだ(カップ焼きそばとは一体どのようなものであるか、一種のフィロソフィーじみた領域へと突入しようとしている。これはもはや煮込みそば、否、煮詰めそばではないのだろうか? 手持無沙汰な時間だからこそせめて思索は有意義にしたいものである)。
君が今見ているものは地獄の釜か、はたまた魔女の鍋だろうか。汚泥の中にのたうち回る蟲のように息つぎながらソースが麺に浸透していくのが見えるだろう。君はかぐわしいまでに科学的な匂いが辺りに充満していくのを感じられるはずだ。――だが気にすることはない。それが今から君が食べんとするものの本質であるのだから!
へ、へ! わかっているのかね! 君は貧困にあえいでカップ焼きそばなんてものを食べようとして、あまつさえ私の忠告までも無視してソースをお湯に先んじて入れてしまって(いいだろう。総てを君自身の困窮の所為にしてしまって! そうでなければカップ焼きそばなんて口にしようだなんて思う筈もないのだから)!
――親愛なる友よ! ああ我が友よ! なぜにして僕は斯様までに理不尽を味わわねばならぬのであるか! この世というものは要らぬ苦しみを我らに与え給うというのか! だが友よ! 僕は諦めない! 僕は絶対的にカップ焼きそばを食べると心に誓ったのだ! 御覧じるがいいのだ、我が友よ!
さあ、ソースが煮詰まってきた。麺はすでに軟化を極めており、パッケージに謳われた食感ある麺なんてすでに失われているのだ。だが君はカップ焼きそばを作りたかったはずだ(だからここまで手間をかけて調理、そう! 本来はインスタントであるはずのこれにここまでの時間を、気力を費やしてのけたのだ)!
最後の仕上げだ。君は鍋の中で誕生せしめたカップ焼きそばめいたそれをどうするというのか?
――そうか、君はカップ焼きそばであることを棄てなかったのだな。出来上がったそれを元々入っていたカップへ戻そうというのか。よろしい。元より私の注意書きなどこうなっては意味を為さないのだから。存分にやるがいい!
――そうか。君は、君は、君はそういう奴なんだな。最後の最後までミスを犯して何も成し遂げられないんだ。見たまえ。よじれ溢れ零れ排水溝への下り坂へと堕ちた哀れな麺の姿を。真に生まれた意味を失ってしまった商品への謝罪の気持ちはあるのかね? 君は自らの空腹を満たすこともできず、ただあらゆる資源(時間を、気力を、素材を、水を)無駄に浪費したにすぎないというのだ!
――ああ友よ! 我が親愛なる友よ! 僕は君に願い立て祀る。友よ、こんな哀れなる身にパンを恵んではくれまいか?
8/14 21:22
from:
件名:re:
本文:いいからこの間貸した金返せ美形ハゲ。
「おぉう……」
僕への致命的な現実を叩きつけられ、胸中はどうしようもなくかき乱された。
「不ッ、憤ッ! 阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿ーッ! AHHHHHHHHHHHhhhaAhhhッ! αααααααΑΑΑΑΑαααααアアァアァッ!」
僕の慟哭に応えて部屋の壁が叩かれた。
カップ焼きそば 綾瀬八咫 @a8se8ta
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