教国⑯

 漆黒の骨が音もなく地面を蹴り上げた。

 左腕を失いバランスが悪いにも関わらず、スケルトンロードは常人では捉えきれない早さで、急速に斜面を掛け上がった。

 右手に持つ剣は下を向き、剣先は地面すれすれを掠めている。

 逃げる兵士を追い抜き様に、その剣先が地面から上空へと跳ね上がっていた。同時に兵士の腕と首が両断され、体は地面に崩れ落ちる。 

 スケルトンロードは蛇行を繰り返しながら、視界に入る人間を次々と切り伏せる。それは丘の中腹にいた司祭も例外ではなかった。

 加速アクセルの継続時間は十秒、あと少しで切れる。

 スケルトンロードは横一列に並んだ司祭を見るや、ちょうど良いとばかりに、くぐもった声を上げた。


「[鳴動迅雷]」


 発動したのは高速移動と剣戟を合わせたスキル。

 スケルトンロードの動きがスキルの合間に一瞬止まる。次の瞬間には、加速アクセルより更に早い速度で司祭の間をジグザグに通り抜けた。

 司祭がスキルの合間に黒い影を捕らえるが、――もう既に遅い。


「――まずい!」


 声を出した時には首は宙を舞っていた。

 視界に入ったのは首の無い自分の体。ヒッ……! 短い悲鳴が辛うじて出たが、肺から送られる空気がないため言葉が後に続かない。

 瞳からは涙がこぼれ落ちる。

 嘘だ!

 絶望が襲う。

 首は回転しているのか、まるで走馬灯のように、ゆっくりと景色が移り変わる。

 視界が仲間の体を捉えると、叫ぶように大きく口が動いた。声が出ない代わりに、涙が止めどなく流れ落ちる。

 其処には間隔を開けて立っていた司祭仲間の首がなく、代わりに切断面からは噴水のように血液が飛び散っていた。

 上空で目にしたのは自分と同く宙を舞う仲間の首。互いに空中で目と目が合うと、仲間の絶望に歪んだ表情が自分と重なった。

 死ぬのか?

 束の間だった。

 徐々に戦場の音が遠のいた。

 次第に視野は狭くなり、意識が薄れていく。

 頭の中では助けを求め、天に手を伸ばすも、自分の手が動くことは二度となかった。

 意識が闇に落ちていく。

 二度と戻ることのない永遠の闇の中に。


 地面に落ちた司祭の首は、斜面を転がり落ち、丘の上を目指すオークスケルトンの群れに、ぐしゃりと踏み潰されていた。


「うわぁああああああ!!」


 たまたま近くで見ていた兵士が、血相を変えて丘を駆け上がる。

 どれだけ疲れていようが、どれだけ怪我をしていようが、どれだけ血を流していようが、もう関係なかった。

 手足をばたつかせながら、一目散に丘の上を目指して藻掻いていた。足を止めた先に待っているのは、確実な死だ。

 スキルの切れたスケルトンロードは、必死の形相で逃げる兵士には目もくれず、再び悠然と前に歩き出す。


 ドミニクは首のない司祭を目の当たりにして、打ち震えていた。

 なぜ倒れている?

 誰がやった?

 答えは既に出ている。

 いつの間に移動したのか、丘の中腹を悠然と歩いている黒いスケルトンに決まっている。

 

「――おのれ化け物め! [聖なる閃光ホーリーレイ]」


 一度は大ダメージを与えた神聖魔法。

 杖から放たれた白い閃光は、一直線にスケルトンロードを捉えていた。

 如何に上位に君臨するロードと言えど、アルカンシエルで強化された魔法が当たれば無事では済まされない。しかも、神聖属性はスケルトンにとって最も効果的な属性だ。次は間違いなく灰に変わる。

 しかし、それもの話だ。

 スケルトンロードは黒い影を残し横に移動すると、聖なる閃光ホーリーレイを難なく躱した。

 当然だ、当たるはずがないのだ。

 アルカンシエルは魔力を大幅に上げるが、その他のステータスが上がるわけではない。命中補正も付いていないため、レベルが倍以上のスケルトンロードに、ドミニクの単体魔法が当たるはずがなかった。

 最初の聖なる閃光ホーリーレイが当たったのは、回避率が落ちる無警戒のところを運良く狙ったにすぎない。

 特にスケルトンロードは回避に優れた魔物。警戒された中で単体魔法を命中させるのは、もはや至難の業だ。

 

「なぜ躱せる!」


 ドミニクは苦虫を噛み潰した表情で、忌々しくスケルトンを睨み付けた。 


「[聖なる閃光ホーリーレイ]」

「[火球ファイヤーボール]」


 直ぐに杖を構え直し、立て続けに二発の魔法が放たれるが結果は同じだ。

 スケルトンロードは霞むような早さで聖なる閃光ホーリーレイを躱している。魔法が貫いたのはスケルトンロードの黒い影だけだ。

 次に火球ファイヤーボールの炎が広範囲に広がり、スケルトンロードの歩みが僅かに鈍るが、それも長くは続かなかった。

 スケルトンロードが剣を橫薙ぎに払うと、風圧で炎は消し飛んでいた。その頃にはスキルの再詠唱時間リキャストタイムも終わっている。


「[加速アクセル]」


 再び黒い影を残し、スケルトンロードの姿が消えた。

 既に丘の上まで距離は僅か、ドミニクは咄嗟に反応して杖を持つ手に力を込めた。


「[聖なる鎧セイクリッドアーマー]」


 法衣が光に包まれた刹那、ドミニクの体が弾けるように地面を転がる。

 横薙ぎに払われたスケルトンロードの剣が、ドミニクを遙か後方へ吹き飛ばしていた。体中に走る痺れが衝撃の大きさを物語る。

 うつ伏せに倒れていたドミニクは、震える手で落ちた杖を拾い上げるが、足の異変に気付いて顔を大きく歪めた。


「足が折れたか――」


 回復魔法を唱えるべく足に手を添えるも、骸骨の動く音がガチャリと耳に届いた。

 背筋が凍り冷や汗が流れ落ちる。首だけで辛うじて振り返ると、左腕を失った黒いスケルトンが、剣を上段に振りかぶっていた。

 殺られる!

 咄嗟に目を固く閉じたドミニクが聞いたのは、兵士のあらん限りの雄叫びだ。


「うぉおおおおおお! くたばれスケルトンが!」


 数人の兵士が黒いスケルトンの背後から、重い槌矛メイスを果敢に振り下ろしていた。そのことごくが空を切り、逆に兵士の首が宙を飛ぶ。それでも兵士は自らの命を省みず、後から次々と駆けつけていた。


「ドミニク大司教はお逃げください!」


 声を上げたのはドミニクを守るため、丘の上に残っていた兵士たちだ。


「私に構うな! それよりこの杖を持って逃げろ! この杖だけは、必ず持ち帰らねばならん!」

「しかし――」


 答える間もなく兵士の首が落ちた。


「スケルトンめ!」


 兵士の血飛沫が飛び、ドミニクは地面に横たわったまま、決死の覚悟で杖を構えた。


(杖は兵士が回収してくれる。今は、この命に代えても目の前の脅威を排除しなくてはならん。この至近距離で剣を振り下ろした瞬間なら、聖なる閃光ホーリーレイを躱せまい!) 


 命を捨てる覚悟で挑むドミニクであったが、女性の声を聞いてスケルトンの背後に目を凝らした。


「邪魔よ。おどきなさい」


 目の前に現れたのは日傘を差した色白の女性。

 白い手がスケルトンを撫でるように動いた瞬間、凄まじい衝撃波で漆黒の骨は脆くも崩れ落ちた。


「だ、誰だ?」


 驚きでドミニクが瞳を見開くが、日傘を差した女性――シエラは何も答えない。

 シエラの目的はあくまで聖杖アルカンシエルだ。老いぼれた年寄りに興味があろうはずがない。

 ドミニクは何も答えないシエラを睨むと、兵士の安否を確認すべく周囲を見渡す。


「馬鹿な、なぜ兵士が全て倒れている? 私を守るために多くの兵士が駆けつけていたはずだ」


 ドミニクの周囲だけでなく、丘の上からは倒れた兵士が続いている。


「先程からうるさいですわね。邪魔だから殺したにすぎませんわ」


 ドミニクの表情が変わる。

 こいつは敵だ。

 恐らくは斥候の報告にあった女性。

 ドミニクが杖を構えて魔法を発動するより早く、シエラの口が先に動いた。

 

「その杖は私が貰いますわ。永遠にお眠りなさい。[デス]」 

「なっ……」


 上体だけを起こし杖を構えていたドミニクは、バタリとその場でうつ伏せに倒れて動かなくなった。

 倒れた衝撃で手から杖が離れると、シエラは嬉々として杖を拾い上げる。  


「これがアルカンシエルですわね。それにしても、相手はやる気があるのかしら? これでは張り合いがありませんわ。本当にプレイヤーはいるのでしょうね?」


 シエラは転がっている死体を見て「まぁよろしいですわ」と踵を返す。

 

「メアの要望通り、無傷の死体を手に入れたわけですし、今はこれでよしとしましょう」




 

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