教国⑮

 空が金色に染まる。

 ドミニクの表情は自信に満ちあふれていた。

 前回の実績もある、当然だ。

 揺るぎない信念で放たれたアルカンシエルの力は、村の上空を金色で覆い尽くす。

 結果は見るまでもない。

 聖杖アルカンシエルの魔法は、まさに神の力だ。この世に神に抗える存在がいようはずがない。もしいるとするなら、それは神話の時代に謳われた伝説の悪魔の類いだ。

 兵士からは歓声が上がり、また、ある者は静かに幻想的な光景に見惚れていた。

 球体から放たれた無数の閃光は、重力に引かれるように上空で角度を変えた。閃光が金色の軌跡を描きながら、光の雨となり一斉にスケルトンの群れに振り注ぐ。


天空から振り注ぐ光の雨ザ・レイン・オブ・ライト・ポーリング・フロム・ザ・スカイ


 終わった。

 誰もがそう思った。

 だから何が起こったのか理解できずにいた。

 兵士は声もなく呆然と立ち尽くす。

 

 ドミニクもまた、信じられない光景を目の当たりにして愕然としていた。

 閃光が落ちる度、部分的に一瞬だけ姿を顕す魔法の障壁。絶え間なく降り注ぐ光の雨が、その全貌を白日の下にさらす。

 ドミニクの瞳に映るのは、村全体を覆う球体状の障壁だった。その大きさも然ることながら、それ以上に驚かされるのは、無数の閃光をいとも簡単に弾く障壁の固さだ。閃光は障壁に当たると波紋のように広がり霧散していた。

 ドミニクは閃光が当たった箇所に目を凝らすが、障壁が傷ついた様子は微塵も見られない。村を覆う巨大な障壁は、振り注ぐ光の雨を、難なく全て遮断していた。

 次第に閃光の数が減り、上空からは光が消えた。ドミニクが視線を下げた先では、無傷のスケルトンが村の中で蠢いている。


 まるで悪夢だ。


 気力を使い果たしたドミニクは、杖を支えにしながら最後まで状況を確認していた。

 薄れる意識の中でアスターの言葉を思い出す。

 「村には強力な魔法障壁を張っています」、あの時は戯れ言だと気にも留めなかったが、結果は見ての通りだ。

 慎重になるべきだった。丁寧に調べる必要があった。今となっては後悔の念が尽きない。


「神の力を拒むか――、化け物め……」

 

 意識を失い崩れ落ちるドミニクの体を、近くの司祭が悲痛な面持ちで支えていた。至宝の力を行使したのだ。直ぐに意識が戻らないことも分かっている。


「これからどうすれば……」


 至宝の力をもってしても破れない障壁。

 為す術がない――

 思わず本音を吐露する。

 兵士たちは天幕に担ぎ込まれるドミニクを不安そうに見送り、光を求めて縋るように空を見上げた。

 しかし、其処にあるのは厚い雲で覆われた雨雲だけだ。

 魔法の光は完全に消え失せていた。






 金属音と兵士の怒号が木霊した。

 けたたましい音でドミニクは目を覚ます。外から聞こえる喧騒は明らかに異常事態だ。重い体に鞭打ち上体を起こす。

 枕元に置かれた杖を手に取り立ち上がるが、足の踏ん張りがきかず体がガクンと崩れた。体の怠さと疲労感から、恐らく時間はそれ程経っていないだろう。

 鎧を着けた兵士がガチャガチャと走り回る音が、絶え間なく聞こえてくる。それも一つや二つではない。同時に誰かが必死に何かを叫んでいた。

 ドミニクは意識のぼやけた頭で、よたよたと天幕の外に歩き出す。


「何が起きている?」


 頭では急ごうと思っていても、鉛のように重い体が足の歩幅を短くした。杖に体を預けながら、それでもドミニクは確実に天幕の外に近づいていた。

 次第に意識が定かになる。天幕を出る頃にははっきりと声が聞き取れた。


「準備の出来た者から前線に出ろ! 直ぐに防御陣形を組み直し、何としても食い止めるのだ! スケルトンをこれ以上近づけるな!」


 視界に入ったのは司祭の後ろ姿。

 天幕の直ぐ目の前では、普段は声を荒げることのない温厚な司祭が、怒号を上げて兵士に指示を与えている。視線を僅かにそらせば、そこには慌ただしく駆け回る兵士の姿があった。

 何が起きているのかは一目瞭然だ。


(嘘つきめ、何がスケルトンを村から出さないだ……)


 アスターの言葉に苛立ちを覚えるが、正確には、である。

 時間は経っているため嘘は言っていないだろう。しかし、戯れ言だと聞き流していたドミニクが、一字一句覚えているはずがなかった。


「あれからどれだけ時間が経っている?」


 聞き慣れた背後の声に司祭は振り返り、驚いたように口を開いた。


「ドミニク大司教! まだ一時間ほどしか経っておりません。もうお体はよろしいのですか?」


 大丈夫なはずがない。

 顔色は悪く、見るからに立っているのも覚束おぼつかない状態だ。杖で体を支えていなければ、間違いなく倒れている。それでも聞かずにはいられなかった。状況は切迫している。


「私のことは構わん。それよりスケルトンが村を出たようだな。攻撃に備えていなかったのか?」

「備えてはいたのですが、思いの他スケルトンが強く。それに、どうやら数も増えているようです」

「むう……。状況は?」

「今は一進一退の拮抗している状態ですが、いつ崩れても可笑しくありません。既に死傷者が出始めており、兵士の士気が下がっています」

「分かった、前線の指揮は私がとる。ここはお前に任せるぞ」

「そのお体では無理です。私が前線に出ますので、大司教はこちらに残り指示を出してください」

「いや、私が前線に出た方が兵士の士気も上がるはずだ。私が行こう」

「ですが……」


 ドミニクはじっと司祭の瞳を覗き込む。それだけでも訴えかけんとしていることは伝わっていた。

 これ以上の問答は無駄と悟ったのだろう。司祭が折れるのに時間は必要としなかった。


「分かりました。どうかご無理だけはなさらぬように」


 ドミニクは心配をさせまいと無理に笑みを作る。

 憔悴した顔で、それでも力強く頷いて見せた。


「うむ、任せておけ」


 司祭は納得をするが、かと言ってドミニクを一人で行かせるつもりはない。周囲を見渡し、数人の兵士が目に止まる。

 

「お前たちは大司教に肩をお貸ししろ、前線までお連れするのだ」

「はっ!」


 前線は直ぐ其処だが、憔悴した老人が歩くにはそれなりの距離がある。

 兵士に肩を抱えられたドミニクは、数分後には最前線が見えるところまで来ていた。兵士の肩から手を離し、自分の足でしっかりと地面に立つ。

 ドミニクは憔悴した老人の姿を見せに来たわけではない。兵士の士気を上げに来たのだ。弱った無様な姿を晒せるはずがなかった。

 状況を確認するため丘の上から眼下に見下ろし――、そして顔を曇らせた。


「こんなところまでスケルトンが来ているのか……。目と鼻の先ではないか?」


 ドミニクがいるのは陣が敷かれた丘の上、その端に当たる場所だ。

 遠くに見える村からは、骸骨の列が街道沿いに連なっている。丘の下では防衛ラインを築いた兵士が、スケルトンと激しくぶつかり合っていた。

 ドミニクの姿に気が付いた司祭たちが、一斉に傍に駆け寄ってくる。


「ドミニク大司教!」

「お前達、全員無事か?」

「はい。ですがスケルトンの攻撃が激しく……」

「見たところ敵の主力はオークスケルトンのようだな」

「先の草原の戦いで、ゴブリンスケルトンは残ってないようです。兵士には弱いスケルトンを優先して攻撃するよう、指示を与えていましたので」

「オーガスケルトンの姿もないようだ。これなら守り切れるか――」

「ですが、我々も魔力を使い果たし、前線の援護ができません。如何なさいましょうか?」

「仕方ない……」


 ドミニクは法衣の中に手を忍ばせて、小さな小瓶を手に取った。コルク栓で蓋をした透明な小瓶には、青い液体がなみなみと満たされている。

 魔力を回復する霊薬。

 出来ればドミニクは使いたくなかった。何度も発動できるアルカンシエルの魔法とは違い、霊薬は使えば無くなる消耗品だ。それでも兵士の命と比べれば、天秤は兵士の命に大きく傾いた。


「それは?」

「むかし教皇様から頂いた霊薬だ。これを皆で分け合って飲むとよい。それで魔力は回復するはずだ」


 司祭たちは顔を見合わせて逡巡する。

 教皇から賜ったものであれば、希少性の高い霊薬であることに間違いはない。果たして、それを口にしてよいものか躊躇われた。

 何より飲むのであれば大司教が優先される。憔悴した顔を見ても、魔力が回復していないのは、誰の目にも明らかだ。


「お待ちください。そのような貴重な霊薬を我々は頂けません。それは大司教がお飲みください」

「もちろん私も飲もう。兵士の命には代えられん、出し惜しみはなしだ」


 ドミニクは杖を持つ手に霊薬を持ち替えると、空いた手で再び法衣の中に手を忍ばせた。取り出して見せたのは、全く同じ小瓶に入った霊薬だ。

 ドミニクは一つを司祭に手渡し、もう一つの小瓶のコルクを外すと、ゆっくりと液体を口の中に流し込む。

 味に関しては何とも言えないが、見る間にドミニクの顔色がよくなる。全身に力が漲り万全の状態になると、司祭に向けて笑みを見せた。


「これで万全な状態に回復したはずだ。お前たちも早く飲むといい」

「しかし、今はスケルトンも村を出ています。もし万全な状態であるなら、至宝の力でスケルトンを焼き払えるのではないでしょうか? 我々が飲んでも、貴重な霊薬を無駄にすると思うのですが……」


 ドミニクは顔をしかめて首を横に振った。


「至宝の力は一度使うと二時間は使えないのだ。今はまだ神のお力に頼ることができぬ。あと一時間は人間の力で凌ぐ必要がある。これも神が与えた試練なのだろう」

「……そうでしたか。確かにこのままでは死傷者が増えるばかりです。私たちの力が、少しでも多くの兵士を救えるのなら」


 司祭は小瓶のコルクを取り、まじまじと見つめた。


「では頂きます」


 僅かに口をつけて目を見開く。

 体に活力が漲り、魔力が回復したのが手に取るように分かった。小瓶を隣の司祭に渡して同じ事が繰り返される。

 全ての司祭が飲み終えた後には、小瓶の中は空になっていた。司祭たちの反応を見ても、魔力が回復したのは間違いない。


「大丈夫なようだな」

「はい。我々と兵士たちで時間を稼ぎます。ドミニク大司教は至高の力を放つため、魔力を温存してください」

「うむ。頼んだぞ」


 司祭たちは緩やかな丘を駆け下りると、丘の中腹で足を止めた。

 既に多くの兵士が集まり、負傷した兵士と入れ替わりながら前線を維持している。ドミニクが姿を見せたことで、兵士の士気も悪くない。


「[光の矢ホーリーアロー]」


 司祭たちは魔法を乱発せず、押されている前線に向けて単発的に魔法を放つ。

 最前線のスケルトンを屠り、兵士には次のスケルトンが近づく間に、体勢を立て直してもらう。先ほどまでと同じく魔法を乱発していたら、一時間はとても持たないと判断してのことだ。

 役割はスケルトンを全滅させることではない。至宝の力が発動するまでの時間を稼ぐこと、それで全て片が付くのだ。

 しかし、最前線が安定したのも束の間だった。


 悲鳴と共に兵士の頭が宙を舞う。

 人間の屍を踏みつけ現れたのは、他とはあまりに異質なスケルトン。

 黒光りした漆黒の骨が、立派な剣と盾を構えて兵士たちを次々と切り伏せていた。何より兵士の心胆を寒からしめたのは、それが人間の骸骨であることだ。

 教国では必ず遺体に祈りを捧げ、丁重に埋葬をしている。過去の事例をとっても、教国内で人間がスケルトンになったことは一度もない。

 もし、あれが村の住民だとしたら、そう思うと兵士たちの体が強ばった。

 スケルトンに生まれ変わると言うことは、神への反逆と同じである。それは、敬虔な信者にとって最も恐れていることだ。

 動きが鈍った兵士の上に、無情にも剣が振り下ろされる。

 漆黒のスケルトンが剣を振るう度に、地面は赤く染まり、兵士の頭が宙を舞う。

 前線が崩れたのは一瞬の出来事だ。

 決壊したダムのように、開いた穴から陣形が一気に崩壊した。

 オークスケルトンの棍棒が、兵士の頭に次々と振り下ろされる。倒れた兵士を踏み台にして、スケルトンが坂を駆け上がっていた。

 前線の兵士は背中を見せて走り出すが、その背後からオークスケルトンの棍棒が襲いかかる。

 前線の維持は無理だ。

 即座に判断したドミニクは声を張り上げた。


「撤退だ! 直ぐに陣を捨て撤退する! 攻撃魔法の使える者は、後退しながら魔法を放て!」


 言葉は丘の中腹にいる司祭にも届いている。

 複数の司祭から一斉に攻撃魔法が放たれると、同時に司祭は後ずさりを始めた。距離を保ちながら、スケルトンの歩みを遅らせるためだ。


「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」


 光の矢は前列のスケルトンを貫き、射線上にいた後ろのスケルトンも同時に貫いた。バラバラと白い骨が崩れ落ち、スケルトンの歩みが僅かに鈍る。

 しかし、一体だけ魔法の攻撃に抗うスケルトンがいた。

 漆黒のスケルトンだ。

 

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」

「[光の矢ホーリーアロー]」


 三つの光の矢が同時に襲うが、漆黒の骨は鋼のような固さで、魔法を受けてもビクともしない。盾を構えるのも煩わしいのか、その身で全ての魔法を受け止めていた。

 それもそのはず、メアが特別に創ったスケルトンは、レベル七十を超えるスケルトンロード。

 如何に弱点の神聖属性とは言え、最下級の攻撃魔法が効くはずがない。

 まるで王の歩みのごとく、スケルトンロードは一定の早さで悠然と歩き続ける。

 丘の上から見守っていたドミニクは、苦悶の表情で黒いスケルトンを睨み付けた。

 撤退をしながら時間を稼ぐつもりが、このままでは一時間どころか、その半分の時間すら持たない。仮に時間を稼げたとしても、至高の力を使う前に、甚大な被害が出てしまう。

 何より恐ろしいのは人間型の黒いスケルトンだ。能力は未知数。しかも、兵士を一瞬で切り伏せた剣裁きは侮ることができない。


「魔力を温存している場合ではないな……」


 ドミニクは自分の神聖魔法を強化するため魔法を発動する。それが終わると、尽かさず杖の先端を漆黒のスケルトンに向けた。


「[聖域サンクチュアリ]」

「[聖なる閃光ホーリーレイ]」


 アルカンシエルの魔力で強化された一撃。

 閃光は司祭の横をすり抜け、一直線にスケルトンロードを貫いた。閃光の勢いで斜面の土が渦状に舞い上がる。


「やったか?」


 スケルトンロードの持つ盾が、ガラン! と音を立て地面に落ちた。

 左肩の骨が抉り取られ、見るも無惨な姿でスケルトンロードは佇んでいた。左腕は盾ごと地面に崩れ落ち、肋骨も幾つか無くなっている。

 頭蓋骨は下を向き、まるで項垂れているようだ。

 動かないスケルトンを見て、ドミニクは他のスケルトンに狙いを定めて杖を構えた。

 しかし、それが大きな間違いだった。


「[加速アクセル]」

 

 スケルトンロードは、ガチャリと音を鳴らしながら顔を上げると、一瞬にして姿を消していた。






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サラマンダー「回し飲みはやばいよね。コロナが収束するまでは、みんなも気をつけようね」

粗茶「いつも残飯しか食ってないお前もやばいけどな」

サラマンダー「(´・ω・`)えっ?」


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