王国㉘

 鼻を鳴らして微かな匂いを辿り、ヴァンは倉庫街の一角で足を止めた。 

 だが、目の前には建物は疎か、土地すらも見当たらない。まるで頭に靄がかかっているかのように、目の前にあるもの全てを視認できずにいた。

 つい先ほど歩いてきた道順すらも、何故か頭からすっぽり抜け落ちている。普通の人間であれば気にも留めず、そのまま通り過ぎていたに違いない。


「ここか? 本当に大丈夫なんだろうな……」


 何も見えない恐怖に、ヴァンは足を踏み入れることを躊躇していた。

 今の状況を強いて言うなら、足元すら見えない濃霧の向こうに飛び込むようなものだ。その先に地面があるのか、それとも断崖絶壁なのかは飛び込んでみなければ分からない。

 死への恐怖が頭の片隅で僅かにちらついた。


「たっくよ! 死んだら呪ってやるからな!」


 意を決して飛び込むと――そこに地面はあった。

 一瞬で視界は晴れ、ヴァンの瞳には巨大な屋敷と、見覚えのあるサラマンダーの姿が映る。屋敷の入口では、使用人と思しき男女が出迎えのため佇んでいた。


「ここで間違いないようだな……」


 屋敷を案内され応接室に通されると、ヴァンは厚みのあるソファに腰を落として一息ついた。予め用意されていた水を飲み干し、そして今回呼ばれた理由わけを目の前の人物に問いただす。


「ようレオン、久し振りだな。俺に何のようがあるんだ?」


 ヴァンは向かいに座るレオンに、面倒臭そうに顔を向けた。

 部屋にいるのは、レオンとヴァンの二人だけ、それはヴァンが気兼ねなく話せるようにと、レオンなりの気遣いでもある。

 レオンにとってヴァンは比較的話しやすい相手だ。

 他の獣人の王は堅苦しいこともあり、レオンは少し苦手としている。もちろん、今回の件でヴァンに白羽の矢が立ったのはそれだけではない。

 彼の敵を嗅ぎ分ける嗅覚――感覚に期待してのことである。


「呼んだのは他でもない。お前にシャインの護衛を頼みたい」

「まぁ、そうだろうな。俺がシャインと同行するように仕向けていた時点で、薄々だが気付いてたよ。戦争で手っ取り早く勝つ方法は幾つかあるが、そのうちの一つが指揮官の暗殺だからな」

「話が早くて助かる。ベルカナンから来た兵士の中にも、帝国に内通している者がいると私は見ている。流石に一万五千もの兵士がいるのだ。金欲しさに国を売る奴がいてもおかしくはない。兵士たちの動向にもそれとなく目を光らせてくれ」


 ヴァンにとってそれは想定内であった。

 そのため、ここまでくる野営の時にも夜はそれなりに警戒をしていた。

 だが、もし仮に内通者がいたとしても、動くのは恐らく戦が中盤に差し掛かってからだと思っている。

 なぜなら、仮に指揮官を暗殺するにしても、戦いの前に指揮官を失うより、戦いの最中に指揮官を失った方が、兵の士気は遥かに下がり混乱を招くからだ。

 特に戦いが激化しているときが、一番効果的といえよう。


「分かったよ。シャインのことは任せな。俺が守ってやるよ」

「そう言ってもらえると助かる。態々来てもらい悪かったな」

「まったくだ。俺を呼ばなくても、伝言を伝える方法はいくらでもあるだろう」


 最もな答えだ。何も呼びつける必要はどこにもない。

 そもそも、呼びつけるために従者を向かわせているのだから、その従者に伝言を頼むこともできたはずである。

 呼んだということは、呼ばなければならない事情があったということだ。


「すまんな。私の部下が、お前の実力を直接見ておきたいと煩くてな。認識阻害の魔法を解かなかったのはそのためだ」

「認識阻害? 入口のあれか――。もしかして部下ってのは、俺を出迎えた執事とメイドのことか?」

「その通りだ」

「俺をじっと見てると思ったら、そういうことか――」

「お前はギリギリ合格らしい。良かったな」


 ヴァンは嫌そうに顔を顰めた。

 不合格の方がどれだけ良かったことか―― 


「別に良かねえよ。とにかく今度からは、その、認識なんたらやるなよ」

「分かっている」

「じゃあ俺は帰るぞ。シャインの奴も煩いしな」


 ヴァンが立ち上がり扉から出て行くと、入れ替わるように執事のアハトがソファに腰を落とした。

 それに伴い、レオンも緩んだ表情を引き締める。


「アハト、調査結果を報告してくれ」

「畏まりました。――先ずは街に入り込んだ帝国の工作員ですが、少なくとも百はくだらないと思われます」


 レオンは表情を曇らせた。

 分かっているだけで百だとすると、実際はその数倍はいると思われたからだ。


「思ったよりも多いな……。恐らく全てを把握するのは不可能だろう。私なら兵を起こす前から、王都や各街に工作員を忍ばせる。警備の手薄な内に工作員を忍ばせるのは戦いの常套手段だ」

「数名を捕まえて吐かせますか?」

「帝国もそこまで馬鹿ではないだろう。芋づる式に工作員が見つからないよう、手は打っているはずだ。例えば幾つものグループに分かれ、互いの存在を知らされていない。とかな」


 アハトは感心するように頷いた。

 それなら確かに全ての工作員を見つけるのは困難だ。捕まえた工作員が他の工作員を知らなければ、どんなに頑張っても吐かせようがない。


「では如何いたしましょう。判明している工作員だけでも、始末することは出来ますが――」

「いや、やめておこう。下手に異変を察知され、工作員が動かなくても困る。長々と潜伏を続けられては面倒だ。工作員は恐らく外部の合図を待って同時に動くはずだ。そこを一網打尽にする。この街は広い。お前とノインの二人にも動いてもらうからな」

「畏まりました。では、その際には私とノインも討伐に当たります」

「うむ、頼むぞ。それと帝国軍の本体はどうなっている?」

「シリウスの私兵が奇襲や夜襲を行い足止めをしておりますが、そう長くは持たないでしょう。一週間ほどでこの街に到達するかと」

「そうか――」


 レオンは俯き帝国の今後の動きを予想する。

 もしレオンが帝国の指揮官なら真っ先に考えるのが、軍の半数でこの街を包囲し、残りの半数で手薄な王都を落とすことだ。

 王国の主力を街に閉じ込め、最小限の損害で王都を落とす。これが理想のように思われた。

 だが、ふと思いとどまる。

 果たして王都を落とせば勝ちなのかと――

 ゲームならそれで終わりなのかも知れない。だが現実ならどうだろうか? まだ王国には戦える軍も残り、王都では市民が暴動を起こすかも知れない。

 逆に帝国の半数の軍が、王国のど真ん中で孤立しているともとれる。

 レオンが様々な場面を想定して頭を悩ませていると、アハトが言いづらそうに口を開いた。


「――レオン様。一つよろしいでしょうか?」

「ん? どうした」

「シリウスを操るアンナが、限界突破操作オーバーマリオネットの使用許可を求めてきました。その……、彼女もかなり頭にきているようでして、このまま帝国軍を蹴散らしたいと――」


 レオンは「えっ?」っと、阿呆のように口を開けた。

 だが次の瞬間、我に返ると慌てて声を張り上げる。


「駄目だ! 却下だ! 絶対に使うな! いいか! 絶対にだ!」

「か、畏まりました。そのように伝えておきます」

「よし、話は以上だ。お前も仕事に戻れ」

「はっ!」


 アハトは慌てて頭を下げると、逃げるように部屋を後にした。

 足音が遠ざかり完全に聞こえなくなると、レオンは「ふう」と息を吐いて、ぐでっとソファに倒れ込んだ。


「アンナが本気を出したら駄目だろ――。最終的にヴァンが帝国軍を蹴散らさないと、王国との仲良しアピールができないじゃないか――」


 今回の戦いは、獣人が王国に友好的だと知らしめる場でもあった。

 だからこそ、帝国軍にはそれなりに頑張ってもらわなければならない。王国は窮地に追い込まれ、そこを獣人のヴァンが救う。

 これがレオンの思い描く理想の形だ。

 帝国も獣人の力を知れば、自ら進んで同盟を結ぼうとするかも知れない。

 レオンはソファに横になり、テーブルに置かれたグラスをぼんやりと眺めた。そこには、ぐにゃりと歪んだ自分の顔が映って見える。

 平和のために犠牲を強いるのは歪なのだろうか――。

 思わずそんなことを考えてしまう。


「頼むから上手くいってくれよ。少なくない犠牲が出るんだからな――」







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