教国㊱

 アスターの予想した通り、状況は変わらぬまま日付だけが過ぎ去っていた。

 王国と帝国の争いも終わり、近いうちに帰還命令が下るだろう。主の手を煩わせるのは気が引けるが、後はレオンにありのままを報告し、指示に従い動くだけだ。

 もちろん、主が出向くことは絶対に避けねばならない。危険は従者が肩代わりするのが当然だ。

 もっとも、その説得が一番難しいのも理解していた。

 玉座の間に呼ばれたアスターは、主をどう説得するかを道すがら考えていた。

 しかし、良い案が浮かばない。これまでの行動を見ても、レオンは自ら動きたがるし、ナンバーズの意見すらはね除けることが多い。

 従者が先行して様子を見ると言っても、心配性の主のことだ。自分も同行すると言い出すのは目に見えている。

 従者が束になって説得して、果たして受け入れてくれるだろうか……。

 自室から離れている玉座の間が、既に目と鼻の先に見えていた。考えているときは時間が経つのも早いものだ。

 鋼鉄の扉を見上げ、アスターは足を止めた。玉座の間に呼ぶと言うことは、何らかの命令が下ったのだろうと。

 命令とは何か? 決まっている。

 扉に伸ばした手が途中で止まった。


(王国と帝国の戦争は終わった。玉座の間に呼ばれたと言うことは、きっとレオン様から帰還命令が出されたからだ。これまでのことを報告すれば、レオン様は必ず自ら動くと言い張るに決まっている。そこをどう説得するべきか……)


 レオンを止める良い案が浮かばず、アスターの口からは溜息が漏れた。伸ばした手が動き出し、扉にそっと触れると、両開きの扉は音もなく解放されていく。

 玉座の前で、横一列に跪く十二魔将が視界に入り、アスターは瞬きをして見返した。一目で違和感を覚えたからだ。

 跪いている人数は十二、自分も入れると十三になる。その中にサタンの姿を見つけて、アスターは嫌な予感で胸がざわついた。

 十二魔将の主であるサタンが膝をつく相手。

 アスターの視線がゆっくり動いて玉座を捉え、足を組んで座る、その人物を見て体が強ばる。


「あ、アインス様……」


 アインスの氷の様な冷たい視線が、アスターを見据えていた。


「アスター、いつまでそうしているつもり? 早く跪きなさい」


 最後の言葉は怒気を孕んでいる。

 アスターは跳ねるように言葉に従った。

 跪く十二魔将の端に駆け寄り、同じように片膝をついて頭を下げた。聞きたいことは山ほどあるが、言葉が出ない。顔を上げるのも躊躇われた。


「ある程度のことはサタンから聞いているけど……、レオン様に報告をしなかったのは正解ね。プレイヤーの存在を知ったら、レオン様は自ら探りを入れるだろうし、そんな危険なことをさせる訳にはいかないわ。でも――」


 アインスの視線が鋭くなる。


「どうして今まで私に報告をしなかったのかしら? レオン様に報告をしないのは分かるわ。レオン様の身を案じての事でしょうし、レオン様は王国と帝国のことでお忙しものね。私が怒っているのは、なぜ従者統括である私への報告が遅れたかについてよ。業務命令は速やかに行うのが基本でしょう? そう思わない? アスター」


 アスターは緊張を悟られないように、僅かに顔を上げた。

 額からは冷や汗が流れ落ちる。


「仰る通りでございます」

「では、なぜ私への報告が遅れたのかしら? 参謀役の貴方が、報告をするなと釘を刺したのではなくて?」


 アスターは言葉を選んでいた。

 報告が遅れたと言うことは、アインスに報告をした者がいると言うことだ。見当はついているが、問題はそこではない。

 今はこの場をどう取り繕うかだ。


「アインス様の手を煩わせるほどのことではないかと。敵が首都のセントリアを出たら、そこを叩く手はずになっておりました」


 嘘は言っていない。

 首都の周辺にはイビルバットを飛ばしているし、敵の動向は常に見ている。敵が首都を出たら、初めから攻撃を開始する予定だった。


「なるほどね。今の今まで敵に動きがなかった。帰還命令も迫り、だから私に報告を入れた。そんなところかしら?」

「仰る通りでございます」


 アインスの視線が幾分か和らぐのが感じられた。


「……そう言うこと。でも今度からは、どんな些細なことでも報告を上げなさい。貴方たちの管理も、私の仕事だと言うことを忘れて欲しくないわね」

「はっ」

「参謀役のアスターが慎重になるのも分かるけど、流石に後手に回り過ぎね。このままでは何もせずに帰還命令が下るでしょうし――」


 アインスは中央で跪くサタンに視線を向けた。


「敵がわざわざ招待してくれているのだから、招待されるのも悪くないわね。サタン、貴女たちで敵の正体を探り、そしてきっちり殺してきなさい。恐らくこの国にプレイヤーはいないわ。貴女から聞いた話では、プレイヤーの装備はあっても、プレイヤーは一度も姿を見せていない。それどころか自らの装備を手放している。この国に残っているのは、プレイヤーがいた名残だけ。仮にプレイヤーが居たとしても、絶対にレオン様のご友人ではないわ」

「……プレイヤーはいない」


 数ヶ月前、アスターが言っていた言葉と同じだ。

 視線を下げて考え込むサタンを、アインスは訝しむ。


「どうしたのサタン?」

「はっ! レオン様からは、首都の大聖堂に近づくなと厳命されておりますが、如何いたしましょうか?」


 これも重要なことだ。


「全てが終わったら、レオン様には私の方からご報告をするわ。それとも、私の命令は聞けないとでも言うつもり?」

「――そのようなことは決して。ご命令、謹んでお受けいたします」


 返答までに間があったことに、アインスの顔は不機嫌になるが、それも僅かな時間だけだ。


「まぁいいわ。私が好きになって欲しい御方はレオン様だけ、他の者に好かれたいとは微塵も思わなもの」


 アスターは心の中で(でしょうね)と呟いてた。そして恐る恐る口を開く。


「恐れながらアインス様」

「なに? アスター」

「アインス様が拠点から出られたのは初めてのことではないでしょうか? 拠点の管理はよろしいのですか?」

「少し前から試験的に、拠点の管理を司祭ドルイドのバステアと、錬金術師アルケミストのルミナスに代行しているわ。私だってレオン様のお側に居たいもの。いつまでも拠点に引き籠もっていられないでしょ?」

「そうでしたか」


 アスターは和やかに「それは何よりです」と答えるが、内心は違っていた。


(アインス様が拠点から出ると、サタン様はますますレオン様に近づけないなぁ。お可哀想に……)


 出来ればサタンとレオンが添い遂げてくれたらと思うが、アインスが拠点を出るとなると、間違いなくレオンにストーカーのように付きまとうはずだ。

 他のナンバーズならいざ知らず、その他の従者がアインスに太刀打ちできるはずがない。チラリと横目でサタンの様子を窺う。


(この分だと、サタン様がレオン様の寵愛を受けるのは、随分と先になりそうだ……)


 アインスが立ち上がるのを見て、アスターは他の十二魔将同様、恭しく頭を下げた。


「サタン、後は貴女に任せるわよ。何かあったら直ぐに通話で報告をなさい」

「はっ!」


 返事を聞いたアインスは、満足げに転移の魔法で姿を消した。程なくしてサタンが立ち上がると、他の十二魔将も思い思いに立ち上がる。

 アスターは真っ先にサタンの下に歩いていた。


「アインス様にご報告をしたんですね」


 眉を下げて困ったように告げるが、サタンは一瞥しただけで、視線を合わせようとはしない。ただ俯き、考え込むような仕草をするだけだ。


「サタン様?」

「……ん? ああ、アインス様への報告は、私とグレゴールで決めたことだ。アスター、お前には悪いと思うが、これが最善のはずだ」

「分かっています。僕はとやかく言うつもりはありません。それにアインス様のご命令であれば、レオン様のご命令を破ることになっても、大目に見てくれるはずです」

「そうだと良いが……。ところで、お前も以前プレイヤーはいないと言っていたな? 今でも本当にそう思うか?」

「僕の考えは変わりません。今でもそう思っています」


 サタンは「そうか……」と、再び考える仕草を始めた。


「プレイヤー以外で、プレイヤーを殺せる存在……。やはり何が出るか分からぬ以上、我々の最大戦力で事に当たるべきか……」


 独り言を呟くサタンにアスターも同意する。


「それがよろしいかと。念のため、城の地下に通じる階段には、全て隠蔽魔法を施してありますし、食料や水も豊富に備蓄しています。地下に捕らえている女性は、影の騎士シャドウナイトに任せて問題ないでしょう」


 話しかけられたサタンは意外そうに振り向いた。


「――聞こえていたのか。そうだな」


 独り言にしては大きな声だ。

 聞こえないと言う方が無理がある。サタンの周りには十二魔将が集まり、言葉に耳を傾けていた。


「王国と帝国の戦争は既に終わっている。いつレオン様から帰還命令が出ても可笑しくない。時間が無い。直ぐに出るが問題はないな?」


 サタンは真剣な眼差しを十二魔将に向けた。

 一人、また一人と頷き、最後にグレゴールが頷くのを確認して、サタンの視線はアスターを向いた。

 既に準備は整っている。


「アスター、転移の魔法で飛べるな?」

「勿論です。事前に首都であるセントリアの近郊には足を運んでいます」

「頼む」


 サタンの命を受けてアスターは魔法を唱える。次の瞬間には、サタンと十二魔将は玉座の間から姿を消していた。





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