王国㊴

 帝国の激しい猛攻が繰り返されていた。

 昨日、一昨日の小競り合いとは違う本気の攻めだ。街壁のいたるところに梯子はしごが掛けられ多くの兵士が登ってくる。

 ただ、その数がけた外れに多すぎた。

 メチルの街は交易都市と言われるだけあり広大だ。町の直径は十キロ、外周ともなると三十キロを超える。その外周を覆いつくすように帝国の兵士が群がっていた。

 明らかに王国の兵士を分散させようとしている。

 だからと言って無視はできない。もし街壁の上に拠点を作られたら、今度はそこから帝国の兵士が大挙して押し寄せてくるからだ。


 帝国の大攻勢はそれから三日も続けられた。明らかな消耗戦に突入し、王国はますます追い込まれている。

 王国の第一軍を指揮するアンゼルムは、次々ともたらされる報告を聞き、的確に兵士へ指示を与えていた。


「なんとしても街壁の上を死守しろ! 占拠された場所から帝国軍が登ってくるぞ!」

「アンゼルム隊長! ここから三キロ東の街壁に帝国軍が押し寄せています。このままでは――」

「近衛兵を二百連れていけ! それ以上の数は出せん! 何としても帝国軍を街壁の上に登らせるな!」

「ですがそれだけの数では――」

「後ろを見ろ! 陛下も命を懸けてこの場に留まっておられる! 他の兵士たちにも、命を懸けて持ち場を死守しろと伝えろ!」


 兵士が振り向き目にしたのは、白銀の鎧を身にまとった老人であった。

 馬に乗り堂々たる姿で前を見据えていたのは紛れもない自国の王だ。こんな前線にまで出ているのかと驚きを禁じ得ない。

 同時に、戦っているのは自分だけではない。陛下も同じなのだと手に取るように伝わってくる。街壁を突破されるということは、この勇敢な王を失うということだ。

 自ずと兵士の瞳に輝きが戻る。


「はっ! 必ずや持ち場を死守いたします!」


 駆け出す兵士を見てアンゼルムは、すまない、と心の中で呟いた。

 あの兵士は持ち場を死守するため、それこそ本当に命を懸けて戦ってくれるだろう。王の勇敢な姿を伝え聞いた他の兵士もだ。

 アンゼルムは暗に死ぬまで戦えと兵士に伝えていた。

 それがどんなに恨まれることであっても、もうこうするほか手段がなかった。

 連日連夜の戦いが影響し、今ではまともに動ける兵は五万しかいない。疲労で倒れる者、負傷で戦えない者、半数の兵士は案山子かかしと同じだ。

 神官の回復魔法にも限りがある。もはや兵士を鼓舞する上で、これ以上の策はなかった。

 だが、いつまでも自国の王をこの場に留めておくわけにもいかない。

 今いる街の北門付近は決して安全な場所ではないからだ。


「アンゼルム隊長! 街の東門が破られたと報告が――どうやら敵の精鋭は東に集められていたようです」


 アンゼルムは苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。

 だが東を守るのはシャインだ。そう簡単に敵を通すはずがない。それに門の内側には馬防柵が幾重にも備え付けてある。例え門が破られたとしても、中に入ってきた帝国兵は必ず馬防柵で足止めを受ける。後は馬防柵の隙間から、長い槍で敵を突き殺せばいい。

 簡単には突破できないはずだ。

 アンゼルムは自分に言い聞かせた。

 何より応援を向かわせたくとも、向かわせる余裕がなかった。

 破城槌が叩きつけられる音が何よりの証拠だ。北門とて例外ではない。いつ門が破られてもおかしくないのだ。


「陛下を安全な場所に避難させろ! 門の上の兵士は油を撒いて火を放て! 門に敵を近づけるな!」


 アンゼルムは檄を飛ばす。

 今は目の前の敵に集中するしかない。だが一度だけ視線を東門のある方角へ向けた。思うことは一つだ。

 持ちこたえてくれよ。 

 アンゼルムはシャインのことを信じて前を向き直す。そして再び兵士たちに檄を飛ばした。




 シャインは門の中央に立ち、肩で息をしながら平原の奥に目を凝らした。

 まるで押し寄せる津波だ。

 帝国軍は隊列を組み、統率の取れた動きで攻め込んでくる。守りの薄い街壁に取り付き、梯子で一斉に街壁の上を目指していた。

 今まで死守できているのは、街壁の上にベルカナンの精鋭を配置していたからに他ならない。だが精鋭とは言え体力には限界がある。あと何度、敵の猛攻を防ぐことができることか――


 シャインは近くにいる最後の敵を斬り伏せ、周囲の状況を確認した。

 辺りは酷い有様だ。馬防柵は既に破壊され、守りについていた兵士もそこかしこに倒れている。生きているのかさえ分からない。

 状況は絶望的であった。

 だが敵は悲観する時間さえも与えてくれない。ヴァンの舌打ちがそれを物語っていた。


「ちっ! あいつら戦い方を変えてきやがった」


 視線を移すと、帝国の兵士は足を止めて弓矢を構えている。

 街に近づくのは被害が大きいと判断してのことだろう。指揮官の号令で一斉に矢が放たれ、街壁の上にいる兵士を矢の雨が襲う。

 本来なら高い場所から狙える王国軍が遥かに有利だ。

 だが放たれる矢の数が違いすぎた。帝国軍の放つ雨のような矢に対し、王国の兵士が放つ矢は微々たるものだ。

 楯の陰に隠れ上手く矢を放つも、その楯も万能ではない。

 数を補うための簡素な楯は正面しか守れず、斜めから飛んでくる矢には意味をなしていなかった。

 街壁の上には軽装の兵士が多く配置されている。それは街壁の上を素早く移動するため、また、弓が引きやすく狙いを定めやすいためだ。だが、それらの利点は敵の矢の雨によって全て失われていた。


 シャインは上空から聞こえる叫び声や悲鳴に突き動かされた。

 このままでは東は落ちる。

 本能的にそう感じ取ったのかもしれない。

 気付けば大声で号令を発していた。


「重歩兵は私に続け! 敵の矢を食い止める!」


 シャインに続いて全身鎧フルプレートを身に纏う兵士が動き出す。

 だがその足取りは重い。度重なる連戦に加え、全身鎧フルプレートの重さが兵士の体力を極限まで奪い去っていた。

 これでは戦うのは実質シャインひとりだけ。しかもシャインは速度を重視した戦いを好むため、防具は胸に着けた金属のプレートだけだ。もし矢に毒でも塗られていたら、手足に矢が掠っただけでも命を失いかねない。疲労で動きの鈍るシャインが帰還できる可能性は皆無と言っていいだろう。

 それでもシャインは敵の矢を躱し、時には切り落として帝国の大群に迫った。

 もう少しで敵に手が届く――まさにその時、敵の弓兵が後方に下がり、重歩兵が前に出た。

 これは戦いでよく見られる隊列だ。

 前方の重歩兵が敵を受け止め、後方から矢を放つ。

 ならば矢を放てない距離まで近づけばいい。敵を巻き込む距離では矢を放てないのが道理である。

 シャインはお構いなしに重歩兵に襲い掛かった。


「どけぇええええええ!〈鎧狩りアーマーハント〉」


 シャインの剣が滑るように鎧の隙間に入り込む。スキルによる補正により、振り下ろした剣は的確に鎧の隙間を捉えていた。

 シャインは敵の腕を、首を斬り落とし、そのままの勢いで背後の弓兵をも切り伏せた。

 いける! そう思ったのも束の間だった。


 周囲に爆炎が上がり衝撃が広がる。

 シャインは自分の体が吹き飛ばされていることに、何が起こったのか分からずにいた。

 体中が熱い。

 思うように動かない。

 地面に叩きつけられたシャインはようやく状況を理解した。

 周囲には焼け焦げた臭いが漂い死体が転がっていた。それは王国の兵士のものではない、帝国の兵士の死体だ。


(味方ごと魔法で吹き飛ばしたのか――)


 右の手首に嵌めていた腕輪ブレスレットが砕けていた。

 魔道具マジックアイテムで身を守っていなければ命を失っていたかもしれない。シャインは魔法に備えて直ぐに起き上がり身構えた。

 だがダメージがないわけではない。体中に痛みが走る。それでも立たなければ待っているのは確実な死だ。

 しかし、周囲の敵に備えた必死の行動は無駄に終わった。


(えっ……。どうして――)


 シャインは信じられないと瞳を見開いた。

 腹部に強烈な痛みが走り、視線を落とした先にはヴァンの拳が深々と突き刺さっていたからだ。

 地面に崩れ落ち意識が遠のく中、最後にシャインの瞳に映っていたのは、悲しげな表情で佇むヴァンの姿だった。 







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