教国⑦

 トビの村の状況を確認したロインはラントワールの街に戻っていた。

 途中の村で潰れた馬を交代しながら三日三晩馬を走らせたこともあり、疲れでロインの表情は更に酷いものになっている。

 顔色は悪く頬はこけ、目の下に出来た隈は遠くからも分かるほどだ。薄らと目を開けてはいるが瞼は今にも落ちそうになっている。

 本来であれば直ぐにでも宿舎に戻りベッドに倒れ込みたいところだが、まだ最後の役目が残っていた。

 村に起きた惨劇の報告。

 ロインは部下に馬を預けると、汚れたままの姿で大聖堂の中を足早に進んだ。

 ラントワールの中心にある大聖堂は石造りの古い建物だが、規則正しく積み重ねた石の表面は魔法で綺麗に磨かれているため、目を奪うほどの美しさと頑強さを兼ね備えていた。

 だがロインに建物を鑑賞する余裕はない。見慣れた光景ということもあるのだろうが、それ以上に村の惨劇がロインの足を急がせた。

 大聖堂の中央に配した礼拝堂に足を踏み入れると、ロインは迷うことなく正面に置かれた石像の前で跪き頭を下げた。

 石像の男性は厳かなローブを身に纏い、丸い宝玉がめられた杖を高らかに掲げて天を見上げている。

 教国の崇める神、ラファエルを象った石像。

 敬虔けいけんな信者であるが故の習慣、勝手に体が動いたと言っても過言ではないだろう。


「こんな時に俺は何をやっているんだ……」


 暫くするとロインは我に返ったように頭を上げた。

 同時に何故? と違和感を覚えた。緊急を要するこんな時にも果たして普段の習慣が優先されるのかと――

 その微かな違和感を振り払うようにロインは首を左右に振り立ち上がる。悠長に考えている時間などありはしない。

 目的の場所は礼拝堂の更に奥、ロインは礼拝堂の右にある通路に視線を移し足を速めた。

 通路の入り口で見張りの司祭が目を光らせているのは、一般の信者が入れない場所である証だ。

 中央に配した礼拝堂からは三つの通路が伸びているが、それぞれの通路には制限が設けられている。

 ロインが通ってきた中央の通路は主に街に住む信者達が礼拝に使うもので、誰でも通行が可能である。その一方で左右の通路は司祭達の居住区や清めの場に続くため、大聖堂に仕える司祭、巫女のみ通行可能となっていた。

 ロインは通路の入り口に立つ見張りの司祭に軽く会釈をすると、迷わず奥に足を進める。訪れる者は身を清めて中に入る習わしだが、今のロインにそんな猶予はなかった。

 道中雨が降ったこともあり、磨かれた石の床にはロインの足跡がビチャリと残る。すれ違う数人の司祭が疎ましげに眺めるが咎める者はいない。

 大聖堂に仕える司祭であればロインの任務を誰もが知っているからだ。その緊急性と重要性も――

 駆け込んできた村人の話は俄に信じがたいが、もし本当であれば国を揺るがしかねない大事であることを司祭達は知っていた。

 ロインもまたすれ違う司祭達には目もくれず、我関せずと目的の場所に急ぐ。足の歩幅が次第に大きくなり、走るように幾つかの部屋を通り過ぎたところで一人の司祭と目が合った。

 白い法衣に身を包む司祭は、ロインが近づくと待っていたと言わんばかりに近くの扉に手をかけた。


「ご苦労様でした。大司教様がお待ちです」

「……分かった」


 ロインは頷き返すと息を整えて重い瞼をグッと上げた。

 如何に疲れているとは言え、街を統括する大司教の前で無様な顔を見せることは出来ない。これは強要ではなく、あくまでも同じ神を崇拝する一人の信者としての気構えだ。

 ロインの目に力が宿り顔に生気が戻ると司祭の手が扉を引いた。同時に長方形の大きな机がロインの瞳に飛び込んでくる。

 扉の真正面には年老いた大司教が座り、机の左右には若い六人の司祭が簡素な椅子に腰を落としていた。

 ロインは扉から近い空席の傍に立つと、報告をすべく神妙な面持ちになる。


「ロイン・エイデンただいま戻りました。先ずは至急村の現状についてご報告をいたします」


 はっきりと覇気のある声で言ったつもりだが、大司教の顔は芳しくない。よわい七十を超える深い眉間の皺を更に寄せるのが遠目に見える。怒っていると言うよりは困っているというところか。

 大司教の真っ白で長い顎髭が僅かに上下する。


「ご苦労だった。お前の顔を見れば昼夜を問わず馬を走らせたことは私でも分かる。国のために尽くす者を立たせたままにするほど私は狭小ではないぞ? 椅子に座り報告をしなさい」

「ですが……」


 有り難い言葉であるが、ロインは自分の衣服に視線を落として躊躇していた。雨に降られたこともありロインの上半身は水浸し、足下に至っては泥だらけだ。

 大聖堂に入ることすら烏滸おこがましい姿で、本当に椅子に座ってよいものか――

 一向に座ろうとしないロインの様子を見かねて、ドミニクは諭すように努めて優しい口調で話しかけた。


「汚れは洗い流せる、気にすることはない。それより疲労の色濃く見える信者を立たせている方が私は辛い」


 ロインとしては疲れを見せないように取り繕っているつもりだが、大司教ともなればその程度の誤魔化しなど直ぐに分かるのだろう。


「……それでは失礼します」


 これ以上は失礼に値すると判断するや、ロインは静かに腰を落とし、そして司祭達の見守る中で静かに報告を始めた。

 トビの村の惨劇、夥しい数のスケルトンの残骸、生存者がいないこと―― 

 話を進める毎に司祭達の表情が曇り、数人の司祭が頭を抱えだしたところでロインの口が閉じた。


「はぁ……」


 思わず漏れた溜息は大司教のものだ。


「なんということだ。トビの村は辺境の地であるが豊かな土地で村人も大勢いた。にも関わらず生存者がいないとは――」


 大司教の言葉が胸に刺さる。多くの司祭が言葉をなくし俯く中で、一人の司祭が気になることを口に出す。


「村はスケルトンに占拠されていなかったのですか?」

「はい、恐らく村人を全て殺し尽くし森に帰ったのでしょう。スケルトンの痕跡がエンジャの森に続いていました」

「北にあるエンジャの森か――あそこには古くから多種多様な魔物が住み着いている。魔物の死骸がスケルトンになっても可笑しくはない。だがスケルトンの数があまりに多すぎる。それにアンデットは知性を持たず本能のままに生きとし生けるものを殺す。集団で現れることはあっても二桁を超えることは滅多にないはずだ」

「仰る通りです。それと気になることがもう一つ」


 まだ何かあるのかと複数の視線がロインに集まり、当のロインは少し居心地が悪そうに身を縮めた。


「村人の死体を数えたのですが死体の数が足りません。念のため出来たばかりの墓を掘り起こしましたが、それでも死体の数が不足していました。何より不可解な点は死体の中に若い女性がいないことです」


 暗く沈んだ大司教の瞳に微かな光が戻る。


「それは村の者達が若い女性だけを逃がしたと言うことか?」

「恐らくそれはないでしょう。逃げるのであれば村人全てが逃げているはずです。トビの村は近隣の村まで遠く、辺境の地であるが故に魔物も多いはず。馬も満足にいない村では女性だけを逃がすのは返って危険です。それに、もし近隣の村に逃げているのであれば我々と遭遇しています。念のため広範囲の村に早馬を飛ばし確認を急がせていますが、可能性は薄いでしょう」


 大司教は顔を手の平で覆いを再び溜息を漏らす。瞳の色は再び沈み、指の隙間からロインを覗き言葉の真意を確かめた。


「どういうことかお主の見解を聞きたい。実際に村を見た者にしか分からぬこともあるだろう」


 ここから先はロインの予想でしかなかった。

 スケルトンの残骸と村の惨劇を見るに、最初に助けを求めてきた村人の話は間違いない。

 だからこそ不自然なのだ。

 何処に規則正しく夜に出てきて朝に帰るスケルトンがいるものか。それに例え生者がいなくとも暫くは村の周りをスケルトンが彷徨っているはずだ。

 統率が取れすぎている。


「裏でスケルトンを操る者がいると思われます。他国では人身売買が盛んな国もあると聞きますので――」

「村人を攫うために誰かがアンデットを操っていると言いたい訳だな?」

「あくまで私の憶測でしかありませんが……」


 確かな証拠があるわけではない。

 自信なさげに声が小さくなると、話を聞いていた司祭達の中から意見が飛び交う。


「有り得ない話だ。他国の者が我らの国へ気付かれずに侵入出来るはずがない。出ることもまた然りだ」

「西の港には不定期に貿易船が着く。密かに入国した者がいても可笑しくないのでは?」

「絶対に無理だ。船から下りた船員の数は厳密に数えている。船に戻るときに人数が足りなければ直ぐに分かる」

「下ろした積荷の中に紛れ込んでいる可能性は?」

「それもないだろう。私は以前港町の視察を行ったことがあるが、下ろした積荷は全てその場で荷を解かれて調べられていた」

「アスタエル王国に至っては論外だな。国境沿いには大きな川が流れている上、厳戒態勢を敷いている国境警備隊が侵入を許すはずがない」

「南は大陸を横断する険しい山脈、そして魔物が巣くう深い森だ。山脈を越えるどころか辿り着くのも不可能だ」

「では北か? アンデットが出現した森も北にある」

「エンジャの森を挟んで北にあるのは、獣人の国だぞ? 死体が五体満足な状態で残っているはずがないだろ。何より魔法に疎い獣人がアンデットを操れるはずがない」

「まて! 少し落ち着こう。そもそも村人が攫われたことも憶測でしかないのだ。今からこんな話を論じても意味はないだろう。先ずはアンデットをどうすべきかだ。もし本当にアンデットを操る者がいるなら、村の女性も自ずと見つかるはずだ」


 大司教であるドミニクは指を組み、祈るような姿勢で皆の意見をただ聞いていた。

 外部の人間が教国に入り村人を攫うことは難しい。だからと言って教国の人間が村人を攫うことは万に一つもあり得ない。

 何故なら教国はからだ。

 内乱を企む者は疎か盗賊すら一人もいない。安寧とした理想国家を乱す者がいることは許されざることだ。

 そして大量のアンデットが自然発生したとは考えにくい。

 ロインの言葉ではないが、アンデットの存在が確かなら操る者――召喚者がいるは間違いなかった。


「プレイヤーか……」


 大司教ドミニクの言葉は的を射ていた。

 しかし、その言葉は討論に熱の入る若き司祭達の耳には届かない。

 この場にいる一人を覗いては――





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