教国㊳
アインスは自分の執務室で書類に目を通していた。
先ずは地盤を固める上でも、王国を手中に収める必要がある。今回の戦争で、アンナの操るシリウスの活躍は、王侯貴族の中でも高く評価されている。
王家と血の繋がりのある侯爵と言う立場上、王族が全て亡くなれば、シリウスが王に成り代わっても不自然ではないはずだ。
そして何より――
「まさか、先駆者の偶像で扇動することが出来るなんて……。この世界の人間は全て、
サタンから聞いた情報を整理し、アインスはほくそ笑む。
「この分だと更に上位のアイテム。支配者の偶像も、効果が期待出来るかもしれないわね。この世界の素材で量産できるか、後でルミナスに試作品を頼まないと。帝国も今回の敗北で内政が混乱するでしょうし、レオン様が近隣諸国を手中に収めるのは、思ったよりも簡単にいきそうね」
アインスは手元の資料に視線を落とす。
数枚の白い紙に記されているのは、王国と帝国の有力な貴族の名前だ。
他にも国に影響力のある人物や、国が贔屓にしている商人など、名前と住所、家族構成が、ずらっと並んでいた。
アイテムで扇動ができるなら話は簡単だ。このリストに載る全ての人間の傍に、
アインスは気分良く足を組み直し、机の片隅に置かれたティーカップを口元に近づけた。
仄かな紅茶の香りに表情が綻び、そのまま椅子の背もたれに背中を預けて紅茶を啜る。
最近は良いことばかりだ。
拠点の管理は従者に移行できそうだし、
後はサタンが首尾良く相手の情報を得ることが出来れば、アインスとしては何も言うことはない。
しかし、アインスの笑みが急に強ばる。頭の中に直接聞こえる声が、浮かれた気分を台無しにした。
サタンからの通話だ。そして通話をしてきたと言うことは、何か問題があったと言うことだ。
自ずと声も暗くなる。
「サタン? どうかしたのかしら」
別に口に出さなくても伝わるが、今は自室で一人だけ。誰に聞かれることもないため、普通に声に出していた。
話を聞いていたアインスの顔が、見る間に不機嫌になる。
「そんな些細なことで連絡をしてくるなんて、本当に使えないわね。いいこと、
アインスは言葉を止めて扉をじっと見つめ、廊下に気配を感じて、「ちっ!」と舌打ちをした。
「もう切るわよ。用事が出来たから、暫く通話はしないでちょうだい」
アインスの険しい顔が和らぎ、何事も無いかのように書類に視線を落とした。
片手に書類を持ち、空いた手で紅茶を啜っていると、扉を叩く音が聞こえ、勝手に部屋に入ってくる人物が見えた。
アインスは平静を装い、紅茶から口を離す。
「何の用? ゼクス」
「拠点の見回りが終わった」
「そう、ご苦労様」
暗に返れと視線で訴えかけるが、ゼクスは部屋に置かれたソファセットに腰を落とした。
アインスとゼクスは、普段から会話をするような中ではない。必要最低限の業務連絡は行うが、プライベートでの会話は皆無だ。
いつもは直ぐに帰るはずの人物が部屋に居座る。この奇怪な行動に、アインスが眉をひそめた。
三十分経過してもゼクスは動かず、痺れを切らしたアインスが先に口を開いた。
「そこに居られると仕事の邪魔なのだけれど」
「俺は邪魔をした覚えはないがな。それとも誰かの報告を持っているのか? 拠点を出たと聞いたぞ」
何故それをゼクスが知っているのか。
アインスは内心訝しむが、拠点内にいる従者は、
たまたま誰かが
拠点内にアインスの反応がなければ、外出したのだと直ぐに分かる。
ゼクスの口調では、他の従者から聞いたのは間違いない。アインスは余計なことをと、心の中で毒を吐いていた。
「そんなこと? 私だって息抜きに拠点は出るわよ。今は拠点の管理をルミナスとバステアが代行しているのだし、問題はないはずよ」
「お前のレオン様に対する思いは、そんな生やさしいものではないはずだ。拠点の管理を他の従者が代行しているとは言え、レオン様から託された拠点を、お前が息抜き程度で離れるはずがない。何があった?」
アインスは困ったものだと肩を落とす。
「ゼクスは私のことを何だと思っているのかしら? ずっと拠点に閉じ籠もっていたのだから、私だって息抜きに外に出たくなるわよ」
「それなら何処に行っていた? 答えられるはずだ」
アインスは呆れて眉尻を下げた。
「森の中を散歩しただけよ。それとも、私は散歩すら許されないのかしら?」
「そうか」と、立ち上がるゼクスに安堵するのも束の間、次の言葉でアインスに焦りが生じた。
「では俺も散歩に出かけてくる。拠点の外に出ている従者の様子を見ておきたい」
アインスの顔が「え?」と引き攣った。次の瞬間には大声で呼び止めていた。
「待ちなさい!」
アインスとは対照的に、ゼクスは冷静に振り返る。
「問題はないだろ? ちょっとした散歩だ」
「散歩ですって? そんなに遠くまで許すはずがないでしょ!」
ゼクスは「ふっ」と笑みをこぼす。
「そんなに感情を顕わにするとは、やはり何かあるな。外の従者の様子を知られたくない。行動が不確定なのはサタンと十二魔将だが、お前が気にしているのは、その辺のことか――」
アインスの眉間に僅かな皺が寄る。図星だ。僅かな感情の変化を読み取り、ゼクスの言葉は尚も続いた。
「俺は別にお前の許可を求めていない。レオン様に直接許可を取ればいいだけの話だ。散歩のついでに従者の様子を見に行くと言えば、レオン様もお許しになるはずだ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。ちゃんと説明するから――ね?」
ゼクスは一度立ったソファに、ドカッと再び腰を落とす。
「馬鹿が! 初めからそう言えばいいんだ! どうしてお前は隠し事をするんだ! 従者統括ともあろうものが、恥を知れ!」
アインスの顔がヒクついていた。頭に来るのを押さえて、必死で笑みを作ろうと広角を上げる。
「ご、ごめんなさいね。でもレオン様に言ってはダメよ。絶対に!」
最後は目を血走らせながら念を押す。だが、そんなことはゼクスの知ったことではない。
「いいから早く説明をしろ」
アインスは悪戯っ子のように、可愛らしく上目遣いで話し出す。
「実はね? サタンが――」
話を聞いていたゼクスは見る間に項垂れる。
最後の方には頭を抱え、テーブルに突っ伏していた。
「と、言うわけなの」
アインスは「テヘッ」と可愛らしく、自分の頭をコン! と叩くが、笑って済まされる話ではない。
「お前は馬鹿なのか! レオン様に今すぐ報告をする! プレイヤーがいるかもしれないのに隠していただと? レオン様に殺されたいのか! いや、殺されるだけならまだいい。もしナンバーズが無能だと思われたら、お前はどう責任を取るつもりだ!」
アインスは面倒になったと、長い髪を数回指で梳いた。先程までのおちゃらけた様子は何処にもない。殺気を込めてゼクスを睨む。
凍るような殺気に部屋の温度が数度下り、空気が張り詰めた。
「馬鹿は貴方ではなくて? 私たちはレオン様の御身をお守りするために存在しているのよ。私たちで処理をするのが当然。それを報告してどうするつもりなのかしら? レオン様は間違いなく敵と接触しようとするわ。レオン様の御身を危険にさらしてどうするの。嫌われようが、命を奪われようが、黙って敵を排除するのが、従者としての務めではなくて」
「まだ敵と決まったわけではないだろ。もし、本当にレオン様のお知り合い――ご友人であるなら、お前はどう責任を取るつもりだ」
ゼクスは鋭い眼光で睨むが、アインスには一歩も引く気が無い。
「私の話を聞いていなかったの? もし相手がプレイヤーであるなら、敵対するギルドの可能性が極めて高いわ。そんな相手を生かしておけと言うの? それこそ、レオン様に対する忠誠心が足りないのではなくて?」
「馬鹿なことを言うな! お前こそレオン様に隠し立てをするとは、二心を抱いているからではないのか!」
アインスの瞳が、何を馬鹿なことをと訴えかけた。
レオンに対する忠誠心は誰よりもあると自負しているし、その点については、少なからず他の従者からも認められている。
それを苦し紛れに二心とは、笑いを越して呆れ果てた。
「話にならないわね。今回の件については、従者統括である私の指示に従って貰うわ。もし、何かの手違いでレオン様のご友人であるなら、その時は煮るなり焼くなり、私を好きにして構わないわ。何なら私を追放してもいいのよ」
「追放だと?」
主の傍に居られないのは、死すらも生優しく感じるほど恐ろしいことだ。ゼクスが冗談では済まされないと、真剣な眼差しで問いただす。
「本当にいいんだな?」
「ええ、構わないわ」
アインスは事も無げに告げて紅茶を口に運ぶ。
「……そこまで言うのなら、今回はお前に従う。先程の言葉を忘れるなよ」
「しつこいわね。忘れたりしないから安心なさい」
ゼクスに念を押されるが、アインスは飄々としていた。自分の考えに間違いはないと確信してのことだ。
「長話が過ぎたわ。もう戦いは始まっているでしょうね。それとも既に終わっているかしら?」
アインスはサタンのHPゲージを凝視する。
(HPが二割削られている?)
しかし、直ぐに状態異常を確認して安堵した。
【破壊衝動】
【連鎖ダメージ】
【全ステータス二倍】
【破滅の心】
【スキル使用不可】
破壊衝動の発動。それにより、連鎖ダメージ、全ステータス二倍、破滅の心、スキル使用不可が発生していた。
恐らく受けているダメージは、連鎖ダメージによるものだ。
相手に与えたダメージの一割を、周囲の敵と自分にも与えるスキル。これならサタンのHPが削れているのも頷けるし、それだけ相手にダメージを与えているとも見て取れた。
問題はデバフが破壊衝動に連動しているため、状態異常を無効化する装備でも、防ぐことが出来ないことだ。
レオンであれば、スキルが使用できる状態と、ステータスが二倍になるがスキルが使用できない状態、どちらを取るかと言われたら、間違いなく前者だ。
全ステータス二倍は強いようにも見えるが、スキルや魔法の中には、倍率五倍以上の攻撃も存在する。
通常攻撃しか出来ない状態では、対人戦において、戦う前から負けが決まっているようなものだ。
レオンが見たら眉をひそめそうなものだが、戦闘に疎いアインスは違っていた。
上昇したステータスを嬉々として見ている。だが、次の瞬間に顔が青ざめた。
サタン、クロイツ、ゲルク、アイゼン、グレゴール、リリス、六人のHPゲージが半分以下まで一気に下がり、イエローゲージに突入した。
直後にサタンと十二魔将全てにバフが入る。
【闇の胎動】
【魂の絆】
継続回復の闇の胎動。
ダメージ分散の魂の絆。
それでも減少するHPの方が大きい。
従者が一人死ぬ程度なら構わないと思っていたアインスであるが、流石に全滅となると話は違ってくる。
蘇生実験どころではない。敵を倒せず、こちらが全滅したとは口が裂けても言えない。最強と謳われた
視界の片隅で、ゼクスが静かに立ち上がるのが見えた。
「レオン様にご報告をする。異論はないな」
アインスは絶望の眼差しを向けた。
断ることなど出来ようはずがない。
だが、せめて報告だけは――
「……私が報告をするわ」
「なら早くしろ。俺は戦いの準備をする」
歩き出すゼクスの背中を見つめ、震える唇でアインスは通話を繋げた。
感情を悟られないように、努めて冷静に――
『レオン様、お休みのところ申し訳ございません。お話があるのですがよろしいでしょうか?』
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