教国㉞

 教国の首都セントリアでは、一人の老人が大聖堂の中枢に足を踏み入れていた。

 顔には歳相応の皺が刻まれているが、老人にしては背筋がピンと伸びている。普通の司祭と同じ様に、簡素な司祭服を身に着けているが、その頭には装飾の施された司祭帽があった。

 髭は綺麗に剃り落とされている代わりに、長い眉毛が特徴的な老人だ。

 名はレアンドル・シラク。サエストル教国において、教皇と呼ばれる唯一無二の存在である。

 大聖堂の中枢は年代を窺わせていた。

 カビ臭い匂いと、風化して色あせた石の壁。嘗ては見事な肖像画が描かれていたであろう天井は、色が落ちて所々が崩れていた。

 しっかりとした石造りの建造物でなければ、今頃は建物自体が崩れていたかもしれない。

 大聖堂中枢の手入れが為されていないのは、ここに入れる人物が歴代の教皇しかいないからだ。

 教皇が壁の修復や、肖像画の復元を出来るはずもなく、何百年にも渡り放置された結果が、いまの大聖堂中枢の姿である。

 窓も無く、外界から完全に閉ざされた場所。ここで教皇が行える手入れと言えば、光を灯す魔道具マジックアイテムを定期的に交換することくらいだ。

 教皇レアンドルはこの場所が好きだった。カビ臭い風化した建物だが、歴史の重さを感じさせるには十分な場所だからだ。歴代の教皇が、この場所に足繁く通ったかと思うと、自分も誇らしい気持ちになる。

 部屋の奥には石で出来た肘掛け付きの椅子が置かれているが、装飾品の類いは腐食して崩れ落ち、嘗ての彩られていた面影は何処にも無い。

 教国の始まりの場所、その神聖な空間で、レアンドルは片膝をついて椅子に座る人物に頭を下げた。


「ラファエル様、今日はご報告に参りました」


 座っていたのは若い男だ。

 椅子には深く腰を落とし、肘掛けには手を置いている。

 威風堂々としているが、街に置かれたラファエルの石像とは似ても似つかない。しかも、目元は銀の仮面で覆われていて、顔の全てを知ることが出来なかった。

 髪は金髪でサラサラのロングヘアーだが、胸は無く、体型は細い男のものだ。体にはレアンドルと同じ、白い法衣を身に纏っている。

 仮面に空いた穴からは、青い瞳が覗いていた。


「よく来たレアンドル。何か動きがあったのか?」


 心に溶け込むような透き通る声。

 レアンドルが名前で呼ばれるのは久しいことだ。

 教国の古い習わしで、教皇になった者は名を捨て、残りの人生を神に捧げると決められている。レアンドルも例外ではない。教皇に即位した時から、常に教皇様としか呼ばれなくなっていた。

 唯一名前で呼んでくれるのは、国の絶対神であるラファエルくらいのものだ。

 後から聞いた話では、ラファエルはそんなことを決めた覚えはないらしいが、恐らくは歴代の教皇が、神への畏敬や畏怖を込めて考えたことなのかもしれない。 

 古い習わしを変えようとは思わないが、自分に名前があると実感できることは喜ばしいことだ。

 レアンドルは名前を呼ばれた嬉しさも相まって、笑みを携えて朗報を告げた。


「はい。たった今、ルイビアを奪還したと知らせが参りました」

「ルイビアを? そうか……」


 仮面の奥は分からないが、見えている部分に関しては無表情だ。喜ばしい報告にも関わらず、ラファエルの口調は歯切が悪い。


「如何いたしましょうか?」

「………………………」


 返事が無いことに、レアンドルは何か落ち度があったのかと眉を下げた。


「ラファエル様?」


 程なくしてラファエルは重い口を開く。


「――レアンドル。王国のレオン・ガーデンの動きはどうなっている?」

「レオンでございますか?」

「そうだ」


 隣国で脅威になり得る者は常に調べて報告をしているが、レオンの名が出てからというもの、ラファエルはレオンのことを常に知りたがっていた。

 レアンドルはそれが不思議でならない。

 確かに有力な冒険者で強いのかもしれないが、所詮は冒険者だ。


「今はアスタエル王国から、爵位と領土を貰っていると聞いておりますが……。レオンがどうかなされたのですか?」


 爵位と言っても男爵、与えられた領土も獣人との国境と聞いている。

 恐らくは冒険者としての腕を見込まれて、国の防波堤を任されたのであろうが、そのような話はよくあることだ。


「お前が教皇に即位した日、私がプレイヤーの話をしたことを覚えているか?」

「勿論でございます。強大な力を持つ異界の者。この世界を揺るがす存在。だからこそ、今回のスケルトンはプレイヤーが関与していると――」

「そうだ。そしてレオンは恐らく、いや、間違いなくプレイヤーだ」


 レアンドルは眉をひそめる。

 炎を操るサラマンダーを使役しているとは聞いているが、サラマンダーを従えているだけではプレイヤーとは言いがたい。


「確かに炎を操るサラマンダーを従えてはおりますが、長い歴史の中では珍しいことではございません。中にはサラマンダーを召喚した者もおります。密偵の調べでは、レオンはサラマンダーを召喚したのではなく、偶然居合わせたサラマンダーを、運良く手懐けたと聞いております。冒険者ギルドでも、レオン自身の評価はそれほど高くはないようです。サラマンダーを手懐けた程度では、プレイヤーの根拠としては、些か乏しいのではないでしょうか?」

「サラマンダーに関してはお前の話す通りだ。プレイヤーの根拠にはなり得ない。私が言っているのは、奴の名前と風貌のことだ」


 あたかも以前から知っているような口振りである。レアンドルは聞き間違いかと、キョトンと何度か瞬きをした。


「――どう言うことでしょうか?」

「私はレオンを知っているのだ。以前、お前からレオンの風貌を聞いたとき、その時からもしやとは思っていた。そして今回の騒動だ。しかも、王国が帝国に狙われているタイミングで、我が国の北西にスケルトンが出現している。あたかも、こちらの兵を引きつけるかのようにだ。もう疑いようがない。王国のレオン・ガーデンは、戦いの庭園バトルガーデンのレオンで間違いない」


 レアンドルは要領を得ない。

 ラファエルはこの街から出たことがないからだ。年に数回、お忍びで街中を視察することはあるが、それ以外は常にこの場所に鎮座している。

 国境は全て封鎖しているため、例え冒険者であっても越えることが出来ない。レアンドルの知る限り、レオンとラファエルが接触できる機会など、一度として無いはずである。にも関わらず、目の前の神はレオンのことを知っていると言うのだ。


「その口振りでは、以前からレオンとお会いしているようですが、一体何処で……。それに戦いの庭園バトルガーデンとは何なのですか? レオンのファミリーネームにも似ておりますが?」


 ラファエルは直ぐには答えず間を置いた。顔には出さないが、沈黙の間がラファエルの迷いを表している。


「――私がこの世界に降り立つ前、レオンとは幾度となく戦ったことがある」


 レアンドルの瞳が大きく見開いた。


「この世界に降り立つ前に戦った? レオンはラファエル様と同じ神なのですか?」

「違う、だが神に等しい力を持っているのは事実だ。私が知るレオンは本当に強かった。レイド戦において恐らく奴は最強だ」


 レアンドルの瞳が困惑で揺れ動いた。


「れいどせん? よく分かりませんが、レオンとは、それほどまでに強いのですか?」


 ラファエルは断言する。


「強い。だが奴の強さは仲間あってのものだ。個の力は他の仲間より一段落ちる。今の私には、どう足掻いても勝てないだろうな……」


 ラファエルの言葉が悲しげに聞こえた。


「仲間ですか……」


 不意に帰ってこない乙女の盾メイデン・シールドが脳裏を過ぎる。

 レアンドルにとっては仲間――、家族も当然の存在である。思い出して顔を顰めるが、ラファエルが口を開くのを見て直ぐに耳を傾けた。


戦いの庭園バトルガーデンとは、レオンが所属していたギルドの名だ。ギルドに所属している仲間がいたからこそ、レオンは強かった。残念だが今の奴は一人だろう。この世界では、プレイヤーは十人と集まることはないからな。私に負ける要素が見当たらない。それが少し寂しくもある……」

「何を仰っているのです。確実に勝てるのであれば、それに越したことはございません」


 不安そうな目でレアンドルが見ていた。

 言葉の端々から何かを感じ取ってのことだ。


「そうだな、勝てることに越したことはないか……。レアンドル、お前に頼みたいことがある」

「はっ、何なりとお申し付けください」

「うむ、では全軍を撤退させよ。中央と北の街は全て放棄する。住民も速やかに避難させるのだ」


(放棄?)


 レアンドルは暫く言葉が出なかった。


「……な、何故です! 敵に街をくれてやると言うのですか?」

「そうだ。出来れば私が出向いて戦いたいところだが、あいにく私は、首都のセントリアから動くことが出来ない。動けない以上、敵から来て貰う必要がある。この街は壊滅するだろうが許して欲しい」

「でしたら、みな一丸となり――」


 ラファエルは言葉を遮る。


「レアンドル、お前は分かっているはずだ。普通の人間では足手まといになると。どんなに素晴らしい武具を身に付けていても、中身が脆弱では話にならないと」


 ラファエルが言っているのは乙女の盾メイデン・シールドのことだ。

 教国最強と呼ばれる部隊でも敵わない相手だ。無駄な犠牲を出すより、避難をする方が賢明であった。

 ラファエルの言葉は正しい。

 レアンドルは反論が出来ずに顔を伏せていた。


「――畏まりました。中央と北の街を全て放棄いたします」


 国を預かる身としては苦渋の決断だ。


「辛いだろうが我慢して欲しい。こうでもしなければ犠牲が増える一方だ。それと東には避難をさせるな。多くの人間が東に集まれば、王国を――レオンを刺激することになる。それは出来れば避けたい」

「はっ……」


 レアンドルの返事は力ない。

 ラファエルは本当に申し訳なく思う。

 これではルイビアを奪還した兵士の労が報われないからだ。

 そして、レアンドルにも……。


「レアンドル、乙女の盾メイデン・シールドの件はすまなかった。やはり彼女たちを行かせるべきではなかった。こうなる結果は容易に想像がついていた……」


 レアンドルは顔を上げて首を横に振った。


「首謀者とスケルトンの討伐は、あの子たちが自ら言い出したことです。ラファエル様が気に病むことではございません。今回の出兵についても、何度も本人の意思を確認いたしました」

「それでもお前にとっては自分の娘も同じはずだ。彼女たちだけではない。私の判断がもっと速ければ、失われずにすんだ命は多いはずだ」


 ラファエルは無表情のままだが、言葉の端々から悲しんでいることが伝わってくる。

 レアンドルはそれだけで嬉しかった。


「ラファエル様のそのお気持ちだけで、亡くなった者も浮かばれるでしょう。犠牲は無駄ではございません。必ず明日に繋がっております」

「――そうだな。そうであることを私も願っている」


 ラファエルの答えに、レアンドルは僅かな笑みを含み、同調するように頷き返した。


「私は直ぐにラントワールへ撤退の知らせを行います。それでは失礼いたします」


 レアンドルは恭しく頭を下げ立ち去った。

 いつもの静寂が戻り、ラファエルは操作盤コンソールを開いて自分の記憶ログを調べていた。

 開いたのはプレイヤーでは見ることの出来ない、非公開のランキングだ。


【レイド討伐数 一位 レオン 戦いの庭園バトルガーデン


 自分の本音が漏れていた。


「また彼と会いたいものだ……」


 ラファエルは昔を懐かしむ。

 幾度となく繰り返してきた、遙か遠い戦いの記憶を――






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サラマンダー「僕のランキングは?」

粗茶「モブにあるわけないだろ」

サラマンダー「え? (´・ω・`)」

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