王国㊶
「どうやら私と君では言葉が通じないらしい。これ以上の話は無駄でしかありませんね。何よりその目が気に入らない。まるで弱者を見るような、その目が――」
テオは忌まわし気にヴァンを見る。
獣人というだけでも怒りが込み上げてくるのに、その獣人から
周りの兵士も同じらしく、ヴァンへの殺意が一層高まる。
「そうか、なら仕方ねぇな。俺もわけ合ってお前らを追い払わなきゃならねぇ」
ヴァンは自分の影が僅かに揺れるのを見て、逃げ場がないことを悟っていた。
レオンから受けたお願いという名の命令は、帝国軍を追い返すことだ。しかもご丁寧に監視までついている。もし、レオンの意に沿わない行動を取れば、獣人を害することにもつながりかねない。
獣人の存在意義を認めてもらうためにも、ヴァンはレオンのお願い――命令を遂行しなくてはならなかった。
失敗は許されない。
ヴァンは意識を切り替える。
目の前にいるのは絶対に負けられない敵だ。殺さなければ獣人の未来を奪いかねない。
ヴァンは檻から一歩足を踏み出す。
「〈
灰色と青が混じったヴァンの体毛が銀色に輝きだす。
柔らかい毛の一本一本が針のように鋭さを増し、鋼のように固くなる。身に纏う衣服を貫いていないのが不思議なくらいだ。
ヴァンが目に見えて変化したことに兵士たちは動揺するが、テオは落ち着き払っていた。
檻から出たということは攻撃が通じるということ。
周りの兵士に檄を飛ばす。
「今だ! その獣人を殺せ!
テオの号令で一斉に剣が振り下ろされ、槍が突かれた。
ヴァンの体は剣で切り刻まれ、槍で貫かれる。絶対に助からない。
はずだった――
だが、金属がぶつかる甲高い音が鳴り、振り下ろされた剣も、突かれた槍も、銀色に輝く毛が全て受け止めていた。
攻撃は皮膚にすら届かず、ヴァンは余裕の笑みを浮かべる。
「無駄だ。今の俺には並大抵の攻撃は効かねぇよ」
邪魔そうに剣と槍を手で払い、そのまま近く兵士の顔を手の甲ではたいた。
ガン! と鈍い音が鳴り兵士の兜が吹き飛ばされた。その光景を見て周囲の兵士が短い悲鳴を上げる。
兵士の首から上が兜ごと吹き飛ばされていたからだ。
歪に引きちぎられた首からは血があふれ出し、骨が突き出していた。
転がっている兜はひしゃげて元の大きさの半分しかない。兜のスリッドからは赤い肉が押し出され、挽肉のようにはみ出ていた。
周囲の兵士たちは後退りする。そして恐怖を帯びた目をヴァンに向けた。
おおよそ人間のなせる業ではない。いや、獣人なのだから当然なのかもしれないが、余りに規格外すぎた。
最も驚くべきは、ヴァンが軽くはたいたようにしか見えなかったことだ。
もし、今のが全力でないとしたら――
兵士たちの恐怖が色濃くなる。足が竦んで動けないのか、誰もが攻撃を仕掛けようとしない。
その様子に業を煮やしてテオが叫んだ。
「怯むな! 相手はたった一人、倒せない相手ではない! 奴が倒れるまで攻撃を続けろ!」
弾かれたように兵士たちは動き出す。
剣で斬り、槍で突き刺し、鉄球で殴り掛かる。
だが結果は同じだ。その何れもがヴァンに痛痒を与えることができず、近くにいた者からはたき殺される。
ヴァンの周りに十数人の死体が転がる頃には、遠巻きに構えるだけで、誰も手出しできずにいた。
剣や槍では分が悪い、テオは状況から後方の魔術師に目配せをする。
先ずは魔法を使えるのか確かめなくてはならない。先ほど魔法の檻を破壊するため、限界まで攻撃魔法を使わせていたからだ。
だが幸いにも、魔術師には
まだ魔法は使えるはずだ。
三人の魔術師はテオの意図をくみ取り、
「[
「[
「[
狼族の素早さは侮れない。
速度の速い雷と風の魔法を使用したのは、回避されることを恐れたからだ。
更に
特に獣人は魔法に対する耐性が低い。一撃で殺せなくても致命傷は間違いなかった。だから誰もが、魔法が放たれた時点で勝利を確信していた。
目の前でヴァンが姿を消すまでは――
魔法は目標を見失い、ヴァンがいた場所を通り過ぎて消え失せた。テオは何度も目を凝らすが、そこに獣人の姿は見当たらない。
だが、テオ以上に驚いていたのは魔法を放った魔術師たちだ。自分の魔法に絶対の自信を持っていただけに、その衝撃は大きい。
「馬鹿な!」
「消えるなど有り得ん!」
訳も分からず魔術師たちは呆然と立ち尽くす。
すると背後から「やっぱこのスキルは便利だな」と声が聞こえた。恐る恐る振り返り目にしたのは、先ほどまで目の前にいた獣人だ。
魔術師の一人が思わず叫び声を上げた時には既に遅かった。
三人の魔術師はヴァンの長く伸びた爪に両断され、一振りで体が切り離されていたからだ。
周囲に血液が飛び散りヴァンの爪が赤く染まる。
テオが声に気付いて振り返った時には、三人の魔術師は地面に倒れ動かなくなっていた。
「どうやって移動した!」
テオは声を荒げてギリっと歯ぎしりをした。
ヴァンが使用したのは
風が切り裂かれ、真空の刃がテオの近くの兵士を切り裂いた。もはや今のヴァンに距離など関係ない。
血を吹き出し兵士が倒れのを見て、テオはシャインのために用意していた奥の手の使用を決意する。
「出し惜しみはなしだ! 特殊装甲兵団を前面に出せ! 奴を囲んで何としても殺すのだ!」
「特殊装甲兵団?」
はん? と余裕の表情で首を傾げるヴァンに対し、テオは強気だ。
「出来れば奥の手は見せたくなかったが仕方ない。特殊装甲兵団は
ヴァンの一人称が君ではなく貴様になっている辺り、よほど頭に血が上っているのだろう。
もしかしたらテオ自身気付いていないのかもしれない。
テオの号令で現れたのは漆黒の鎧を身に纏う騎士たちだ。
他の兵士より頭一つ飛び出ており、鎧の幅もある。見るからに力強さを感じさせていた。最も目を引いたのは、身に着けた鎧と長剣が不思議な光を放っていることだ。
「魔法の武具か――」
テオはヴァンの呟いた言葉を拾い上げる。
「その通りだ。帝国が最近入手した伝説級の武具だ。しかもその数は二十。鎧は如何なる攻撃をも弾き、関節は魔法の障壁で守られている。剣は岩をも両断する切れ味を持つ上、更には剣に宿る魔法が直接叩き込まれる仕組みだ。貴様の自慢の爪は鎧で弾かれ、その銀色の体毛は剣で切り裂かれるだろう。万が一にも貴様に助かる道はない」
誇らしげに語るテオを一瞥し、ヴァンは漆黒の騎士たちに視線を移した。
明らかに一般の兵士とは雰囲気が違う。殺意というよりも、押し殺した気配が騎士の実力を裏付けていた。
ヴァンは試しに腕を横なぎに振り、真空の刃で鎧を斬りつけた。
バン! と音が鳴り響き、騎士は僅かに仰け反っただけで、鎧に傷はついていない。
それが切っ掛けだった。
一斉にヴァン目掛けて魔法の剣が振り下ろされる。
油断していたわけではない。ただ騎士の動きが予想より遥かに早かった。
一振りの剣がヴァンの体を掠めて魔法が叩き込まれる。
体が硬直して次の回避が僅かに遅れた。
硬質な音が響くが、ヴァンの腕には痛みが走り、更に魔法が叩き込まれる。
斬られた場所が熱を帯びて肉の焼ける臭いがした。ヴァンは痛みに顔を歪め、咄嗟に後ろに飛び退いた。
今度は
何れもが致命傷になりえない攻撃だ。
それでも剣は皮膚を切り裂き、魔法は確実にダメージを与える。食らい続けていたら、如何にレベルの上がったヴァンと言えども、何れは命を奪われかねない。
「分かってるよ。本気を出せってことだろ?」
瞳の端が不自然に揺らぐ影を捉えていた。
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