教国⑳
出立の準備を整えたロインは、街の西門でクローディアを待っていた。
往復の移動距離と滞在日数を考慮し、馬には半月分の食料を背負わせている。街道沿いの村人は全て避難しているため、途中で食料の補充が出来ないからだ。
「馬には少し可愛そうだが、頑張ってもらうしかないな」
最高の軍馬を用意して貰ったが、重い荷物を背負った状態では、平常時と同じように走れないはずだ。
何よりパンパンに膨れた荷物袋が、その重さを物語っている。さらに人まで乗せるのだから、馬の負担は計り知れない。そのため休憩は頻繁に取る必要があると、ロインは考えていた。
「陽が落ちる前に街道沿いの村まで行けるかは微妙な所か――。初日から野宿は勘弁してくれ……」
ロインは太陽の高さを確認して顔をしかめた。
例え村に食料がなくても雨風を凌げる家屋がある。もしかしたら布団も残っているかも知れない。マントを毛布代わりに地面に寝るのとでは雲泥の差がある。
「女の身支度は長いと聞くが、まだ来ないのか?」
ロインが項垂れていると、意中の人物が脇の小道から姿を見せた。
「どうやら待たせたようですね」
大通りではなく、小道から現れたことにロインは首を傾げた。
「どこから現れているんですか? そんな狭い道を、馬を引き連れて歩くなんて非常識ですよ」
「すみません。宿舎から最短距離を来たつもりが、途中で道に迷ったようです。初めて来る街ですから仕方ありません」
「よくあることですよね」と、笑みを向けられ、ロインは頷くより他なかった。
「そうですね……」
(土地勘のない街なら大通りを来ればいいのに、なんでわざわざ迷いやすい脇道に入るんだ。この人は馬鹿なのか?)
ロインが乾いた笑い声を上げていると、クローディアの後ろからは、馬を引いた女性がぞろぞろと姿を見せた。全員クローディアと同じく金髪の碧眼で、しかも歳が異常に若い。中には子供と変わらない少女までいた。
「馬鹿クローディア! 方向音痴のくせに先頭を歩くんじゃないわよ!」
「ミティは何を怒っているの? ちゃんと着いたでしょ?」
「本当なら半分の時間で着いてたわよ! みんながあんたみたいな体力馬鹿じゃないんだから、いい加減にしてよね!」
「体を鍛えられて良かったと思うのだけれど――ねぇ?」
背の低い少女が食ってかかると、クローディアは意見を求めてロインに視線を移した。
「ねぇ?」と言われてもロインには答えようがない。何故かと言えば、背の低い少女がロインを見上げて、「ぶち殺すわよ!」と息巻いているからだ。
「ど、どうなんでしょうね。は、はは……」
乾いた声で精一杯の愛想笑いを作るのが関の山だ。
「まったく、どいつもこいつも使えないわね。時間がもったいないし、さっさと行くわよ」
少女は手際よく馬に跨がり手綱を握る。
他の女性も同じように馬に跨がるのを見て、ロインは「はぁ?」と阿呆のように口を開けた。
女性たちはクローディアを含めると全部で十人、そしてエンジャの森に向かう人数はロインを含めると十一人。つまりここに全て揃っていることになる。
まさかとは思いつつも、ロインは馬に跨がったクローディアに尋ねた。
「クローディアさん、失礼ですが、この少女がエンジャの森に行かれるのですか?」
ロインが指差した先にいるのは、先程までクローディアを罵っていたミティと呼ばれる少女だ。
「その通りですが何か?」
「いや、随分とお若い女性ばかりだなと……」
「私の部隊は装備の特性から、全て二十歳以下の女性で構成されています」
「ですが子供を危険な場所に行かせるわ――ごほぉ!!」
突如としてロインの腹部に衝撃が走る。
体をくの字に曲げて地面に蹲り、痛む腹部を両手で押さえ込んだ。朝食のパンとスープが喉元まで込み上げてくるのを、グッと押さえ込む。
自分の状態を確認するように腹部の感触を確かめ安堵した。
あまりの衝撃の大きさに、腹が抉り取られたと錯覚をしたが、鎧の内側に滑り込ませた指先には、鍛えられた硬い腹筋の感触が伝わってくる。
鞣し革を何重にも重ねた鎧が力を分散しているため、骨にも異常はないようで、体を動かすこともできた。
恐る恐る視線を上げると、いつの間に馬から下りたのか、ミティの小さな体が蹲るロインを見下ろしていた。
「誰が子供よ! 私はこれでも十五よ! ぶち殺されたいの!」
ミティは顔の前で拳を握り締めて語気を荒げている。
(こんな子供が殴ったのか? それであの威力? どうなっているんだ……)
ミティの腕は細く筋力もあるようには見えない。
体格差を考えると有り得ないことだ。
ロインが痛みで苦悶の表情を浮かべていると、クローディアが馬上からミティの襟を掴み、小さな石ころでも投げるように上空に放り投げた。
ミティも慣れたもので、上空で体を翻すと、そのまま自分の馬にストンと跨がっている。
「なんで邪魔するのよ! 馬鹿クローディア! そいつ私のこと子供って言ったのよ! 信じられる? こんな素敵なレディを子供呼ばわりしたのよ! お仕置きするのは当然でしょ!」
「ロイン殿はミティの身を案じて言ったのよ。あんまり私を怒らせないでね。お・ね・が・い・だ・か・ら!」
クローディアの額に薄ら青筋が浮かぶのを見て、ミティは「うっ」と怯む。
本気で怒らせるのは不味いと思ったのか、「分かったわよ」と、そっぽを向いて視線をそらしていた。
「ロイン殿も私たちの気遣いは無用です」
「……どうやらそのようですね。出来れば部隊の方々を紹介して欲しいのですが?」
「そうですね。時間も惜しいので移動しながら紹介をしましょう。ライザ、ロイン殿を癒やしてあげて」
ライザと呼ばれたセミロングの女性は、馬の手綱を巧みに操りロインの下へやってくる。
白いマントで目立たないが、マントの下には白い法衣を身に着けていることから、恐らく女性の司祭――巫女の類いなのだろう。
ロインは杖に関しては疎い方だが、手に持っている金属の杖は、一般的な杖より遙かに上等に見えた。杖の先端には大きな宝石が嵌められ、それを無数の小さな宝石が取り囲んでいる。
ライザが杖の先端をロインに向けると、無数の宝石は包み込むような優しい光を放った。
「[
腹部の痛みが和らぎ消え失せる。
両手で腹部を押さえていたロインは、何事も無いかのように、すくっと立ち上がった。
(すごい回復力だ……)
ロインも回復魔法を受けたことがあるが、その時は痛みが引くだけでも数分の時間を要していた。
僅か数秒で完全に痛みが取れたことに、信じられないと何度も腹部を擦る。
「まだ痛みますか?」
ロインの仕草を見てライザが不安そうに見つめていた。
「い、いえ、もう痛みはありません。あまりに凄い回復力で驚いていました」
「それは何よりです。では参りましょうか」
ライザはニコリと笑みを浮かべる。
既に女性陣は馬に跨がっているが、クローディアだけは首の後ろに手を回して髪を纏めていた。
長い髪を後ろで束ね、邪魔にならないようにクルリと後ろで丸めている。最後に髪が解けないように、装飾の施された銀色の髪留めで押さえていた。
全ての作業が終わると、クローディアの手が自分の髪から馬の手綱に移る。そしてロインに視線を向けた。
「どうやら傷は癒えたようですね。では案内を頼みます」
頷き返すと満面の笑みが返ってきた。
兵舎暮らしで女性に免疫のないロインは、気恥ずかしさから視線をそらし、急いで馬に跨がった。
「門を出るまでは馬を歩かせます。いきなり重い荷物を背負ったまま走らせると、馬が怪我をするかもしれません」
クローディアが頷くのを横目で確認する。
自分の顔が赤くなっていないか心配だが、いまは確認のしようが無い。
馬を歩かせると、後ろからは複数の馬の足音が聞こえた。付いてきているのは見なくても分かる。そのまま街の門を出ると、振り返り後続の女性たちを確認した。
全員が若い女性。常に男と行動を共にしてきたロインにとっては、神々しいほど眩しすぎる光景だ。
「では付いてきてください。出来れば陽が落ちる前に街道沿いの村まで行きます」
ロインは手綱を強く振った。
同時に馬が嘶き走りだすと、ロインの背中を追うように、麗しき乙女たちは続いて馬を走らせていた。
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