教国⑩

 ドミニクがラントワールの街を出て既に三日。

 教国の軍はラントワールの北にある街、ルイビアまで進軍をしていた。真っ直ぐに北西へ向かわず遠回りをしているのは、物資と兵士の補充をするため。

 ルイビアは魔物に備えた予備兵も多く、それらを合わせれば、スケルトンの討伐兵は三千にも膨れ上がる。

 明らかな過剰戦力だ。

 街にある聖堂の一室では、そのことについて正に議論がなされていた。

 小部屋にある使い古された机の前では、ドミニクとルイビアの街の司教、クラウスが顔をつき合わせていた。

 クラウスが司祭ではなく司教なのは、司祭よりも階級が上の証だ。

 見た目は何処にでもいる老人、ドミニクのように威厳を示すような髭はない。法衣を着ていなければ、町中で暮らす普通の老人と何ら変わらないだろう。誰も偉い司教とは思わないかもしれない。

 向かい合う二人の他にも数人の司祭が席に着いているが、みな二人の言葉に耳を傾け黙したままだ。

 サエストル教国では全てのことを司祭が取り行う。

 政治に関することは勿論のこと、軍事面に感してもだ。そのため討伐会議であるこの場にも、兵士然とした者は一人もいない。

 居るのは白い法衣を身に纏う司祭ばかり、他国の人間が見たら異様な光景とも言えよう。


「兵士を借り受けに来たか……」


 渋い顔で呟いたのはクラウスだ。

 ただでさえ教国の北は配備されている兵士の数が少ない。南に比べて魔物は少なく、恵まれた地形から他国の侵略を考えなくていいからだ。それでも魔物に備える必要はあるし、収穫の際には予備兵が手伝うこともある。兵士を貸せと言われて、直ぐに貸せるほど簡単ではないのだ。

 更に教国は豊かな土地柄、二毛作で年二回の収穫を行っている。これから忙しくなるであろう時期に、予備兵を持って行かれるのはクラウスとしては痛手だ。

 ドミニクは親しい友人でもある。願いは聞き届けてやりたいが、今回の件については勇み足では? と、クラウスは感じていた。


「ドミニク、本当にそれだけの兵が必要なのか? 私は五百もいれば事足りると聞いているぞ? 二千でも多いくらいだ」


 ドミニクは「そうだろうな」、と苦笑いを見せた。

 言われずとも分かっている事だ。村人や斥候隊の話から割り出したスケルトンの数は、多く見積もっても数百。通常のスケルトンを相手にするのであれば、二千どころか五百でも多いだろう。だが、それは通常であればの話だ。


「だがな、嫌な予感がするのだ。嫌な予感が――」


 ドミニクは神妙な面持ちで告げるが、クラウスは呆れるばかりだ。

 根拠もなく、ただ嫌な予感と言われても納得が出来るはずがない。隣りに座る中年の司祭に視線を向ければ、呆れ半分の困り顔で笑い返される始末だ。他を見渡しても同じ顔ばかり、みな思うことは同じである。

 友人には悪いが断るのが正しい。

 クラウスが心に決めるまで時間は要さない。ドミニクの顔色を窺い、断りの言葉を告げようとしたときだ。

 激しい音がバン!、と鳴り、勢いよく扉が開け放たれた。

 よほど急いで来たのか、一人の司祭が息も切れ切れに部屋に飛び込んでくる。若き司祭は顔に浮き出た汗を拭う間もなく、あらん限りの声を上げていた。


「斥候隊がスケルトンを発見! その数は五千です!」


 言葉の意味を理解するまで暫しの間があった。

 初めはキョトンとする司祭たちも、次々と顔色を変えては事の大きさを理解する。瞳を見開く者、口をぽかんと開ける者。反応はそれぞれだが、一様に信じられないと驚愕の表情を見せていた。


「そ、それは本当なのか?」


 絞り出すように呟いたのはクラウスだ。


「間違いないとのことです」


 報告をしにきた司祭自身も、五千という数が嘘であって欲しいと願っていた。

 だが、斥候隊に繰り返し問いただしても、結果が変わることは一向になかった。無情に告げられた言葉は五千のスケルトンだ。

 縋るように見つめる瞳が言葉の真実を物語る。


「……馬鹿な」


 言葉がなかった。

 他の司祭も同様に絶句し、部屋には絶望が充満する。ここ百年をみても、千以上の魔物が集団で行動した記録は教国にはない。

 クラウスや司祭たちが恐怖で戦いている最中、それでもドミニクは冷静に問いただす。


「ふむ、それでスケルトンの行き先は検討がついているのか?」

「は、はい。スケルトンはトビの村から南西に進行中。街道を通り、ラントワールの街を目指しているとのことです。スケルトンの歩みは遅いため、ラントワールに到着するのは、およそ十日後と伺っております」

「十日の距離か――クラウス、この街の兵を借りるぞ。よもや嫌とは言うまいな?」


 異論などあろうはずがない。


「もちろんだ。何なら予備兵の他に、街の警備兵を半分連れて行っても構わん」

「それには及ばん。スケルトン以外にも魔物は出るやもしれん。街を守る兵士は必要だ。相手がスケルトンであれば、三千の兵士で十分おつりがくる」

「確かにスケルトンは弱い魔物、だが……。相手は五千だぞ?」


 大丈夫なのかと不安そうに訴えかけるが、ドミニクの答えは同じだ。


「既に近隣の街の予備兵は集め終わっている。私が引き連れてきた二千の兵士がそれだ。何が起こるか分からん以上、街の警備兵を割きたくはない。それでも兵士を集めるなら、国の中央まで赴く必要がある。しかし、それでは時間が掛かりすぎるのだ。街道沿いには村もある、見捨てるわけにもいくまい? 多少の危険は覚悟の上だ」

「そうだが……」


 もっともな答えなだけに反論はしづらい。


「お主には、万が一の備えとして、ラントワールの守備を固めてもらいたい。それと、教皇様に伝えて欲しい事がある」

「増援の手配は当然行う。任せてもらいたい」

「それもあるが一つ言づてを頼みたいのだ」

「言づて?」

「うむ、プレイヤーが現れたかもしれないとな」

「プレイヤ? なんだそれは、人の名前か?」


 初めて聞く言葉にクラウスは訝しげに聞き返すが、ドミニクとて知ることは少ない。


「詳しくは教えてもらえなかった。教皇様から聞かされているのは、人外の力を秘めた敵ということだけだ」

「人外の力か、確かにスケルトンの大群はそれと合致する。もし相手がプレ……なんとかであれば、本当に無理はするなよ。逃げ帰ったところで、教皇様はお前を責めたりはしないはずだ」


 心配そうに見つめるクラウスに対し、ドミニクは自信に満ちた表情で頷き返す。


「問題はない。教皇様からお預かりしている切り札は持ってきている。そのために私が出るのだからな」


 切り札、その言葉でクラウスは少しだけ胸を撫で下ろした。

 大司教のみが持つことを許された教国の至宝、それを持ち出したのであれば、万が一はあり得ないはずだ。


を使うのであれば大丈夫か、では街のことは私に任せろ」

「うむ、行ってくる」


 にこやかに立ち上がるドミニクの背中を見送り、クラウスは同席していた司祭達に指示を与えた。近隣の村の避難に増援の要請、教皇への書簡も忘れない。

 忙しなく作業をする中で、馬のいななきが遠くから微かに耳に届いた。

 クラウスは窓辺に立ち眼下に見下ろす。そこでは三千の兵が隊列を組み、西を目指して進軍を始めようとしていた。



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