教国㉕

 数において劣勢にも関わらず、グレゴールの発言は明らかに戦いを望んでいた。

 では話し合いに応じたのは何故か? 命乞いをするでも無く、逃げ出しもしない。即座に思い浮かぶのは時間稼ぎだ。

 クローディアは警戒しながら、後方のシオンに目配せをした。

 周囲に気配はなかったが、腕の立つ暗殺者なら気配を消すことも出来る。既に囲まれているのを危惧してのことだ。

 シオンは敵から見えないように、体の大きなダリアの後ろに隠れた。なるべく気付かれないように小声で魔法を呟く。


「[領域探知エリアサーチ]」


 繰り出されたのは、普通の探知サーチより広域を調べることが出来る領域探知エリアサーチ

 魔力が波紋のように広がり、シオンの脳裏には、まるでホログラムのように周囲の地形が鮮明に浮んだ。

 生物は勿論のこと、木や岩の形に至るまで細部に渡り全てが明らかになる。

 時間にして僅か数秒足らず。その間もクローディアは、前方の四人を警戒して腰に下げた剣の柄を握っていた。

 ジリッと、少しだけ後方に下がり、横目でシオンの反応を窺う。

 しかし、シオンは首を横に振る。


「森の中に敵は隠れていません。魔物やスケルトンの姿も見つかりませんでした」

「――たったの四人だけ?」


 訝しげにグレゴールを見てクローディアは剣を抜いた。

 同時に乙女の盾メイデン・シールドの面々も臨戦態勢に入る。


「やっとか――」


 身構えた少女たちを見てグレゴールが呟くと、四人は静かに移動を始めた。それぞれが横に展開して互いの距離を保つが、その間も無防備なままだ。

 攻撃されないことにグレゴールが不思議そうに尋ねる。


「どうした? 攻撃してこないのか?」

「――本当に四人で私たちに勝てると思っているの? まだ話し合いの余地はあるわよ」


 情報を引き出したいクローディアは、最後の譲歩とばかりに言葉を投げかけた。


「残念だが話し合いの余地はない。お前たちは我々の主への献上品だ」

「献上品? それはつまり奴隷――、と言うことかしら?」


 村の女性が連れ去られた可能性があるとは聞いていた。やはり人身売買の組織が絡んでいるのかと、クローディアの視線が更に鋭さを増す。


「奴隷だと? 何か勘違いをしているようだな。残念だがお前たちごときでは奴隷にすらなれん。だが、玩具おもちゃとしてなら生かしておく価値がある。この国の若い女の中では、お前たち以上の強者はいないようだからな」

玩具おもちゃですって……」


 怒りを孕んだ低い声、クローディアの殺気が強くなる。


「そうだ、拷問用の玩具おもちゃだ。安心しろ、我々の主に献上する前に調教はしてやる。皮を剥いで肉を削いでも、笑って拷問を受けられるようにな」


 平然と話すグレゴールだが、クローディアははらわたが煮えくりかえる思いだ。

 隣ではダリアが歯を剥き出して怒りを顕わにし、シオンは怯えたように身を縮めていた。出来れば最年少のシオンには聞かせたくなかった話だ。

 クローディアは呼吸を整える。

 相手の主が誰かは分からないが、話を聞く限りでは間違いなく狂人の類いだ。

 これ以上の話し合いは、部隊に加入したばかりで、凄惨な場面に免疫のないシオンに悪影響を及ぼしかねない。

 クローディアは剣を固く握り締め、グレゴールを牽制しながら二人の名前を叫んだ。


「ライラ! ライサ!」


 声を合図に攻撃が開始する。

 即座にライラとライサが狙いを定めて風の矢を放ち、剣士のツバキは前屈みの状態で斜に構えた。

 目に見えない二本の風の矢が、土煙を巻き込み、渦を描きながらグレゴールを捉える。

 矢は同時に着弾し、鈍い衝撃音が、ズドン! と鳴り響いた。 

 衝撃で周囲の土が放射状に舞い上がるが、グレゴールの体は身じろぎもしない。それでも顔には擦り傷がつき、僅かだが赤い血が頬から流れ落ちた。

 グレゴールは右手の指で血を拭い取り、じっと意味深に見つめる。


「この程度か……」


 グレゴールは相手のレベルを計っていた。

 呟いた言葉は期待外れ、装備のレベルを差し引けば、使用者のレベルは高が知れている。

 もし能力ステータスがバランス型なら、弓を放った双子のレベルは二十台後半がいいところだろう。

 直後に銀色に輝く刀身が視界の端に入り、グレゴールは顔をしかめた。


(遅い……)


 剣士のツバキは一瞬で間合いを詰めた。

 使用したのは剣士特有の踏み込みのスキル、瞬動。

 たったの一踏みで十メートルを移動し、僅か数歩でグレゴールの間合い入る。そのままの勢いで抜刀の構えから抜いた刀は、まさに神速と呼ぶに相応しい速さだ。

 しかし、それを凌駕する速さでグレゴールの右手が消えた。

 先程まで血を拭っていた手がツバキの刀を受け止める。首を狙って横薙ぎに払われた刀はピタリと寸前で止まっていた。

 手の平が切れるが、感触を見る限り骨までは届いていない。


「こんなものか……」


 刀を素手で受け止めたことにツバキはギョッとする。

 咄嗟に後ろに飛び退いて距離を取ると、今度は入れ替わりでクローディアが剣を振り下ろした。

 この世界の常人では捉えきれない速さでも、グレゴールから見れば、まるでスローモーションだ。

 躱すことは容易いが、レベルを測る意味でも、敢えて無傷の左手で攻撃を受けた。

 手の平に剣がめり込み、骨まで剣が届いて、グレゴールは「ほぉ」と感心する。それでも手が切断されることは無く、骨に刃が食い込んだ程度だ。

 装備のレベルを考えれば当然のことだが、使用者の実力を加味すれば、最初の剣士よりレベルは僅かに上だ。

 グレゴールが相手のレベルを想定してる間に、クローディアは飛び退いて体勢を立て直す。

 セオリー通り一人づつ確実に殺すはずが、四人で連携しても手傷を負わせるのがやっと、こんなことは初めてのことだ。

 速度と体重の乗った一撃を止められ、クローディアの顔が歪む。


「何なの貴方は……」


 グレゴールは何も答えない。

 自分の手に付いた傷を見てほくそ笑むばかりだ。

 他の者はと言えば、ミティはゲルク、ダリアはクロイツに対峙し、ライラとライサは狙いをアイゼンに移して弓を構えて牽制している。

 馬を護衛しているエルナとエルサ、魔法が使えるシオンとラルザは後方から全体の様子を窺っていた。

 グレゴールは一頻り傷の状態を確認すると、回復の魔法を口にする。


「[肉体再生リジェネーター]」

 

 傷がゆっくりと塞がり、付着していた血液は粒子となり消えた。完全に傷が癒えると手を下げてクローディアに視線を移す。


「合格点にはほど遠いな。だが、この世界の脆弱な人間にしては、まぁまぁのレベルだ」


 グレゴールの手を見て、クローディアは悔しさからギリッと歯軋りをした。

 流れ落ちていた血液は止まり、赤く染まっていた手は無傷のように綺麗になっている。回復魔法も使えるのかと、思わず地団駄を踏みたくなる。


「この世界の人間? まるで貴方は他の世界の人間みたいな言い方ね」

「他の世界の人間か――、正確には人間ですらないのだが……。まぁ、お前たちに説明をしたところで意味は無いだろう。所詮は玩具おもちゃだ」

「……人間じゃない、か。――そうよね、私の剣を生身で受けて生きているのだから、人間のはずがないわね」


 人間でないと言われてクローディアは気持ちを切り替えた。相手は魔物や悪魔の類いだと。

 だからこそ負けるわけにはいかない。こんな化け物を野に放していたら、必ず人類の歴史に大きな爪痕を残すことになる。

 クローディアが隣に目配せをすると、ツバキは小さく頷き返す。

 二人は前傾姿勢に構えて、同時にスキルを発動させた。


「「〈瞬動〉」」


 ボフッ、と衣服が強い風圧を受ける。

 二人は霞むような速さで間合いを詰めた。

 僅か一秒足らず、銀色の刃は一瞬でグレゴールを捉え、左右から同時に剣を振り下ろす。

 神速の刃が襲いかかり、あと少しで届くところで、目の前にいたグレゴールが忽然と視界から姿を消した。

 振り下ろした二人の剣は虚しく空を切り、地面に深々と突き刺さる。


「こっちだ」


 背後の声に反応して、クローディアの剣が振り向きざまに跳ね上がる。だが、剣先はグレゴールに掠りもしない。

 ツバキも刀を振り下ろし、跳ね上げ、払い、時には突くが、その尽くが空を切る。必死に追撃を試みるが結果は同じだ。

 縦横無尽に繰り出される剣戟をグレゴールは最小限の動きで躱し、かと思えば大胆な動きで一瞬の内に二人の背後を取っている。

 グレゴールは不適に笑う。


「ふん、速さもこんなものか。どんなに装備のレベルが高くても、攻撃が当たらなければ意味が無い。お前たちのレベルは所詮その程度だ」

「攻撃さえ当たれば貴様など!」


 吠えながら刀を振り回すツバキを見て、グレゴールは刀を躱して前に出ると、すれ違いざまに拳を突き出した。

 拳はツバキの頬を的確に捉え、衝撃で首がグルンと回る。次の瞬間にはツバキの顔は背中を向いていた。

 首が歪に捻れた状態でツバキは立ち尽くす。

 刀を構えたまま動かなくなり、クローディアが見たときには、白目を剥いて口からは血と涎の泡を垂れ流していた。

 呼吸をしているのかも疑わしい状態だ。

 間違いなく首の骨が折れている。

 あまりの手応えのなさにグレゴールは眉間に皺を寄せた。


「防御と耐久は予想以上に低いな。この女は攻撃に特化しているのか――」


 そのままツバキの体が崩れるのを見て、クローディアが怒りを顕わにした。


「貴様!」


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