教国⑨

 教国の兵士がラントワールの街に集まったのは一週間後。

 サタンの住まう漆黒の居城では、具体的な戦略を練るため会議室が開放されていた。

 円卓の上には教国の地図が広げられ、その上にはスケルトンと、そして教国の兵士を見立てたチェスの駒が置かれている。 

 白い駒はスケルトン、そして黒い駒は教国の兵士と言った具合だ。白い駒はトビの村の上に置かれ、黒い駒はラントワールの街に集中している。

 地図の上では、トビの村は教国の北西の外れにあり、蛸壺のように周囲を森で囲まれていた。そこから遙か南東の位置にあるのがラントワールの街だ。

 サタンは豪奢な椅子に座り足を組み、地図の白い駒を見つめていた。伸ばした右手は円卓の縁に置かれ、指先で円卓を叩く音が一定のリズムで刻まれている。

 サタンは悩んでいた。プレイヤーと思しき存在が姿を見せる気配はない。既に村人を殺しているため、敵として認識されていておかしくないだろう。

 危険を冒してでもこちらから接触し、敵意がないことを伝える方が先決では? と考えが過ぎる。

 問題は敵が友好的でない場合、そして罠があることだ。もし、仮にこちらが一定のダメージを受ければ、その情報は直ぐにレオンに伝わることになる。

 致命傷を負うどころか、HPがイエローゲージに入ることすら許されない。

 駒を見ていたサタンは、ふと一週間前の出来事を思いだす。システムの機能を忘れていたわけではないが、あの時は怒りに任せて、ぽっかりと抜け落ちていた。

 もし、アスターが自分を止めていなければ、リリスを傷つけ、その情報は愛しい主のもとに即座に伝わっていたはずだ。叱責はもちろんのこと、自分の感情も制御できぬ愚か者と失望されていたかもしれない。

 サタンは隣に座るアスターの姿を横目で捉え、改めて心の中で感謝の言葉を告げた。自分の至らなさを反省しながら、視線を地図に戻して円卓を見渡す。

 十二魔将の殆どが周辺の警戒に当たっているため、席に着いているのは自分とアスターを含めて四人だけ。残りの二人は戦闘に劣る悪魔召喚士デモンサモナーのメリッサと、その妹で屍人使いネクロマンサーのメアだ。

 メアは円卓に突っ伏し寝息を立て、その横ではメリッサが、誰にも聞こえないほど小さな声で、何やらブツブツと呟いている。当然だが意見を求められるのはアスターしかいない。

 コツ……コツ……、円卓を叩いていたサタンの指先が止まり、代わりに口が開いた。


「ラントワールの街に知らせが入って既に一週間が経つ。にも関わらず、襲われた村の周辺にプレイヤーが来た痕跡がない。こちらが相手を警戒しているように、向こうもこちらを警戒しているのは分かる、が――これではらちが明かない。いかに長期戦になるのを覚悟しているとは言え、これではあまりに進展がなさ過ぎる。相手のプレイヤーが動かないことを、アスターはどう思う?」


 サタンから発せられた不満気な声からは、少しでも早い解決を望んでいるのが手に取るように分かる。

 アスターにその気持ちを理解できなくはないが、強行手段だけは避けなければならない。相手の戦力も確かめずに特攻するのは、愚か者のすることだ。


「もし僕が相手の立場なら、迂闊に姿を現わしたりはしません。教国に与するプレイヤーであるなら、村人を殺された時点で、僕たちのことを敵と判断しているはずです。先ずは罠を警戒して相手がどう動くか出方を窺います。詰まるところ、今の僕たちと同じように、身動きが取れないと思いますよ」

「やはり、そうか――」


 落胆するサタンの様子を見てアスターは釘を刺す。


「分かっているとは思いますが、強行手段は絶対に避けてください。相手のプレイヤーが一人とは限りません。数十人のプレイヤーが徒党を組んで襲ってきたら、いくら覚醒した僕たちでも無事ではすみませんよ」

「分かっている。だからこうして大人しく――、ちょっと待て」


 不意にサタンはアスターに手の平を向け、邪魔をするなと訴えかけた。誰かと通話をしているらしく、何度か頷いては視線を下げて考え込んでいる。

 程なくして通話が終わると、良いことでもあったのか、サタンは僅かに笑みを見せた。次の言葉を聞いてアスターもそのわけを理解する。


「ノワールからだ。ドミニクが動いた」


 その僅かな発言だけで、ドミニクが街の外に出たことは明白であった。ノワールは危険を回避するため、街から離れた場所で教国の動向を監視している。ドミニクが街の外に出なければ、その姿を捉えることが出来ないからだ。

 変化を求めるサタンが喜ぶのは分かる。だが、腑に落ちない点がいくつもあるため、アスターは手放しで喜べずにいた。

 建造物の多い街の中は、伏兵を潜ませるには絶好の場所であり、多種多様な罠を仕掛けることもできる。

 普通は敵を迎え撃つなら街の中に留まっているはず、危険を冒してまで街を出るからには何か理由があるはずだ。


「――念のため確認をしますが、それは大司教のドミニクで間違いないのですか?」

「私も聞き間違いかと二度も尋ねたが、間違いはなかった。ラントワールに集まっていた二千の兵士と街を出たらしい。ノワールには遠くから監視を続けさせているが、未だプレイヤーと思しき人物が接触した形跡はない」


 相手が街を離れたことは喜ばしいことだが、アスターは浮かない顔だ。


「相手の動きが僕の予想より随分と早いですね。仮にドミニクがプレイヤーか従者であるなら、通話で仲間と連絡を取り合っているはずです。もしかしたらドミニクは囮かもしれません。僕たちが接触するのを待ち構えている可能性があります」


 神妙な顔で告げるアスターとは違い、サタンは余裕の表情だ。


「別に構わんではないか? 罠があるにせよ、街よりは街道の方が発見しやすい。もしドミニクと接触ができれば、こちらの意図を伝えることもできよう。その上で敵になるなら殲滅するまでだ。レオン様の命を脅かすなら生かしておく価値はない」

「――そうなのですが、問題は敵の戦力です。プレイヤーの人数によっては、僕たちだけで対処出来ない恐れもあります。先ずはスケルトンをぶつけて様子を見ましょう。僕たちが出るのはその後です」


 アスターの発言にサタンも異論はない。


「メリッサ、メアを起こせ。そいつの出番だ」


 サタンの声に反応して、メリッサの呟いてた口の動きが止まった。インベントリから一冊の魔導書を取り出すと、隣で寝息を立てるメアの頭を、ぽふんと軽く叩く。

 魔導書には目覚めの魔法が刻まれているのか、眼をこすりながらメアが体を持ち上げた。自分の居場所を確かめるように、左右を確認する仕草はいつものことだ。


「メア、仕事だ」


 メアは声の主を見つけ、いつものようにコクンと頷き返す。完全に起きたメアを確認して、サタンはそのまま指示を与えた。


「教国の兵士が北上している。お前はスケルトンを南下させろ。互いに潰し合って相手の出方を見る、消耗戦だ!」


 楽しそうに消耗戦と言う当たりがサタンらしい。メアはコクンと頷き、アスターは背伸びをして地図上の駒を動かした。

 白い駒を南東に、黒い駒を北西に、戦いの場所になるであろう平原には、白と黒の駒が向かい合っていた。



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