王国㊳

 夜の一戦は王国に軍配が上がる。

 厚い雨雲と豪雨により、帝国軍が目標を見失い、混乱を招いたのが大きな要因の一つだ。

 月明かりもなく豪雨で更に視界が狭まる中、夜目の効かない一般の兵士にはどうすることもできなかった。更には大声さえも激しい雨音が飲み込んでしまう。結果、指揮官の言葉は兵士に届かず、帝国軍は統率が取れずに混乱に陥った。

 中には同士討ちをする兵士もいたほどだ。

 だが混乱が広がった理由はそれだけではない。街壁の上に灯された、松明たいまつの明かりが雨で消えたことも、帝国にとってマイナスに働いていた。

 もし松明が灯されていたなら、それが目印となり、帝国軍が目標を見失うこともなかったはずである。

 結局のところ、街に攻め込んだ帝国軍の中で被害が少ないのはアレンの指揮する軍だけであった。

 雨が降り出した時点でこうなることを予期していたのだろう。速やかに軍を引いたことが功を奏していた。

 王国軍に被害が少ないのは、街の火災もあり守りに徹していたことが大きい。

 だからと言って王国の不利な状況が変わることはない。帝国との圧倒的な兵力差は未だ健在だ。


 シャインは早朝の軍事会議から戻るなり、天幕に置かれた簡素なベッドに鎧を着たまま倒れ込んだ。

 もうまる一日寝ていない。一気に疲労感と睡魔が同時に襲いかかってくる。だが直ぐに帝国の動きに備えなくてはならなかった。

 僅か数分、余りも短い至福の時間にシャインは名残惜しそうに別れを告げた。疲労が少しは取れた気がするが、それはもちろん気休めに過ぎない。

 ベッドから起きたシャインの顔は酷いものだ。

 眠そうに細めた目の下には大きなクマができ、顔も少しやつれていた。こんな状態で戦えるのかとヴァンが深い溜息を漏らす。


「大丈夫か? 少しくらい寝ても誰もお前を責めたりしない。もう少し休んだらどうだ?」

「――そうも言ってられないわ。帝国が次にどう動くか分からないもの。私はもう出るけどヴァンは休んでなさい」


 シャインは天幕を出ると視線を上空に移した。

 雨は既に止んでいるが街の上空は厚い雲に覆われたままだ。いつ雨が降り出してもおかしくない。これが戦いにどう影響を及ぼすかは分からないが、少なくとも帝国は火を使うことを躊躇うだろう。それでなくとも昨夜の豪雨で街の周辺は水浸しだ。

 シャインは空模様を確認して歩き出す。が直ぐに後ろの気配に気付いて首だけで振り返った。


「寝ていてもいいのよ。ヴァンも寝てないんでしょ?」


 視線を向けられたヴァンは「あん?」と気怠そうに答える。


「俺は鍛え方が違うからな。一週間くらいなら眠らなくても平気だよ」


 シャインは一度足を止め、「えっ?」と短く呟いた。

 いつも眠そうにしているヴァンを見ているため説得力がまるでない。それとも、いつも眠そうにしているから眠らなくても平気なのだろうかと首を傾げた。

 もしそうなら獣人特有の体質なのかもしれないが、少なくとも他の獣人の王たちがヴァンのように人前でアクビをするところを見たことがなかった。他の狼族もそうだ。

 そう考えるとヴァンだけが特別な体質とも言える。だが果たしてそんなことがあるのだろうか? もし仮に誰かに問われたら答えは限りなく否定に傾くだろう。

 シャインが本当なのかと毛むくじゃらの顔にジト目を向けた。

 睨まれたと思ったヴァンは思わず足を止める。


「――なんだよ。俺がなにかしたのか? そんなに睨むなよ」


 シャインに睨んでいるつもりはない。

 だがクマの出来た目を細めた顔は他人からは睨んでいるようにしか見えなかった。それに気付かないのは当の本人だけだ。


「睨んでないわよ」


 シャインは「ふん」と鼻を鳴らして再び歩き出す。

 

「本当に何なんだ……」


 困惑するヴァンだが聞きたいことが幾つかあった。

 朝の軍事会議の内容や今後の戦い方について、一緒に戦う以上は知っておいて然るべきだ。初日のように単独で飛び出されては守れるものも守れない。

 ヴァンはシャインの横に並んで歩き、顔色を窺うように視線を向けた。


「ああ、そのだな。軍事会議はどうだった? 街に入り込んでる敵の所在は掴めたのか?」


 シャインは更に瞳を細めた。

 態度からも不機嫌なのは一目瞭然だ。それでも情報の共有が如何に大切かを知っているため、答えないわけには行かないのだろう。

 無愛想な顔を向け、渋々といった感じで口を開いた。


「敵の所在は掴めていないわよ。でも調査に向かった兵士の報告では、それらしい死体が幾つも見つかったらしいわ。それらは少なくても王国の兵士の殺し方ではないそうよ。死体や戦闘の跡から、特殊なスキルを持った手練の仕業だと聞いたわ」

「手練ねぇ……」


 ヴァンには心当たりがある。というよりも確信に近い。間違いなくレオン――もしくはレオンの配下の仕業だ。


「犯人はこの街で暮らす冒険者だと思うわ。この街に家族や友人がいる冒険者も多いでしょうしね。尤も、戦いに参加することはできないから、本人が名乗り出ることはないでしょうけど――」

「まぁ助かったんだし、別にいいんじゃねぇか? それに街中の警備も強化したんだろ?」

「もちろんよ。もう二度と好き勝手はさせないわ」


 シャインは拳を握り締めた。

 昨夜のことを思い出すと怒りが込み上げてくる。もし雨が降らなければ火災は広がり、街の住民は炎に焼かれて多数の死者が出たはずだ。

 これは国と国との戦い。卑怯という言葉は言い訳にしかならない。もし立場が逆なら王国も帝国と同じことをしたであろう。

 だからこそ、シャインは街の中まで配慮の至らない自分自身を許せずにいた。

 遠くを鋭い瞳で見つめ唇を強く噛み締めた。


「そんなに怖い顔をするな。街の警備を手薄にしても外の敵に備える。兵力差を考えても最善だったと俺は思う。何よりこれは軍事会議で決めたことだ。お前だけが悪わけじゃない。それに過ぎたことを悔やんでも仕方ないだろ? 幸い被害は最小限に食い止められたんだ。悔やむ時間があるなら今後のことを考えろ」


 心を見透したヴァンの言葉にシャインは顔を伏せた。

 悔やむ時間があるなら今後のことを考えろ、確かにその通りだ。悔やむのは戦いが終わってからでもできる。いま考えるべきは、これからの戦いをどう勝ち抜くかだ。

 シャインは気持ちの整理がついたのだろう。空を見上げた顔はいつもの表情に戻っていた。


「確かにそうね。ヴァンの言う通りだわ」

「分かりゃいいんだよ。それより今日はどうするんだ?」

「いつもと同じよ。相手の出方が分からない以上、臨機応変に対応するだけよ」

「臨機応変か……」


 ヴァンは道端に寝転がる兵士を見て、まいったとばかりに頭を掻いた。

 連日の戦いで兵士たちの疲れはピークに達している。中には疲労で命を落とす兵士も出るほどだ。回復魔法を使える神官もいるが、兵士の傷は癒せても疲労までは癒すことができない。このままでは軍とし機能するかも危ぶまれた。

 それに比べ、帝国軍は圧倒的な兵力差から交代で兵を休ませることができる。

 満身創痍の王国軍に対し、気力の充実した帝国軍。しかも兵力は未だ帝国が倍近い数を保っている。

 昨夜の戦いで帝国に大きな被害が出たとしても、一万にも満たないというのがヴァンの見立てだ。

 豪雨と暗闇で敵を視認できないのは何も帝国軍だけではない。王国の兵士も同じである。結局は街壁の上から矢を射ることも出来ず、殆どの兵士は街壁の上で身を潜めていたほどだ。

 状況は日を追うごとに悪くなるだろう。

 数日の内に街は落ちる。ヴァンは歩きながらレオンに報告すべきかを悩んでいた。





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