教国⑪
草原の彼方で白い影が薄らと揺らめいた。
点在していた影は次第に数を増し、いつしか白い塊となり波打って蠢いた。まるで津波のように押し寄せるスケルトンの大軍。
ガチャリ、ガチャリと、大地を踏みしめる不快な音が、いつまで経っても鳴り止まない。日の光に照らされた白い骨は、ときおり光を反射させながら、ゆっくりと、そして確実に、ラントワールの街へ近づいていた。
北西から押し寄せるスケルトンに対し、ドミニクは開けた草原の南西で足を止めた。
「横列陣で迎え撃つ。一般兵は横に展開せよ! 支援部隊は後方で待機! 相手はスケルトンだ、殴打武器に持ち替えることも忘れるな!」
ドミニクの号令を受けた兵士が一斉に横に走り出す。
盾を構えた兵士は横一列に並び、更にその後ろに二重、三重に兵士が展開する。出来たのは即席で造られた兵士の壁だ。
前線の兵士は、迫り来るスケルトンを固唾を飲んで見つめていた。
兵士の体からは、恐怖で冷や汗が流れ落ち、鎧の下の衣服がべったりと肌に張い付いた。顔から滴り落ちる汗が止まらず、服の袖口で何度も汗を拭う仕草をする。
スケルトンが近づくにつれ、無意識のうちに兵士の息は徐々に荒くなり、手に持つ盾に力が込められた。
「よく見ろ? 距離はまだある。今から力んでいたら長くは持たないぞ?」
声をかけたのはロインだ。
トビの村に赴いたことのある彼もまた、案内役として討伐軍に同行していた。
声を掛けられた兵士は、言われるままに前方を見直し距離を確認した。確かに言われた通り距離はあり、接触まで時間はたっぷりある。
兵士は頷いて見せるが明らかにぎこちない。緊張で固くなっていますと言っているようなものだ。
ロインは前線の様子を見渡し肩を落とした。
スケルトンはまだ遠くにいるにも関わらず、兵士の多くが盾をしっかり身構えて力んでいる。あれでは実力を出し切ることは出来ない。
ロインは言われた通り前線の様子を確認すると、後方の本陣まで戻ってきた。後方と言っても前線の目と鼻の先、天幕もなければ地図を広げる机もない。街道に椅子が置かれているだけだ。
遮る物がないため、直ぐにロインの姿が椅子に座るドミニクの目に止まった。
「兵士の様子はどうであった?」
「恐怖と緊張でかなり固くなっています。これでは命を落とす兵士が大勢出るかもしれません」
「そうだろうな。多くの兵士は自分たちより数の多い魔物と戦ったことがない。魔物を討伐するときは、いつも数の優位で討伐してきた。如何に弱いスケルトンとは言え、やはり数の力に臆しているか……」
「あの、お言葉ですが本陣を下げられては如何でしょうか? 前線の兵士があれでは陣形が崩壊する恐れがあります」
ドミニクはニコッと笑い、自分の座る見窄らしい小さな椅子を叩いた。
「この椅子一つで本陣はいつでも移動が可能だ。前線が崩れたら後ろに下がればよい。椅子一つなら私が持って逃げることも出来るからな。それに前線の近くにいた方が状況の確認が早い。崩れた陣形を立て直すにしても好都合だ」
ロインは浅はかな考えを提案したことを恥じた。
大司教ともあろうものが、何の考えもなく本陣を敷く場所を決めるはずがないではなか。そんなことすら分からない自分に怒りさえ覚えた。
「そのような意図がお有りとは。差し出がましい事を申しました。どうかお許しください」
「私の身を案じての提案なのだ。何も謝る必要はない。もう下がってよいぞ」
深々と頭を下げるロインに対し、ドミニクは努めて優しく語りかける。
ドミニクにしてみれば、自分の身を案じてくれる若者を無下に扱えるはずがなかった。感謝の言葉はあれど卑下する言葉は出てこない。
立ち去るロインと入れ替わりに、斥候隊の一人が耳元で囁く。
「――不審な人物だと? それは何処かの村の住民ではないのか?」
暫く耳打ちを聞いていたドミニクは険しい顔で唸る。
「う~む、ならば監視を続けろ。絶対に手は出すなよ?」
ドミニクが釘を刺すと、斥候隊の男は草原の中を駆け抜けて消えていった。興味深そうに護衛の司祭が視線を向けるが、ドミニクは唸るばかりだ。
陽が僅かに傾き始め、今度は別の斥候隊が矢のように飛んでくる。
「スケルトンが接近中! もう直ぐ接触します!」
ドミニクは自分の体に添えていた杖を手に取り、椅子から立ち上がると前に出た。真っ先に目に入ったのは、恐怖で顔が引きつる兵士たちの姿だ。
多くの兵士が縋るように盾を構えるだけで、敵を打ち倒そうとする気迫が伝わってこない。
「確かに、これでは大勢の犠牲者が出でるやもしれんな――」
ドミニクは自分の持つ豪奢な杖を見つめ、最初に使うことを決めた。
「道を開けよ!」
前にいる兵士たちは背後から聞こえた大声に、ビクッと、体を震わせた。恐る恐る振り返り、大司教だと知るや急いで横に飛び退いた。
壁の中央に一本の道が出来ると、ドミニクは悠然とその中を突き進む。
視界の開けた先では、見るだけで気持ちが悪くなるほどの骸骨が蠢いていた。
およそゴブリンスケルトンが半数、もう半数はオークスケルトン。しかし、その最後尾では、白い群れから体が半分飛び出た巨大な骸骨が、丸太を片手に軽々と持ち上げていた。
オーガスケルトン。人間の成人男性と比較をするなら背丈は二倍以上もある。
頑強な骨は壊すことが難しく、圧倒的な力は岩をも砕くほどだ。冒険者ギルドの討伐ランクはAランク、この世界でも屈指の強さを誇る魔物。そんな化け物が四体もいることに、ドミニクは思わず溜息を漏らした。
「報告では二体と聞いていたが、まさか四体に増えているとはな。兵士たちが恐れるはずだ」
ドミニクはやれやれと肩をすくめた。
スケルトンまでの距離はおよそ二百メートル。生者を見つけたスケルトンが、歓喜で歯を打ち鳴らす。
「カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッ――――――」
数十、数百、数千、スケルトンの合唱が、兵士の心をへし折ろうとしていた。
不愉快な合唱に、ドミニクに付き添う二人の司祭が怒りで表情を歪めた。次の瞬間には前に出ると、怒りの宿る瞳で杖の先をスケルトンに向ける。
神聖魔法の行使。
誰もがそう思っていた矢先、背後から聞こえる声が二人の体を強ばらせた。
「――杖を下げろ」
静かで、それでいて迫力のある声。
ドミニクは怖い顔で前方を見るが、それは二人の司祭に対してではない。視線はその遙か先、スケルトンに向けられていた。
「大まかな敵は私が排除する。お前たちの魔力は後始末に残しておけ」
言葉の意味を察した二人の司祭は大人しく後ろに下がり、ドミニクは自分の握り締めた杖を見つめ前へ歩み出た。
先端に宝玉が嵌められた金属の杖は、光の加減で虹のように色を変えている。
教国の至宝、聖杖アルカンシエル。
ドミニクは押し寄せるスケルトンに目もくれず、杖を高らかに掲げると自らの願いを託した。
「教国の至宝アルカンシエルよ! 今こそ大いなる力を解き放ち、我らが敵に神の裁きを!」
凄まじい勢いでドミニクのMPが杖に吸い上げられた。
同時に掲げられた宝玉から光の球が天に上る。
光はドミニクの遙か上空に停滞し、回転するような音を上げた。
キュイ――――――ン!
徐々に音が変わり、モーター音のような甲高い音が鳴り始めたときだ。
光の球から放たれた無数の閃光が、瞬く間に世界を金色に変えた。上空一面が金色に輝き、無数の閃光が大地を穿つ。
スケルトンの体を閃光が貫き、白い骨が一瞬にして灰に変わる。光の雨は時には鋭角に曲がり、スケルトンの体を的確に捉えた。
ガチャリと音を立てながらスケルトンの体が崩れ落ち、その上から追い打ちをかけるように別の閃光が襲いかかる。
見る間にスケルトンの影は消えて、焼けた大地が姿を見せた。半数以上のスケルトンが倒れて動かなくなると、ようやく光の雨は姿を消した。
発動したのは上級魔法。
[
気が付けば五千のスケルトンの群れは円を描くように灰に変わっている。
兵士から一斉に歓喜の声が上がるが、まだ油断は出来なかった。魔法の範囲外にいたオーガスケルトンは未だ健在だ。
ドミニクはオーガスケルトンを睨み付けるが、もはや杖を発動させる力は残っていない。気力を使い果たし
「お疲れ様です。後はお任せください」
若い司祭が労いの言葉を掛けるが、オーガスケルトンを討てなかったのは痛手だ。他の司祭に聖杖アルカンシエルを仕える力は、まだ備わっていない。
「至宝の力を早く使いすぎたようだ。もう少し引きつけていれば、オーガスケルトンを巻き込んでいたのだがな。兵の士気を上げようと急ぎすぎた。すまない……」
ドミニクはそのまま眠るように気を失い、ぐったりと体を預けた。こんな姿になるまで頑張ってくれたことに、司祭の目頭が自然と熱を帯びていた。
ドミニクを急いで後方に下げ、代わりに司祭たちが前線に出て奮起する。スケルトンの多くが滅んだことで、兵士の士気も軒並み上昇していた。
草原にはスケルトンが砕かれる鈍い音が鳴り響き、代わりにスケルトンの蠢く音は次第に消えていった。
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