王国㊵

「悪いなシャイン、少しそこで寝ていろ。お前は無茶をしすぎだ」


 ヴァンは動かなくなったシャインを見下ろし、ぼそりと呟く。


「それに……、俺が本気で戦う姿はお前に見せたくないからな――」


 ヴァンはレオンから預かっていた封魔石を懐から取り出した。

 手のひらサイズの黒い鉱石は、意思を持っているかのように色を僅かに変化させている。

 レオン曰く、最高純度の封魔石らしい。

 尤も、その価値をヴァンは知らない。聞かされているのは中に入っている魔法とその効果だけだ。

 

 突如として姿を見せたヴァンに兵士たちは一瞬戸惑うも、直ぐに剣を構えて四方から斬りかかった。

 敵のど真ん中に現れたヴァンは格好の餌食だ。

 だが、剣が届くより早く封魔石が強い光りを放つ。


 発動した魔法は完璧な牢獄パーフェクトプリズン

 本来は敵を捕らえる魔法だが、これには一定以下の攻撃を遮断する効果もあった。しかも、自由に出入りができるのは使用者のみ。中から出ることができないかわりに、あらゆる侵入者を拒むこともできた。

 だからと言って万能ではない。制限時間もある上、破壊も可能だ。ただ少しばかり破壊が困難ではあった。


 全ての攻撃が立方体の檻に弾かれる。

 ヴァンは檻の中の安全を確かめると、遠くで足を止めている王国の重歩兵に視線を向けた。

 顔を覆う兜で表情は見えない。

 それでも自分に敵意を向けているだろうことは容易に想像ができた。上官であるシャインに危害を加えたのだ。

 常識で考えても敵意を持たれて当然である。

 動かないシャイン見て助からないと踏んだのだろう。王国の重歩兵は街の方に消えていった。それは街の守りを優先してのことだ。帝国の矢の脅威は残るが賢明な判断ともいえる。

 シャインが倒れた今、敵の大群に突撃するのは命を捨てるのと同じだ。


 ヴァンは周囲を見渡しどうしたものかと頬を掻いた。

 兵士たちは剣を何度も叩きつけて魔法の檻を壊そうと必死だ。その様子は檻の中から見ていると滑稽にも思えてくる。

 殺すのは簡単だ。だが、この兵士たちは命令に従っているに過ぎない。生き延びる道はあってもいいはずだ。


「やめておけ、どんなに頑張ってもこの檻は壊せねえぇよ。それより、お前らの指揮官と話がある。お前らにとっても悪い話じゃない。指揮官に合わせて――」


 兵士たちが距離を取った瞬間、周囲が真っ赤に染まった。

 爆音でヴァンの声はかき消され、今度は様々な魔法が叩きこまれる。だが、そのことごとくが魔法の檻を突破できずにいた。

 何分続いたのだろうか、ヴァンが飽きてアクビをしていると、敵の攻撃が明らかに緩んだ。


「やっと話を聞く気きになったのか? 指揮官はどこ――はぁ、まじかよ……」


 ヴァンは周囲を見渡し溜息を漏らす。

 丸太に紐がくくられた、簡素な破城槌が視界に入ったからだ。

 先ほど受けた魔法の集中攻撃は、破城槌の威力を明らかに凌駕していた。

 あれだけの魔法で一ミリも揺るがないのに、今更そんなものが通用するはずがないではないか。

 幾度となく破城槌が叩きつけられるが、魔法の檻はビクともしない。ヴァンが呆れたようにその光景を見つめていると、ついに破城槌の動きが止まった。

 兵士が割れて現れた男は、地面に横たわるシャインに視線を向ける。しばらく見つめ息をしているのを確認すると、鋭い視線でヴァンを睨んだ。


「初めまして、私はこの軍を指揮するテオというものだ。攻撃魔法でも破城槌でも破れない魔法の檻か――王国もとんでもない魔道具マジックアイテムを作ったものだ。とは言え、君もどうやらこちらに攻撃ができないようだね」

「何か勘違いしてねぇか? 俺はこの檻から自由に出入りができる。いつでもお前らを殺すことができるってわけだ」


 テオは鼻の下に伸びる長い髭を擦り、「ふむふむ」と何度も頷いた。

 

「なるほど、魔道具マジックアイテムの所有者は自由に出入りができるわけか。だが少なくとも、その中にいる状態では攻撃ができないようだな。君がその魔法の檻から出ないのも、殺されるのを恐れてのことなのだろ? もしよかったら取引をしないか? 取引に応じてくれたら君の命は保証しよう」

「取引ねぇ……」

「君にとって悪い話ではないはずだ。魔道具マジックアイテムとシャインをこちらに引き渡してくれるだけでいい。それで君の命が助かるのだ、安い買い物だと思わないか?」

「――ああ、なるほどな。街に攻め込まずにこっちに固執したのはシャインが目的なのか。街が手薄なのに攻め込まないと思ったら、そういうことか……」

「彼女は生きているだけでも脅威ですからね。街に攻め込む前に、確実に始末しておきたいのですよ。君も死にたくはないでしょう。彼女を渡してくれますね?」


 ヴァンは困ったものだと肩を落とす。

 テオの話し方は温和だが、その瞳は射殺さんばかりだ。

 交渉をする者の目ではない。シャインと魔道具マジックアイテムを渡したところで襲われるのは目に見えていた。

 圧倒的な兵力差を考えれば当然なのかもしれない。だが、数の差で埋められない力も世の中には存在する。


「なぁ、悪いことは言わねぇからよ。王国から手を引け。そうすればお前たちも、これ以上の死者を出さずに済むだろ?」

「それが君の答えなのですか?」


 テオの声が僅かに低くなり、明らかな殺意を放つ。

 そもそも、勝てる戦いを前に逃げ出す馬鹿はいないだろう。テオからすれば、ヴァンの説得も所詮は戯言でしかなかった。

 首を縦に振る方がどうかしている。

 ヴァンはそれでもお構いなしに説得を続けた。自ずと口調も真剣身を帯びてくる。


「お前たちが思っている以上に王国に勝つことは難しい。例え王国が全世界を敵に回したとしても、戦いに負けるところを俺は想像すらできない。無駄に命を落とすことはないだろ?」

「交渉は無駄のようですね」


 感情のない冷ややかな声がヴァンを失望させた。

 それでも――


「頼むから引いてくれ。俺はできれば無駄に命を奪いたくはない」

「――いままで人間を殺してきた獣人風情が、何を言うかと思えば世迷言ですか?」

「人間を殺してきた、か――それについては謝るつもりはない。俺たちが人間を殺してきたのは食べるためだ。お前たち人間だって食うために色んな生き物を殺すだろ? それと同じだ。特に俺たち獣人は食に対する欲求が強い。だから、より美味い肉を食うために人間を殺してきた。だが今は違う。王国と和平を結び、俺たち獣人は人間を食うことをやめた。食わないなら殺す必要もない。だからできるなら、俺はお前たちを殺したくはないんだ」

「まるで我らに勝てるような言い草ですね」

「そう言ってるんだが――まぁ、そうりゃそうだよなぁ。信じろって言う方が無理があるかぁ――」


 ヴァンは取り囲む兵士を見て困ったと項垂れた。

 こちらは一人、対して相手は数万の軍勢である。勝って当たり前と思われるのは当然であった。

 しかも今のヴァンは普通の衣服を着ているだけで、武具の類は何も身に着けていない。

 テオが呆れたようにそのことを指摘する。


「正気とは思えませんね。武器も持たず、鎧も身に着けず、丸腰の状態でこの軍勢に勝つと?」

「丸腰なのは師匠の言いつけなんだよ。獣人の武器は鋭い牙と爪、防具は体毛と分厚い皮膚なんだそうだ。武具を身に着けるからお前は弱いんだと、よく叱られたもんだよ。あの時は毎日のようにボコられてたなぁ――」


 ヴァンは翁との特訓を懐かしむように思い浮かべた。

 思えば特訓とは名ばかり、一方的にボコられていた記憶しかない。だがそれでも得る物はあった。

 特訓中は糞爺とばかり思っていたが、今では少しだけ感謝もしている。いつか翁を一発ぶん殴るのが、ヴァンの密かな夢でもあった。

 ヴァンは視線を落として拳を握りしめる。

 息を小さく吐き出し、覚悟を決めて顔を上げた。 


「これが最後だ。頼むから引いてくれ。大勢の同胞が死んでから後悔しても、失われた命は二度と戻ることはない。後になってから悔やんでも遅いぞ?」


 ヴァンは死んでいった仲間たちのことを思い出す。

 レオンが攻めてきた際、異変に気付いた時に直ぐにでも降伏していたら――きっと助かった命は今よりもずっと多かったに違いない。

 今ではドンを戦いに向かわせたことも後悔している。

 残された者たちのことを考えるなら、例えそれがドンの意思にそぐわないとしても、止めた方がよかったはずだ。

 昔のことを思い出すと、悔やんでも悔やみきれなかった。

 帝国は昔の自分レッドリストと同じだ。

 ヴァンは帝国と自分レッドリストを重ね、憐みの視線を周囲の兵士に向けていた。




 


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