教国㊲

 頑強な石の壁が街を覆っていた。

 流石に教国の首都だけ有り、左右に長く伸びた城壁は見事の一言に尽きた。長さだけではない。今まで見てきたどの城壁よりも、高さや厚みがある。

 積み重ねた石の色が途中で変わっているのは、恐らく何百年と長い時間を費やし、少しずつ増築した結果なのだろう。

 城壁の門が開け放たれているため、本来はどんな魔物も通さない強固な壁も、今では意味を為していない。首都の人間は全て他の街に移っていることもあり、門番のような存在も無く、誰でも出入りが自由だ。

 サタンを先頭に、十二魔将は門を潜る。

 浮遊魔法で空から侵入しないのは、地上から狙い撃ちにされるためだ。勿論、門を通るときにも細心の注意を払ってるが、敵の罠や襲撃はなく、簡単に通ることが出来た。

 静寂が街を包み込んでいた。

 街は閑散として人の姿はなく、偶に野良猫や野良犬を見かける程度だ。

 サタンは町並みを見ながら周囲の気配を探るが、近くに敵が潜んでいる様子はない。


「こうも簡単に街に入れるとは、拍子抜けだな」


 街に入る時が一番狙われやすい。

 敵は建物に潜んで姿は見つけ難く、逆に街に入る者は姿が丸見えだからだ。

 敵から見れば先手を取れる絶好の機会、そこで何も仕掛けてこないのだから、サタンが拍子抜けと言った言葉も頷ける。

 殆どの十二魔将が頷く中で、後ろを歩くアスターが苦言を呈す。


「油断は禁物です。ここは相手の縄張りテリトリー、どんな罠があるか分かりません。どうかお気をつけください」


 何の出迎えもないことが、逆に不気味であり罠を窺わせた。

 アスターは探知魔法を発動させながら、周囲の反応を探る。

 探知魔法をすり抜ける魔法やスキルはあるし、探れる範囲も限られてはいるが、やはり使うと使わないとでは、罠や敵の見つけやすさは違ってくる。

 アスターが探知魔法で調べているのは、敵と言うよりも、街にいる野良猫や野良犬の動きだ。

 犬や猫は、ある意味で人間よりも鋭い感覚を有している。犬や猫が不自然な動きをした場所には、何かがあると踏んでのことだ。

 

「ねぇねぇ~、アスターく~ん。凄く大きな街だね~」


 リリスはアスターの頬を、「うりうり~」と指先でつつきながら話しかけてくるが、アスターは露骨に嫌な顔をするだけで、頑なに無視だ。


「つまんな~い」


 反応がないことに、リリスが「ぶぅ~」と頬を膨らませると、グライトが隣に並んでニタリと笑う。


「構って貰えなくてお可哀想に。私が代わりにお話を窺いますよ?」


 リリスは「えぇ~」と顔をしかめて、小柄なアスターの陰に隠れた。 


「相変わらず面白い反応をしますね。よろしければ私の拷問を受けてみませんか? きっと楽しいですよ」


 楽しいのはグライトだけだ。

 リリスは「べぇ~」と舌を出して、グライトから逃げるように距離を取る。

 背後の騒がしい声が癇にさわり、サタンが顰めっ面で振り返った。


「いい加減にしろ。遊びで来ているわけではないんだぞ?」

「だってグライトが~」

「申し訳ございませんサタン様。リリスの反応が面白くて、つい」


 グライトはニタニタと笑う。

 サタンの反応すら面白がっていた。

 そう創られているから仕方ないとは言え、やはり気分は良くない。サタンは「以後、気を付けろ」と、不機嫌そうに前を向いた。

 リリスとグライト、二人の行動には緊張感の欠片もない。他の十二魔将は、何をやっているんだと、蔑んだ目で二人を見ていた。

 サタンに咎められたこともあり、一行は黙々と歩みを進める。

 暫く歩くが景色が一向に変わらない。公平を期すためか、それとも明確な基準があるのか、立ち並ぶ建物は、どれも同じような造りで個性がまったく見られない。先に進んでいる気がしないのは、その変わらぬ町並みも、大いに関係していた。

 肩に巨大な鎌を担いだアイゼンが、通ってきた道を一度振り返る。城壁は遙か彼方、通ってきた城門は米粒より小さく見える。

 呆れたようにボソリと呟いた。


「本当に大きな街だ」


 大通りのずっと先に、大聖堂と思しき巨大な建物が見えるが、距離はまだまだ先だ。今まで歩いてきた距離を考えても、この街は異常なほど大きい。

 アスターはその言葉を拾い、アイゼンに振り返る。


「サエストル教国の首都セントリアは、直径十五キロはあります。警戒しながらの歩きでは、中央にある大聖堂まで、それなりの時間を費やすでしょうね」

「そうか……」


 アイゼンが無愛想な顔で答えると、話を聞いていた他の十二魔将も、予想より距離があることに肩を落とした。

 しかし、リリスは――


「それ! それ、さっき私が言った~。アスター君は~、何で私の時は無視するのかな~。アイゼンの時は答えるなんて~、ちょっとずるくな~い?」


 リリスは「ほれ~、答えて見ろ~」と、アスターの頬を指先でつつき出す。

 迷惑この上ない。

 うるさい声にサタンが振り返り一睨みすると、リリスは肩を窄めてシュンとなる。そんなことを繰り返しながら歩いていると、アスターが静かに声を上げた。


「敵です。距離は前方二キロ」


 まだ距離は十分あるが、長射程の遠距離攻撃なら余裕で届く距離だ。障害物がないため、サタンの深紅の瞳も薄らと人影を捉えていた。


「クロイツ、ゲルク、前に出ろ。お前達なら一撃で落とされることはないはずだ」

「「はっ」」


 防御力の高いクロイツと、物理攻撃を無効化できるゲルクが前に出る。同時にメルがサタンの隣に並んだ。


「サタン様、殲滅魔法をぶち込んでも良いわよね?」


 先手必勝とばかりにメルが杖を構えるが、サタンがそれを止めた。


「ダメだ。殺すのは敵の正体を確認した後だ。アインス様にも言われたはずだ。敵の正体を探り、そして殺せと。敵を確認せずに殺すのは、アインス様の命令に反する」


 確かにそんなことを言っていた気がする。

 命令では仕方ない。メルは渋々後ろに下がり、膨れっ面を見せた。素直なメルの表情を見て、サタンは僅かに笑みをこぼすが、それも一瞬だ。直ぐに気を引き締めて前を向く。

 敵との距離が、五百メートル、三百メートルと徐々に縮まるが、敵には動く気配がない。伏兵を想定してサタンは振り返る。


「アスター、他に敵の反応はあるか?」

「いいえ」


 アスターは真っ直ぐに前を向いているが、その頭の中では探知魔法が常に発動中だ。

 探知魔法で見えているのは前方の敵だけ、他に反応はない。周囲にいる小動物にも不自然な動きはないため、敵は潜んでいないと思われた。


「……たったの一人だと言うのか?」


 サタンは訝しげに、アスターの隣に視線を移す。


「ノワール、周囲に敵の気配は?」


 隠密行動を得意とするノワールは、敵の気配を探ることに長けている。何か掴んでいるのではと視線を向けるが、ノワールはくぐもった声で否定の言葉を口にした。


「前方の敵だけ。他に気配はございません」

「……どう言うことだ。まさか一人で我々と戦うつもりか?」


 舐めすぎている。

 あと数十メートルで接触するところで、一行は足を止めた。

 サタンはクロイツとゲルクの間から相手の様子を窺うが、敵と思しき人物は何もしてこない。大聖堂の前にある、交差した通路の中央で佇んでいるだけだ。

 敵と思しき相手は性別が分からない。

 長い髪から女の様でもあるが、胸には女性の象徴たる膨らみがない。目の前の人物は、金色の長い髪と白い法衣を、吹き抜ける風で為すがままに靡かせていた。

 目元を銀色の仮面で覆い隠し、サタンと十二魔将を見渡している。そしてサタンを見て視線が止まった。


「始めまして。取り敢えず自己紹介をしておこう。この体はラファエルだ」


 声は男のものだ。

 性別は判別できたが、違和感のある言い方にサタンが眉間に皺を寄せた。


「この体は? まるで他にも体がある言い方だな」

「まさにその通りだ。この体は言わば、私の分身のようなものだ」


 アスターが注意深く顔色を窺うが、相手の表情からは、嘘を言っているのか本当のことなのか見当がつかない。

 サタンがチラリと後方に視線を向けるが、分からないと首を振るアスターを見て、直ぐに視線を戻した。

 

「……分身か、では本体に会わせてもらえるか?」

「私に会いたいか……。一つ確認したいことがある。お前たちはレオンの従者で間違いないな?」


 サタンの目つきが鋭さを増す。


「誰のことを言っている?」

「そう警戒するな。私はこれでも、戦いの庭園バトルガーデンのレオンとは知り合いだ」


 サタンのみならず、十二魔将にも動揺が走る。

 意見を交わすように、互いの顔を見合わせていた。


「レオン様のお知り合い……。まさか! 戦いの庭園バトルガーデンに所属するプレイヤー、レオン様のご友人?」


 サタンはガバッとアスターに振り返るが、やはりアスターの観察眼を持ってしても、言葉の審議がつかない。

 アスターは、「分かりません」と首を横に振ることしか出来なかった。

 ラファエルは「ふむ」と一度考え込む。 


「勘違いをするな。レオンの知り合いと言っても、私は同じギルドに所属しているプレイヤーではない。戦いの庭園バトルガーデンとは戦ったことがあるだけだ。それにしても、サタンと十二魔将が勢揃いとは珍しい。レオンの知り合いと言ったときのお前達のあの反応、やはり全てレオンの従者と見て間違いないか……」

「嘘を言って私たちを試したのか!」


 鎌を掛けたのかと、サタンの声が怒りを孕んだ。

 

「落ち着いて欲しい。先程も言ったが、レオンの知り合いと言うのは本当だ。私はレオンに会いたい。お前達なら直ぐに連絡が取れるはずだ。レオンをこの場に呼んでくれないか?」

「……レオン様をお呼びしろだと? そんなに会いたければ、お前の方から会いに行くのが筋ではないのか?」


 もっともな答えだが、ラファエルは首を横に振った。


「私は故あってこの街から出ることが出来ない。レオンも私を見れば直ぐに分かるはずだ。頼む」


 サタンはアスターに振り向くも、結果はやはり同じだ。

 真摯に訴えているようにも聞こえるが、抑揚のない口調が嘘を匂わせる。

 だが、もし本当にレオンの知り合いであるなら――

 サタンは答えを決めかねていた。そしてアインスに言われたことを思い出す。


「――少し待て、確認をとる」

「構わない。私には時間がある。悠久にも等しい時間が……」


 悠久の時間。

 やはりプレイヤーなのか? と、サタンの頭の片隅で過ぎる。そして振り返り十二魔将に念を押した。


「お前達は警戒を怠るな。私はアインス様の指示を仰ぐ」


 十二魔将の中に反論する者はいない。

 頷き返す十二魔将を見て、サタンは片耳を手で覆い、静かに目を伏せた。直ぐにアインスに繋がり、緊張した面持ちで唾を飲み込む。


『アインス様、サタンでございます。少しご相談が――』





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