王国㊸

 帝国の野営地は重苦しい空気に包まれていた。

 取り分け中央に張られた天幕の中は通夜のように静まり返っている。一堂に会した帝国の将軍たちは押し黙り、今後どうするべきか頭を悩ませていた。一人の獣人が戦場を駆け回ったことにより、帝国の被害は惨憺たるものだ。

 多くの兵士が命を落とし、伝説級の武具まで奪われている。武力を売りにする帝国にとって、この損失は計り知れない。

 今後も数十年と尾を引くかもしれないと思うと、テオは自分自身が許せなかった。


「すまない。私が不甲斐ないばかりに……」

「テオ将軍が悪いわけではない。特殊装甲兵団が束になっても勝てない相手だ。誰が指揮を取ろうと結果は変わらないはずだ」


 軍の総指揮を任されていたクリストフは、北門攻略の指揮に当たっていた。そのためヴァンの戦いも間近で見ている。だからこそ、テオがどうすることもできなかったことを――テオに非がないことを知っていた。

 あれは人の手でどうにかできる代物ではない。だからこそ問題があるのだ。

 クリストフは意見を求めてアレンに視線を向けた。

 少なくともクリストフはアレンの才能を買っている。悔しくはあるが、この場にいる将軍たちの中で最も頭が切れるであろうことも分かっていた。

 だからこそ一縷の望みをかける。


「先ずは好き勝手に暴れる獣人をどうにかしなくてはならないが――アレン、何か良い策はないか?」

「良い策ですか――。正直なところ思い浮かびませんね。話を聞く限り、ヴァンと呼ばれる獣人の王には物理的な攻撃は通用しないでしょう。魔法だけは回避しているようですから魔法は効くと思うのですが、それも当たらなければ意味がありません。他には毒殺という手も考えましたが、街の中の工作員は全滅していると見るべきです。もし仮に生き残りの工作員がいたとして、運よく連絡が取れたとしましょう。その結果、食事や水に上手く毒を盛れたとしても、鼻の利く狼族が毒に気付かないはずがありません。毒を口にするとは到底思えませんね。結論から申しますと、これ以上の犠牲が出ないうちに我々は尻尾を撒いて逃げるべきです。勝てない相手と戦うほど馬鹿なことはありません」


 処置なしと語るアレンに対し、クリストフとテオは押し黙る。

 だがヴァンの戦いを見ていないブランドンは違った。血走った目でアレンを睨みつけ目の前のグラスを力任せに握り潰す。

 屋外用の分厚いグラスはバリンと音を立て、ブランドンの手の中で粉々に砕けていた。指や手をガラスで切ったのだろう。指の隙間からは、血と水の混じった液体がテーブルに滴っている。

 だが、そんなことには目もくれずにブランドンは怒声を上げる。


「貴様は正気か!! 今までどれだけ多くの兵士が血を流したと思っている! 死んでいった兵士たちの命を無駄にするつもりか!! 何とか答えたらどうだ!」


 怒りの矛先を向けられたアレンは迷惑そうに顔をしかめた。

 意見を求められたから素直に話しただけなのに――。顔にはそう書いているかのようだ。

 ブランドンは一介の兵士から、剣の腕だけで将軍にまでなった叩き上げの男。命懸けで戦う兵士の気持ちを、この場にいる誰よりも理解していた。

 兵士たちは帝国のためというよりも、家族のため、少しでも生活が潤うことを願って必死に戦っている。

 戦いに負けるということは、その願いが潰えるというこだ。

 悪く言えば、死んだ兵士は無駄死にとも言える。共に戦った兵士の死を無駄にしないためにも、この戦いには是が非でも勝たなければならない。

 多くの兵士が命を落としてきた戦いだからこそ、ブランドンは引けなかった。


「ではブランドン将軍はどう戦うおつもりでしょうか? お二人の話を聞く限り、我々にはあの獣人を殺す術がないと思うのですが? もし勝てる秘策があって仰っているなら、是非お話を伺いたいものです」


 ブランドンの怒声を浴びて尚、アレンは極めて冷静に切り返す。

 秘策などブランドンにはないが、思いつくことは幾つかある。魔法が効くのであれば魔法で殺せばいい。持久戦に持ち込み体力の消耗を待つ。探せば殺し方はまだ見つかるはずだ。

 生物である以上、殺せないはずがない――


「魔法が効くのであれば、空から魔法で攻撃をすればよいではないか。こちらは宮廷魔術師を三十人も用意しているのだ。躱せないほどの魔法を叩き込めば、その獣人も難なく殺せるだろうが!」

「視認できない相手ですよ? 当たるわけがありません。それに肝心の宮廷魔術師は、既に半数近くが殺されています。しかも、相手は斬撃で離れた場所をも攻撃するというではありませんか――。魔法の射程距離を考えると、上空は決して安全ではないと思いますよ? 貴重な宮廷魔術師を死なせに行くようなものです」

「では街の上空から家屋に魔法を打ち込み、その混乱に乗じて一気に街を――」

「無駄ですよ。本気でそんなことを仰っているのですか? 王国も上空からの魔法には備えているはずです。ブランドン将軍もご存じでしょうが、魔法と弓矢の射程は一般的に同じとされています。魔法が地上に届くということは、地上からの矢も届くということです。魔導砲のように射程の長い魔法が打てない限り、上空に現れた魔術師は的でしかありません。直ぐに矢で射殺されると私は思いますけどね」

「ではどうしろというのだ!!」

「だから言ってるじゃありませんか? 戦っても無駄だと――」

「――埒が明かん! 二人もアレンに何とか言ってくれ!」


 ブランドンはクリストフとテオに視線を向けるが、二人は腕を組んだまま難しい顔をする。その態度にブランドンの苛立ちは募る一方だ。

 歯ぎしりをしながら怒りを露わにするブランドンを一瞥し、クリストフは手元の羊皮紙に視線を移した。羊皮紙には、これまで受けた被害、残りの食糧、兵站の詳細が記されている。

 死者八万、負傷者十二万、失踪者二万。王国にも相応の死者が出ているとは言え、今日の一戦で戦局は大きく傾いていた。

 何より兵士の士気が下がっている。人づてに広まった獣人の比類なき強さは、今や全ての兵士の知るところだ。

 獣人の姿が見えただけでも兵士は逃げ出し、軍として統率が取れなくなる恐れもある。今のままでは戦いにすらならないかもしれない。

 クリストフの脳裏を撤退の二文字が過ぎっていた。


「ブランドン将軍の気持ちは分かる。私たちは勝つためにこの地に来たのだ」

「ならば――」


 ブランドンが声を上げるのをクリストフは手で制した。


「多くの兵士が亡くなったことにより、当初の予定より食糧は持つ。兵士の数も我が軍が未だ圧倒している。だが幾ら時間を費やし、多くの兵を動員したところで、街を落とせなければ意味がない。あの獣人を止める手立てがない以上、私はアレンの意見に賛成だ」

「馬鹿な!! 本気で言ってるのか!」


 クリストフは首を縦に振る。

 それを見たブランドンは、怒りのままに拳をテーブルに叩きつけた。

 大きな音が一つなり、テーブルが僅かに跳ね上がる。三つのグラスが大きく揺れて一つが倒れ、床に落ちるところを毛むくじゃらな手が拾い上げた。


「ガラスは高いんだろ? もう少し気を付けたらどうなんだ?」


 聞き覚えのある声にテオがギョッとする。

 自分の目の前に置かれたグラス、それを握る手を見て戦慄が走った。

 何故ここにいる? 目を丸くしたテオの表情は、隣に佇む獣人へそう訴えかけていた。テオだけではない。同席していた誰もがそうだ。

 真っ先に正気を取り戻したブランドンは、椅子を跳ね除け立ち上がり、腰の剣を素早く抜いた。


「貴様が例の獣人かぁあああああああ!」


 ヴァン目掛けて剣が振り下ろされる。

 ブランドンの剣の腕は実戦仕込み確かなものだ。剣は霞むような速さで振り下ろされ、銀色の軌跡を描いてヴァンに迫る。だがヴァンは気怠そうに、爪先だけで難なく弾き返した。

 ブランドンの腕が上に跳ね上がり、衝撃で手に痺れが走る。握力を失っ指は剣を手放し、無情にも剣は地面に転がった。


「やめておけ。お前程度じゃ束になっても俺に勝てねぇよ」

「貴様ぁああああああああ!!」


 声を荒げ、形振り構わず殴り掛かるブランドンを、ヴァンはなるべく死なないように軽くはたいた。だがあくまでだ。兵を引き揚げさせるにしても、何も帝国の将軍を全員生かしておく必要はない。ヴァンの中で、ブランドンは死んでも構わない将軍の一人でしかなかった。

 広い天幕の端まで吹き飛ばされたブランドンは、そのまま地面に転がり動かなくなる。誰もがその場を動けなかった。ヴァンの鋭い視線が助けに行くことを許さないからだ。

 ヴァンは倒れている椅子を元に戻し、当たり前のようにブランドンが座っていた席に腰を落とした。 

 そして大きな口を開く。


「じゃあ、少し話をしようか――」






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