王国㊻

 不快な死臭が鼻をついた。

 レオンは倒れている兵士を横目に街の中心へ歩き出す。

 結界で守られている屋敷の敷地内とは違い、酷い臭いが倉庫街に漂っていた。風が吹く度に死臭が一段と強くなり、すれ違う兵士は鼻と口を手で覆う。

 戦いに勝ったというのに兵士の表情は未だ暗い。

 それもそのはず、これから行われるのは街の外に転がる死体の処理だ。王国と帝国、合わせて十万以上もの死体を集めなくてはならない。

 誰でも気が滅入るに決まっている……

 外からの風で流れ込む死臭が、兵士の足取りを重くさせていた。

 レオンは彼らを一瞥して歩みを進める。

 多くの死者を出したことに思うことはあるが、これも恒久的な平和のために必要な措置だと確信していた。今回の戦いに真の勝者はいないだろう。互いの国が多くの死者を出し疲弊しただけだ。得られたものはものはなにもない。だからこそ争うことの愚かさを知ることができる。

 もちろん自分の考えが全て正しいとは思わないが、犠牲を払わずして和平など有り得ないというのがレオンの根底にあった。平和な日本とは違う。暴力で溢れるこの世界では、どうしても力を見せつける必要があるからだ。

 レオンも兵士にならい口元を手で覆うが、死臭が和らぐことはなかった。


(フィーアとバハムートを連れてこなかったのは正解だったな。幼いバハムートにこの臭いは辛いはずだ。フィーアに至っては、臭いが不快だと死体を全て浄化しかねない。俺の従者は時々無茶をするからな……)


 レオンは困ったものだと眉尻を下げた。

 道すがら街の様子を観察するが、繁華街に以前のような活気はない。

 人はまばらで、道端には布切れや防具の一部、木片など、様々な物が散乱している。兵士が駆け回った爪痕が色濃く残り、瓦礫を避けるように住民は歩いていた。

 物資が滞っているためか、多くの店が閉められたままだ。何も置かれていない店先に視線を移し、レオンは小さく頷いた。


(レッドリストから物資を支援させるのも悪くないか――。獣人との確執を少しは埋めることができるかもしれない。問題は王国が受け入れるかだ。見返りを警戒して断るかもしれない。まぁ、そこら辺はシリウスに任せるか――)


 目当ての建物を視界に捉え、レオンの歩みは僅かに早くなる。

 目の前で一度足を止めると直ぐに中には入らず、大きな外観を見渡すように首を左右に振った。

 久々に見る冒険者ギルドは以前と寸分違わない。この場所だけ、まるで時が止まっているかのような感じさえした。

 中に足を踏み入れると、カランカランと聞き慣れた音が聞こえてくる。同時に視線がレオンに集まった。長い間、戦いで依頼を受けられないこともあり、ギルドの中は人でごった返している。

 レオンは少し意外に感じた。

 冒険者は身一つでどの国でも仕事ができる。他の国へ逃げ出すことも容易いはずだ。


「お久しぶりですレオンさん。それとも男爵と呼んだ方がいいですか?」


 声で振り返るとミハイルが意地悪そうに笑みを浮かべていた。他の三人もニタニタと笑みを向けるのを見て、レオンは勘弁してくれと溜息を漏らす。


「やめてくれ、今まで通りレオンで構わない。私自身は今でも一介の冒険者のつもりだ。それに友人に男爵と呼ばれるのは少し悲しいな。まるで他人のようではないか……」

「そうですね。少し意地が悪いことを言いました、すみませんレオンさん」

「別に謝る必要はないんだが――それより随分と込み合ってるな」

「今まで依頼を受けることが出来ませんでしたから、みんな依頼を求めて集まっているんですよ」

「それは何となく分かるのだが――」


 二人の会話を遮るように、うるさい鎧の音がガチャガチャ聞こえた。

 視線を移すと懐かしい二人が手を挙げ、その内の一人が「ようレオン」と口を開いた。むさ苦しい鎧に野太い声は、紛れもないガストンだ。

 ベイクと一緒に歩いてくる姿を見て、レオンは相変わらず変わらないなと頬を緩める。


「久しいなガストン、それにベイク。お前らも街に残っていたのか」

「当たり前だ。俺はメチルの出身じゃないが、この街には世話になった人が大勢いる。そいつらを見捨てるような真似はできん」

「聞いてくれよレオン。ガストンの奴が俺も戦うとか言い出すし、止めるのに苦労したんだぜ? なぁミハイル」

「そうですね。でもガストンさんの気持ちは分かりますよ。僕だって目の前で街の人が襲われていたら、もしかしたら戦うことを選んでいたかもしれません……」


 神妙な面持ちで答えるミハイルの言葉に、その場が一瞬静まり返る。ベイクも茶化す気にはなれないようで、「そうだな」と素直に頷き返していた。

 二人にも譲れない一線があるのだろう。

 ヴァンが動くのがあと少し遅ければ、彼らは自ら望んで戦いに飛び込んでいたのかもしれない。

 大切な友人を失っていたかもしれないと思うと、レオンの胸中は複雑だ。

 赤の他人は切り捨てるのに、自分の知り合いには生き延びてもらいたい。果たして、そんな我が儘が許されるのだろうか……


(今回の戦争はもっと早くに決着をつけることもできた。死者の数も今よりずっと少なかったはずだ。態と戦いを引き延ばして獣人の有難みを教える。もし俺のしていることが知れたら、それでもミハイルたちは友人でいてくれるだろうか――)


 レオンがミハイルをじっと見つめていると、不思議そうにミハイルが小首を傾げた。


「レオンさん、どうかしましたか? 僕の顔に何かついてます?」


 ミハイルは自分の顔を確かめるように手で何度も触れている。レオンは思わず笑みをこぼし、「なんでない」と一言告げた。

 相変わらずと言うべきか、周囲を見渡しても、いつもの面々以外は誰もレオンに近づこうともしなかった。

 正式に王国の貴族になったことで、更に近づき難い存在になっていたのは間違いないだろう。


「それにしても冒険者が多いな。状況から見ても、他の街に逃げ出してもおかしくないと思うのだが」

「僕たち冒険者はギルドに守られていますから、もちろん戦いに参加しないことが条件ですけどね」

「それでか――」


 レオンが頷いていると、ガストンが言いづらそうに重い口を開いた。


「なぁレオン、お前は王国の貴族になったんだろ? ならどうして戦わなかったんだ? お前が、お前の騎乗魔獣が戦っていたら、帝国は直ぐにでも引き上げたはずだ。最後は獣人の王が帝国の奴らを追い払ったらしいが、獣人の手を借りなくても戦いには勝てたはずだろ?」

「――先ほどミハイルにも伝えたが、私自身は一介の冒険者に過ぎないつもりだ。成り行きで貴族にされたが、冒険者の資格を失うつもりはない」

「………………」


 ガストンは何かを言いかけて言葉を飲み込む。

 生き方は人それぞれだ。どう生きるかを他人がとやかく言うのは筋が違う。腑に落ちない点はあるが、ガストンも強くは言えなかった。

 特に冒険者の資格は戦争に参加した時点で永久に失われる。冒険者として生きようと思うなら、レオンの判断は間違っていない。

 反論の余地がないことに、ガストンは大きな溜息をついた。


「はぁ、まったくお前は……。貴族になって忙しいのも分かるが、依頼を受けるのも忘れるなよ。もう半年以上も依頼を受けていないだろ? 冒険者として生きるなら、たまには冒険者らしく依頼も受けろよ」

「分かっている。お前は相変わらず他人のことばかり心配しているな。尤も、そういうところがお前らしいがな」


 嫌味を言われたと思ったガストンは露骨に嫌な顔をした。


「――それはもしかして俺への当てつけか?」

「普通にお人よしだと言ってるんだ。もう少し自分のことも心配しろ。お前は俺の数少ない友人の一人なんだからな」

「お、お前、何言ってんだ? 本当にレオンか? 悪いもんでも食ったんじゃないだろうな? 今すぐ教会で診てもらった方がいいぞ。もしかした病かもしれん」

「――前言撤回だ。お前はただの赤の他人だ。そして赤の他人に心配される筋合いはない。そんなに誰かと話をしたければ、今すぐ森にいるオークの雌に、愛の言葉でも囁きに行け。きっとお前のことを待っているはずだ」


 ガストンは眉間に皺を寄せるが「まぁ、これなら大丈夫か――」と苦笑いを浮かべた。その様子からも、普段ガストンがレオンのことをどう思っているのか窺える。

 レオンの中でガストンの評価が二段下がった瞬間であった。





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