教国㉘

 同じ頃、ミティとシオンは森を抜けようと馬を飛ばしていた。

 定期的に後ろを振り返りながら追っての確認も怠らない。仲間が命をかけて逃がしてくれたのだ。

 絶対にラントワールに戻らなければ、仲間の犠牲が無駄になる。

 シオンが馬に跨がる位置を変えているのを見て、ミティは昔の自分を思い出す。初めの頃は自分でもよくやっていた仕草だ。


「シオン、股ずれが痛いでしょうけど我慢して。日が暮れるまでに森を抜けないと――」

「私は大丈夫。先を急ぎましょう」


 シオンは真剣な眼差しで真っ直ぐ前を向いている。

 口にこそ出さないが本当は痛いはずだ。

 初めての任務で馬に慣れていないにも関わらず、数日間ずっと馬に乗っている。股ずれが痛いのは仕草を見れば分かる。

 ミティにも経験があることだ。


「そうか、ならいいんだ」


 気丈に振る舞うシオンが今は有り難い。

 馬を止めるわけには行かないし、森は少しでも早く抜けたい。それでも馬が無限に走れるわけではないため、どこかで休息を取る必要はあるが、森の中では余りに危険すぎた。

 二人は黙々と馬を飛ばす。

 空の明るさが一段落ちる頃には、遠くに開けた平原が見えた。同時に森の出口に人影を確認してミティは警戒を強める。

 視界に捉えた相手は一人だけ、しかも女性だ。だからと言って教国の人間でないことは一目で分かる。

 女性は貴族が身に着けるような、黒いドレスに身を包んでいたからだ。教国では着られない衣服が、敵であることを雄弁に物語る。

 出口を塞ぐように道の中央に佇んでいるが、道幅が広いため両脇はがら空きだ。

 ミティは馬を寄せてシオンに囁いた。


「シオン、あの女は無視だ。全力で脇をすり抜ける」


 頷くシオンを見てミティは馬の腹を蹴る。

 シオンも後に続いて馬を加速させるが、女性に近づく前に馬の速度が急激に落ちた。それはミティの馬も同じだ。

 どんなに馬の腹を蹴っても速度が上がらず、果てには馬が立ち止まる始末だ。


「どうしたんだ? おい!」


 ミティは手綱を強く引くが馬は一向に動こうとしない。


「無駄ですわよ。その馬は既に私の支配下にありますわ」


 ゆっくりと女性が歩み寄る。

 深紅の瞳が怪しく光っていた。


「ミティ……」

「――やるしかないようね」


 ミティとシオンが馬を降りて身構えると、女性はその場で立ち止まる。

 

「私の名前はシエラ。初めまして小さなお嬢さん、ぜひ仲良くしたいですわね」


 シエラはミティを見て舌なめずりをする。

 そしてシオンに視線を移してほくそ笑んだ。


「おまけもいるようですけれど――、こっちも捨てがたいですわね。本当に美味しそう」


 悪寒を感じた二人に鳥肌が立つ。

 うっとりと二人を見渡すシエラの瞳が揺らめいた。

 次の瞬間には姿が消える。


「え?」


 思わずミティが声を上げた。

 いつの間に移動したのか、シエラがミティの背後から抱きついていたからだ。

 首筋に滑りとした感触を感じて背筋が凍る。気が付いた時には、シエラの舌がミティの首筋を妖艶に舐め上げていた。


「ミティ離れて!」


 突然の出来事に、シオンは距離を取り杖を向けるが、密着した状態では魔法を放つことができない。

 ミティもそんなことは分かっていた。

 しかし、どんなに体を動かそうとしても指先すら動かない。口も麻痺して声すら出せなかった。

 シエラの体にもたれ掛かり、自分では立つことすら出来なくなっている。


「無駄ですわよ。ほら、ここに爪で付けた切り傷が見えるかしら?」


 ミティの左腕を持ち上げて、手の甲に付いた僅かな切り傷を二人に見せる。

 手を放すと、ミティの左腕はだらんと下がった。


「私の爪は相手を麻痺させますの。この子はもう自分で動くことはできませんわよ」


 そう告げるとミティの顔を自分に向けた。

 シエラの舌が首筋から這い上がり、そのままミティの唇を奪う。舌は口の中まで滑り込み、ミティの口の中を舐め回した。

 口はだらしなく開いたままで、どんなに閉じようとしてもミティの意思は反映されない。

 息苦しさと気色の悪い感触に、ミティの瞳に涙が浮かぶ。

 シオンは為す術がなかった。

 シエラはミティを盾にするように後ろから抱きついているため、魔法では間違いなくミティを巻き込むことになる。

 背後に回った素早さを見ても、杖で殴りかかったところで返り討ちに遭うのは目に見えていた。もし僅かでも爪で切られたら、その時点で敗北が決まってしまう。

 シエラは一頻り楽しむと唇を放した。

 銀色の糸が伸びて、ミティの口からは溢れた唾液が流れ落ちる。


「そろそろメインディッシュをいただきましょうか」


 シエラがミティの首筋を舌で舐め上げて、今度はそのまま口を大きく開いた。

 伸びた牙を見てシオンが叫ぶ。


「ミティ! しっかりして!」


 ミティの首筋に牙が食い込み、シエラは血を吸い上げて恍惚の表情を浮かべた。

 少しづつ、ゆっくりと、血を味わったシエラは満足そうに口を離す。


「飲み過ぎては殺してしまいますものね。どうやら支配は出来たようですし、今はこれくらいで我慢しますわ」


 シエラは唇に付着した血液を舌で舐め取る。そして、名残惜しそうにミティの唇を再度奪った。


「何をしたの!」


 虚ろな瞳になったミティを見てシオンが声を荒げた。


「この子の精神を支配しただけですわ」


 シエラはミティから手を放した。


「ついでに麻痺毒も吸い上げましたの。ですからほら、支えていなくても自分で立つことができますわよ」

「……精神の支配?」


 文献で読んだことはあるが目にするのは初めてのことだ。


「ミティ! 目を覚まして! ミティ!」


 シオンは何度も名前を叫ぶが、ミティの目は虚ろなまま、心ここにあらずと虚空を見るつめている。


「無駄ですわよ」


 不意に聞こえた声にシオンの背筋が凍り付いた。

 いつの間に? そんな目でシエラを見たときには、シオンの体は背後から抱きしめられていた。

 手の甲に痛みが走る。麻痺により体が動くかなくなり、手に持っていた杖が地面に転がる。


「空間移動のスキルも知らないなんて、可愛そうに。知らなければ対策のしようがありませんものね」


 シエラが使っていたスキルは、短距離間を瞬時に移動できる次元移動ディメンションムーブと、影の中を移動する影移動シャドームーブだ。だが、そのことをシオンは知る由もなかった。

 何も出来ない悔しさと恐怖から、シオンの瞳からは涙があふれる。


「貴方はどんな味がするのかしら」


 シエラの唇がシオンの口を塞いだ。

 口の中に滑り込む舌の感触に、嗚咽と涙が止まらない。それでもシエラは、自分が満足するまで唇を離すことは無かった。

 よほど気に入ったのか、長い時間をかけてねぶり、唇の感触を味わうと、シオンの首筋に牙を立てた。

 瞳を細めて牙を抜くと、満足そうに笑みを浮かべる。 


「あっちの子よりも美味しいですわね。貴方の方が若いのかしら? それにしても――」


 シエラはシオンの怯えた目を見て顔をしかめた。 


「私の支配が及ばないということは、アスターの持っていた、あの偶像と同じ効果で既に支配されていますわね。だとすると、この子のレベルは二十四以下ということになるのかしら――」


 「まぁいいですわ」と、シエラはシオンから手を放す。

 シエラにとって大事なのは、血の味であってレベルではないからだ。

 今回は麻痺毒を吸い上げていないため、シオンの体は膝から崩れて仰向けに倒れた。それを見たシエラは踵を返す。

 ミティの傍に来ると頬を優しく撫でた。


「私は貴方のような、気性の荒い生意気な子が大好きですわ。特にそんな子が、絶望に落ちる表情が本当に大好き」


 ミティの瞳は虚ろなままだ、それでも声は聞こえている。

 シエラは仰向けに倒れたシオンに視線を移す。


「あそこに倒れている子を殴りなさい。でも殺してはダメですわよ。死なない程度に、ゆっくりと傷めつけてあげるの」


 ミティは人形のように頷いた。

 シエラの声はシオンにも届いている。近づくミティを見て、シオンは瞳で止めてと訴えかけた。

 しかし、ミティの行動は止まらない。

 シオンの上に馬乗りになると、拳が顔面に振り下ろされた。

 鈍い音が鳴り、シオン顔が殴られた方向に弾け飛ぶ。今度は逆の手が振り下ろされると、シオンの顔が反対に飛んだ。

 たったの二発でシオンの意識は刈り取られていた。

 それでもミティの拳は止まらない。

 シオンの鼻を折り、顎を砕き、頭蓋骨を割る。

 最初は赤く腫れていた頬がドス黒い色に変わり、瞼は目が見えないほど腫れ上がる。艶やかな髪は地面に擦れてボロボロになり、全ての歯を失った口からは、血の泡を吐き出していた。

 男か女かも分からないほど顔の形が変形したところで、ミティの振り上げた拳が止まった。これ以上は死ぬと判断したからだ。

 これで終わりかと思いきや、顔がダメならと、今度は体の位置をずらして腹に狙いを定めた。

 シオンのローブを胸まで捲り上げ、直接肌に拳を落とす。

 死なないように手加減をしているとは言え、振り下ろした拳に合わせて口からは血を吐き出していた。

 肋骨が折れようが、内臓が破壊されようが、死ななければお構いなしだ。白い肌が変色するのにそう時間は要さなかった。

 殴るところが無くなると、今度は腕に狙いを変えた。

 指を潰して腕を折り、更に折れた腕を殴りつける。そして今度は足に――。そうして殴り続けて、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。

 既に空は赤く染まっていた。

 命の危険の限界まで殴ると、ミティが馬乗りのまま動きを止めた。

 今のシオンは醜い肉の塊だ。

 顔はパンパンに腫れ上がり、関節はあらぬ方向に曲がっている。殴られた影響で全身が変色し、白かったローブは血と土で見る影もない。

 辛うじて生きてはいるが、女として、人として完全に終わっている。

 シエラが楽しそうにミティの顔を覗き込んだ。


「私の支配もそろそろ時間が切れますわね。自分の手で仲間の体を壊したと知ったら、この子はどんな顔を見せてくれるのかしら?」


 その光景を思い浮かべ、シエラの口元は愉悦に浸って怪しく歪んでいた。







――――――――――――――――――――――――――――――――――


サラマンダー「相変わらず酷いことするね」

粗茶「粗茶も心が痛いよ。本当は笑える作品を書きたいのに……。三章の設定がもう嫌だ」

サラマンダー「自分で考えたくせに、この作者はどうしようもないな」

粗茶「だから、色々はしょることに決めたよ」

サラマンダー「まさかのショートカット!」

粗茶「だって順番に街を落としていったら終わらないもん……」

サラマンダー「いい加減すぎる。それなら僕を出せばいいのに」

粗茶「……ちなみに三章のラスボスは超高難度のレイドです。持っていた装備は過去にプレイヤーから奪ったものです」

サラマンダー「僕の存在がスルーされた。そしてネタバレか……。たまにしてるけど、もうネタバレ止めたら? 僕の作者はアホなのかな?」

粗茶「基本アホだけど、トカゲには言われたくないな」

サラマンダー「アホなのは認めるのか……、でも最初にキャラ設定とか出すアホだから仕方ないよね」

粗茶「そのキャラ設定にトカゲはいないけどな」

サラマンダー「え? そんなまさか…………。ほんとだ!ガタガタ(((゚Д゚)))ガタガタ」


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