教国⑧

 エンジャの森の奥深く、漆黒の居城にある玉座の間。

 朱色の絨毯に影が落ち、滑るように移動を始めた影は玉座の前で動きを止めた。

 玉座に座る赤い髪の少女は動揺することなく影を見つめ続ける。それに応えるように影はゆらりと持ち上がり、平面から立体を形作った。

 黒い外套に身を包む人間と思しき形の生き物は、静かに跪き顔を上げる。

 頭から深く被った黒いフードの中は、黒いもやで覆われ中を窺い知ることはできない。ただ靄の中に怪しく光る赤い瞳が浮かんでいるだけだ。

 忍び寄る影シャドーストカーノワール。

 各方面でプレイヤーの探索をしていた彼もまた、十二魔将の一人としてサタンに同行していた。

 今回のノワール役目は北の主要都市であるラントワールでの情報収集、そして教国の動向を探ること。

 視線を感じてノワールの赤い瞳が僅かに動き、サタンの左右に立つ他の十二魔将を捉える。そこには残りの十二魔将が全て揃いノワールを注視していた。

 ノワールが視線を戻すと、サタンは目を見開き事前に通話で聞いていた内容を改めて問いただす。


「よく戻った。で? 通話で言っていたことは本当なのだな?」


 サタンの威圧するような口調が嘘は許さないと暗に訴えかける。

 もし、これが嘘や冗談の類いであれば、怒りでノワールを殺しているかもしれない。それほどまでにノワールの情報はサタンにとって朗報だった。


「本当でございます」


 ノワールのくぐもった声にサタンがニタリと広角を上げた。


「そうか、プレイヤーを知る者がいるのか――」


 サタンは拳を握りしめる。

 辺境の地でまさか自分が当たりを引くとは思いもよらなかった。もしプレイヤーを見つけ、それが主の探し求める友人であるならどれだけ喜ばれるか――

 顔を綻ばせるサタンの気分を、横から聞こえた声が一瞬にして台無しにした。


「じゃあ~、レオン様にご報告しなくちゃね~」


 通話を始めようとするリリスにサタンが怒声を浴びせた。


「この馬鹿が! 敵か味方かも確認せずに報告する馬鹿が何処にいる!」

「えぇ~、ここにいるよ~」


 さも当然のように告げるリリスにサタンの瞳が大きく見開いた。馬鹿だと分かっていても怒りが込み上げてくる。


「表に出ろ! 死なない程度に八つ裂きにしてやる!」

「うわぁ~、サタン様~なんで怒ってるの~? 誰か助けてよ~」


 泣きそうになりながら縋るように隣を見るが、よりによって隣は拷問好きのグレイブだ。


「楽しそうで何よりですね」


 ニタニタしながら楽しそうに笑うグレイブを見てリリスの瞳に涙が貯まる。

 もともとリリスが得意とするのは精神魔法の類いだ。十二魔将の中でも戦闘の強さは下から数えた方が早い。戦闘特化のサタンと戦えば結果はやる前から見えている。

 二人のやりとりを見て、サタンの隣に立つ少年は「またか……」と肩を落とす。

 漆黒の法衣を身に纏う黒髪の少年はの名はアスター。暗黒神官ダークプリーストにして、十二魔将の中では回復の要だ。知略にも長けているため、サタンは何かとアスターを優遇することが多い。

 僅かに瞳に被った髪の隙間からは、魔族の証とも言える赤い瞳がサタンを見据えた。

 他の十二魔将はいつも仲裁に入らないため、いつも二人の仲裁にはアスターが入るのだが、内心では心底うんざりしていた。それでも止めに入るのはレオンの意を汲んでのことだ。そうでなければ止めるはずがない。サタンが怒りに任せて自分を殺さないとも限らないのだから――


「サタン様、争いは絶対に駄目ですよ」


 サタンの深紅の瞳がアスターを睨むがいつものことだ。


「アスターまたお前か!」

「何度も言っていますが、僕たちは等しくレオン様の所有物です。勝手に傷つけることは許されません。それはレオン様に背くことになります。本当にレオン様に嫌われますよ?」

「――分かっている! 分かっているのだ! だが、あの馬鹿と話すと破壊衝動が込み上げてくる! 小馬鹿にするようなあの発言が私は我慢ならんのだ!」

「サタン様はそのように創られたのです、致し方ありません。ですが我慢はしてください。天井からレオン様がご覧になられていますよ?」

「レオン様が――」


 サタンは天井に描かれたレオンの肖像画を見上げた。

 美化されたレオンの凜々しい姿が玉座に座るサタンの瞳に映り、程なくしてサタンは深呼吸をした。瞳を閉じて息を深く吸い込み、ゆっくりと息を吐いて開けた瞳に怒りの色はもう見えない。


「ふぅ……、もう大丈夫だ。すまなかったなアスター、それとリリスもだ。以前ならこの程度では破壊衝動が起きることはなかったんだが……。暴れていないせいか、最近では些細なことで怒りが込み上げてくる」

「サタン様の破壊衝動はスキルの一種です。自分の意思とは関係なく起こるのですから、あまり気にしても仕方ありません」

「そうだな……」


 落ち着いたサタンを確認するや、列の端にいるリリスがアスターに大きく手を振った。


「アスターく~ん、ありがと~。後でチューしてあげる~」

「やめてください。僕を精神支配する気ですか? そんなことより話を戻しましょう」


 アスターは迷惑そうにリリスの言葉をやり過ごすと、左右を見渡し隣のサタンに視線を移す。


「どうせ他の方々はいつも意見を言わないので、僕とサタン様で今後の方針を決めていきましょう」


 再度、他の十二魔将を見渡し異論が出ないことを確認すると、アスターはサタンに視線を戻した。遠くでリリスが大きく両手を振ってアピールをしているが無視だ。


「先ずはレオン様への報告ですが、僕の意見もサタン様と同じです。もし現段階で報告をしたら、レオン様の性格上必ずご自身で確認をすると仰るはずです。敵になるかもしれないプレイヤーにレオン様を近づけるわけにはいきません。それよりプレイヤーの所在を確認し、レオン様のご友人であるか確かめる必要があります」

「当然だな。後はどうやってプレイヤーを探すかだ。可能性があるとするならこの国の神とも思ったが、我々とはやって来た年代が違いすぎる」

「ラファエルですか――確かキリスト教では三大天、ユダヤ教では四大天に数えられる天使ですね。如何にもプレイヤーが付けそうな名前ではあるのですが、教国は千年以上前からある古い国ですからね」

「その通りだ。千年以上前からプレイヤーが来ているとは考えにくい。教皇も十数年同じ人間が行っている。恐らく可能性は低いだろう。だが所詮は神など架空の存在だ。これ幸いと裏で神の名を語っているのがプレイヤーかもしれないがな。確実な方法はプレイヤーを知っていた人物を監視することだが――、リスクが高すぎるか……」

「そうですね。その人物がプレイヤーか従者であれば話が早いのですが――」


 アスターは跪いているノワールに視線を向けた。実際に確認したノワールであれば、何かしら手掛かりを掴んでいるかもしれないからだ。


「ノワールさんの見立てはどうですか?」

「魔法の類いで姿は偽っていなかった。装備品のレベルも高くない。暫く後を付けたが特筆すべき点は見当たらなかった。現段階での判断は難しい」


 アスターは腕を組んで「う~ん」と唸る。想定内の答えとは言え情報が少なすぎた。


「やはり普段の生活からではステータスの計りようがありませんね。どうなさいますか? サタン様」


 サタンは肘掛けに肘をついて少し不満そうに頬杖をついていた。

 恐らく直ぐには決着がつない。そして、プレイヤーがレオンの友人ではないことに至ったからだ。


「相手もこちらを警戒しているはずだ。簡単にボロは出さないだろう。相手が誰か分からぬ以上、強行手段に出ることも出来ない。暫くはスケルトンを使い教国の軍をこちらに向けつつ、相手の出方を見るしかないだろう」

「時間が掛かりそうですね」

「まったくだ。しかも、よくよく考えればレオン様のご友人である可能性はかなり低い。レオン様のお名前は隣国にまで知れ渡っているはずだ。レオン様のご友人であれば既にレオン様に接触している」

「そうですが、まだ決まったわけではありません。それにご友人でなくてもレオン様に友好的な方かもしれません。時間は掛かっても慎重に動きましょう」

「分かっている……」


 サタンはブスッとしながらノワールを見つめ、何処に潜伏させるかを考えていた。

 相手はこちらがプレイヤーであることを知っている。

 最大限に警戒されているのは勿論のこと、多数の罠が仕掛けられていることも想定しなくてはならない。

 教国の首都にある大聖堂には結界が張られているため、レオンに近づくなと厳命されている。首都であるが故に危険は伴い、また大聖堂に入れないことから得られる情報は少ないだろう。この場から一番近い主要都市、ラントワールもまた然りだ。

 プレイヤーの存在に気がついたのなら、襲われたトビの村に近い街は警戒を厳重にするはずだ。

 隠密行動に長けた十二魔将はノワールしかいない。一人で敵のテリトリーに潜伏させるにはリスクが高すぎた。

 結局、考え抜いたあげく、サタンはノワールの潜伏を見送ることしかできなかった。

 程なくして、十二魔将を解散させたサタンは天井の肖像画を見上げて思いに耽る。


「レオン様が私と同じ立場なら、果たしてどう判断なされたのだろうか――」


 本当に自分の判断は正しかったのか、愛しい主を思い浮かべてサタンは答えを見いだせずにいた。 




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