王国㊹

 話をしようか? テオは隣に座るヴァンを睨んだ。

 今更なにを話そうというのか――

 決まっている。考えられることは降伏勧告だ。

 武器を捨て投降するなら命は保証する。恐らくはそんなところだろうが、二十万以上の捕虜を王国がどうするかだ。

 そもそも、それだけ多くの兵士を収容する場所はないはず。最悪なのは獣人の住む地で捕虜として捕らわれること。獣人の餌になることも想定しなくてはならない。大勢の兵士を守るためにも、それだけは絶対に避けなければならなかった。

 いざとなったら街に攻め込むか、それとも追撃されることを覚悟で形振なりふり構わず帝国領へ逃げ帰るか――

 尤も、それは自分たちが生きていればの話だ。

 目の前の獣人がいつでも自分たちを殺せることを考慮すると、話し合いが決裂した場合は間違いなく殺されるだろう。

 クリストフ、アレン、テオの三人は顔を見合わせ同時に頷いた。

 思うことは一つなのかもしれない。この場をやり過ごし、軍を再編して無傷の兵士を殿に撤退する。それが被害を最小限に抑える最善の判断と思われた。

 だが、先ずは聞かなければならないことがある。


「話をする前に聞きたいことがある。どうやってこの場所に来た? 天幕の周りには兵士がいたはずだ」


 クリストフの問いにヴァンは「ああ、あいつらか――」と目を細めた。


「殺した。騒がれても面倒だからな」


 聞かなくても答えは分かっていた。

 それでも天幕を守っていたのは帝国の精鋭二十人だ。

 叫び声すら聞こえないということは、彼らを音も立てず、誰にも気付かれず、すべて殺したことになる。

 化け物め……。そう思うも、クリストフは口には出さずに心に留めた。

 軍議が行われる天幕には一般の兵士は近づけない。これは情報の漏洩を防ぐための措置だ。他の天幕とも離れているため、夜では異変に気付かないだろう。それでも大声を出せば、周囲の天幕に声が届くかもしれない。

 しかし、誰もが声を出すことをよしとはしなかった。兵士が駆け付けたところで死体が増えるだけ、今より状況が悪くなることを知っているからだ。


「そうか……。敵の自己紹介は必要かな?」


 嫌味交じりに告げるクリストスに、ヴァンは手をひらひらと振る。


「調べはついている。必要ない。ちなみに俺は狼族の王、ヴァンだ。よろしく――とはいかねぇか。今は互いに敵同士だからな」

「今は、か――それで話とは?」

「単刀直入に言うとだな。北に保管してあるお前らの食糧を燃やしてきた」


 誰もが耳を疑った。

 そんな情報は入っていない。北に保管していると言うことは、ヴァジムの軍に守らせている食糧のことだ。

 食料は幾つかに分けられているが、最も戦場から離れているヴァジムの軍には食糧の半数を預けてある。

 もし、それが全て燃やされたとしたら――

 クリストフはオウム返しのように呟く。


「食料を燃やしただと?」

「そうだ。北の食料は全て燃やした。その過程で邪魔する兵士も全て殺している。ここから距離は離れているが、恐らく一時間後で知らせの兵士が来るだろう」


 クリストフは血の気が引いていくのを感じていた。

 鏡で自分の顔を見たなら、青褪めているのは間違いない。テオはヴァンに敵意を向け、アレンは顔を手で覆い顔を伏せている。

 三者三葉、思いは多少違うが、絶望的という意味では同調していた。

 俄かに信じがたい話ではあるが、馬で一時間以上かかる道のりも、この獣人の手にかかれば一瞬なのかもしれない。


「それで我々に降伏しろと言うのか?」


 重い口調から敵意が滲み出る。


「いや、降伏されても迷惑なだけだ。お前らを養うほど、今の王国に余裕はないからな」

「ではどうしろと?」

「帝国に撤退しろ。それくらいの食糧は残っているはずだ。もし大人しく撤退するなら、追撃しないことを約束する。もちろんお前らも殺さない、そして捕虜にもしない。悪い話じゃないはずだ」


 願ってもないことだが、腑に落ちない点が多すぎた。

 降伏されても迷惑というのは分かる。二十万以上もの兵士を捕虜にするのは難しいことだ。捕らえておく場所や食料も去ることながら、内にそれだけの敵兵を囲うのは危険が伴う。いつ暴動が起こるか分からない上、街や村を占拠されたら面倒なことになるからだ。

 分からないのは追撃をしないと公言していること。

 王国からすれば敵の戦力は少しでも削いでおきたいはずだ。同じ理由で少なくとも指揮官の命は奪うか、それとも交渉の材料にするため捕虜にするのが一般的だ。


「どうして我々の命まで助ける必要がある? 殺さずとも捕虜にするなり、交渉の材料に使えるとは思わないのか?」

「そんなことより、お前たちには兵をしっかり纏めて撤退して欲しいんだよ。変な置き土産をしないようにな」

「置き土産か――」

「そうだ。簡単に思いつくのは、避難して誰もいない村や畑を焼くことだ。村を一から作るのは手間だし、畑を焼かれたら食うもんがなくて困る。あとは井戸に毒を撒いたり――まぁ、そんなところだ」

「もし守らなければ?」


 クリストフの問いにヴァンの表情が険しくなる。

 これらは全てレオンのお願いの一つだ。間違っても置き土産はあってはならない。それだけに声は怒気を孕んだ。


「そのときは帝国に亡びてもらう。俺たち獣人が総出でお前らを必ず滅ぼす。これは絶対だ。後から謝ろうが絶対に許さん。必ず皆殺しにするからそのつもりでいろ」


 張り詰めた空気が流れた。

 ヴァンの怒気に気圧されたこともあるが、その言葉の内容を実行されるのを恐れたからだ。

 数日前なら何を馬鹿なと鼻で笑ったかもしれない。

 だが今は獣人の強さを目の当たりにしている。全ての獣人がヴァンのように規格外とは思わない。それでもヴァンの強さは個で国を落とせるほどだ。そこに他の獣人が加わったなら――

 帝国は本当に亡びる。

 それはクリストフの思い描く最悪の結末だ。目の前の獣人がそれを可能とする以上、クリストフは首を縦に振るしかなかった。


「分かった。お前の言う通りにしよう。兵を纏めて明日の夜には引き上げる。それでいいか?」


 朝ではなく夜にしたのは、逃走した兵士が戻る時間を考えてのことだ。

 帝国に戻るにしても、一人でも多くの兵士を連れ帰る必要だある。何より土地勘のない兵士を置いてはいけなかった。


「ああ、いいぜ。王国の奴らにも手を出さないように伝えておくよ。だからって不用意に街に近づくなよ? その時は攻撃をされても文句は言えないからな」


 クリストフが頷き返すとヴァンは椅子から立ち上がる。

 立ち去り際に念を押すように「約束は守れよ」と告げると、消えるように姿を消した。

 張り詰めた空気が緩み三人は胸を撫で下ろす。と同時に、倒れているブランドンに駆け寄り直ぐに容体の確認をした。

 しかし、脈を診たアレンは首を左右に振る。

 既に事切れていた。打ち所が悪かったのか、外傷はないにも関わらず、ブランドンが瞳を開けることは二度となかった。一時間後に連絡兵が伝えてきたのは、北に保管している食糧が燃やされたこと。そして指揮を取っていたヴァジムの死だ。

 三人とも溜息しか出てこない。

 今後に向けてやることは増える一方だ。

 軍の再編、撤退の準備、失踪した兵士の捜索、三つを同時に進行しなくてはならなかった。その上で軍を纏める指揮官の数も減少している。

 話し合いは夜通し行われ、翌朝には失踪した兵士の捜索に騎馬隊が駆り出されていた。

 捜索隊の指揮を任されたアレンは遠くに見える街に視線を凝らす。

 戦いがあったとは思えないほど今は静まり返っていた。数日の出来事がまるで嘘ように思えてくる。

 結局は両国とも多数の死者を出しただけで得る物はなにもない。なんて不毛な戦いなんだと転がっている死体に視線を落とす。

 何のために戦い死んだのか――

 アレンの胸中には切ないものが込み上げていた。






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