王国㉟
夜も深まり、ヴァンはグラスに酒を注いでテーブルの上に置いた。
だがそれは自分が飲むためではない。グラスをそのまま向かいの人物の
下へスライドさせた。
「シャイン、酒でも飲んで寝たらどうだ? 昨日も殆ど寝てないんだろ?」
シャインは気楽なものだとジト目でヴァンのことを睨む。
二日前に帝国軍が集結してからというもの、こちらの被害は拡大する一方だ。小規模な攻撃が昼夜問わず行われ、兵士たちは精神的にも追い詰められている。特に徴兵された兵士たちの消耗が目に見えて大きい。
交代で兵を休ませ何とか応戦をしているが、それもあと何日持つことか――
「休んでなんていられないわ。食事をとったら直ぐに街壁に登るわよ。帝国の動きに備えないと――」
つい先ほども帝国軍から火矢を放たれたばかりだ。
矢は街壁を越えて街に入ったが、幸いにも街壁に近い建物は全て石造りでできている。火は家屋に燃え移ることなく直ぐに鎮火した。これも戦いに備えた先人たちの知恵なのだろう。
シャインは偉大な先人たちに感謝した。
もし街中に火災が広がっていたら、それだけで街は大混乱になる。兵の動きも乱され統率も思うように取れないだろう。
だが、敵の引き際の良さから直ぐに諦めるとは思えなかった。
シャインはお湯で薄めたスープに僅かな干し肉を浸し、匙でかき込むように口の中に押し入れた。むせて咳き込むのもお構いなしに、無理やりスープで胃の奥に流し込んでいる。
余りに酷い食べ方だ。
「そんなに慌てんなよ。お前一人が頑張って勝てる戦いじゃないだろ? それに初日の戦いは死んでもおかしくなかったぞ。無理はするな」
「分かってるわよ」
シャインはムッとした顔をヴァンに向けた。
あの日ヴァンが助けに来なければ本当に危なかったかもしれない。自分の迂闊な行動で多くの兵を失っていたら――そのことを考えるとヴァンには感謝の言葉しかなかった。
尤も、それを口に出してヴァンが調子に乗るのも少し癪に障る。それがムッとした表情の要因の一つなのだろう。
だが、そんな顔を向けられてもヴァンの態度は変わらない。頬杖をついて気怠そうにしている。
「そう言えばレオンはこの戦いに参加しないのか? 確かこの国の貴族になったんだろ?」
それはヴァンが気になっていたことだ。
当の本人に聞くのが一番手っ取り早いのだが、面倒事に巻き込まれるのを恐れて聞いていない。もちろん既に巻き込まれているが、これ以上巻き込まれるのを恐れてという意味だ。
「レオンのこと知ってるの?」
「ん? ほら、あれだ。会談の時に護衛でいたろ? その後の会食で少し話をしたんだよ。さっき兵士たちが貴族になったとか話してたから、少し気になってな」
「――そう、レオンのことは私もお祖父様に聞いたけど、この戦いには参加しないそうよ。国同士の戦いに冒険者は参加できないからでしょうね」
「そうなのか?」
「参加したら冒険者の資格が永久に剥奪されるのよ。冒険者ギルド及び、それに名を連ねる者は絶対中立を約束する。それが冒険者ギルドの掟なのよ。レオンなら冒険者の方を優先するでしょうね。国に縛られるような人には見えないもの……」
シャインにも思うことはあるのだろう。悲しげに顔を伏せ、遠くを見るようにテーブルの一点を見つめていた。
しかし、直ぐに顔を上げて好奇の視線をヴァンに向ける。
「ねぇ、もしヴァンとレオンが戦ったらどっちが強いかしら? この戦いが終わったら一度手合わせしてみたら? きっとびっくりするわよ」
シャインの提案にヴァンは露骨に嫌な顔をした。
どちらが強いか? その答えは言うまでもない。手合わせなんてしたら命が幾つあっても足りないだろう。お前の提案がびっくりだと言わんばかりだ。
視線を逸らし「冗談だろ――」と拗ねるヴァンを見て、シャインはこんな顔もするのかと笑みをこぼす。
「さぁ、無駄話も終わりにしましょう。もう出るわよ」
シャインは椅子から立ち上がり足早に天幕を後にする。
街の中心に背を向け歩き出すシャインの耳に、遠くから微かに怒号と悲鳴が聞こえた気がした。
振り返り瞳を見開く。
そこに見たのは舞い上がる赤い炎。
繁華街の方角から火の手が次々と上がっていくのが見えた。
「うそ? なんで――」
シャインは呆然と立ち尽くす。
その瞳に映るのは燃え盛る炎だけだ。
だから気付かなかった、気付けずにいた。
自分を狙う存在が物陰に身を隠し、命を狙っていたことを――
暗闇の中から一本の矢が音もなく静かに放たれた。
それは決して力強いものではない。正確さに重きを置いた精密な一射だ。
矢は的確にシャインの首筋を捉え、それが矢を放った者の技量の高さを窺わせていた。
僅かな風きり音に気付いた時には既に遅かった。或いは普段のシャインであれば、見向きもせず反射的に躱せたのかもしれない。
しかし、瞳の端に光るものを見た時には、矢は眼前まで迫っていた。
咄嗟に瞳を強く閉じる! だが――
「まったく……、この程度も躱せないとはな。だから寝とけって言ったんだ。休息は大事だぞ」
聞き慣れた声に瞳を開けると、片手で矢を掴んだヴァンの姿があった。
「ヴァン!」
思わず毛むくじゃらの体に抱きついていた。
それは助けられたからだけではない。何故か今だけは普段よりも頼もしく見えていたからだ。
「動けるな? 俺たちは外の軍勢に対応するぞ。恐らく混乱に乗じて攻めてくるはずだ」
「でも、その矢の男は――」
シャインはヴァンが掴んでいる矢を見て「どうするの?」と訴えかける。
ヴァンは男が隠れていた場所を一瞥するが、そこに人の気配はもうない。それは男が逃げたからではなく既に死んでいるからだ。
シャインを守る瞬間、ヴァンの投げたナイフは男の眉間を貫いていた。
嗅いだことのある匂い、恐らくはシャインの預かる兵士の誰かだろう。もしかしたら知り合いの恐れもある。そう思うとシャインに知らせるのは躊躇われた。
自分の部下が裏切った。もしそうだとしたらシャインはどう思うだろうか――
(死体の報告は後にするか――。街に入り込んだ敵に殺された、そういうことにすればいい。知らなくていいこともあるはずだ)
ヴァンは矢を投げ捨てるとシャインの頭に手を添え、わしゃわしゃと手荒に撫で回した。
ぶすっとした顔で見上げるシャインに、ヴァンは「ふっ」と笑みを向ける。
「もういねぇよ。それよりお前のやるべきことをしろ。俺が全力でサポートしてやる」
「――そうね、分かったわ」
シャインはヴァンの体から離れると兵士たちの下へ駆け出す。
その顔が仄かに赤くなっているのは、遠くで巻き上がる炎のせいだけではないのかもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
サラマンダー「ねぇ、なんか僕とヴァンのキャラ被ってない?」
粗茶「黙れ肉、後でお前の恥ずかしいステータスを公開してやる」
サラマンダー「恥ずかしい?(´・ω・`)」
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