王国㉖
王国に激震が走る。
ついに帝国が軍を起こしたとの一報が入ったからだ。それに伴い城には王国の重臣が集められ、今後の対策が話し合われていた。
重厚な円卓を囲むのは国王ヨーゼフ、アルバン伯爵、テオドール侯爵、モーリッツ侯爵、コンラート侯爵の五名、何れもが曇った表情で顔を伏せている。
それは帝国が同盟の破棄も、宣戦布告も、新たな皇帝の即位も知らせず、いきなり軍を起こしたからだ。
それは話し合う余地はないということ。
つまり戦いを回避できないことを意味する。
ふくよかな顔のモーリッツは汗で張り付く白髪を指で後ろに流し、グラスに注がれた水で口を湿らせた。
そして乾いた唇を潤すと滑りの良くなった口を開く。
「陛下、やはり獣人と和平を結んだのは間違いなのでは?」
この場にいる貴族で最終的に和平に賛成したのはアルバンだけだ。それだけにテオドールとコンラートも、自分たちの考えが正しかったのではと注視する。
「いや判断は間違っていなかった。もし和平を結ばなくとも、帝国は皇帝暗殺の件を引き合いに、何れ我が国へ侵攻したはずだ。遅いか早いかの違いでしかない。獣人が敵に回らないだけまだ良かったと言えよう」
「ですが帝国と話し合いの余地すらないのは余りにも――」
獣人との和平の件は今さら蒸し返す話ではない。
いま話し合うべきは帝国にどう備えるかである。アルバンは何を言ってるんだと額を手で押さえ、呆れた顔をモーリッツに向けた。
「よさないかモーリッツ卿、もう過ぎた話ではないか。今はそんなことより帝国の侵攻をどう食い止めるか話し合うのが先決だ」
最もな意見だけにモーリッツも頷くしかない。テオドールとコンラートも分かっているのだろう。反論の声は上がらなかった。
アルバンはやれやれと肩を落とすと、この場にいない人物のことを口に出す。
「陛下、一人足りないようですが?」
「シリウス卿のことか――彼には既に動いてもらっている。今頃は私兵を集めて国境の警備に向かっているはずだ」
「お一人でですか? 余りに無謀です。帝国は三十万からなる兵を集めていると聞き及んでおります。それに引き替えシリウス卿の私兵はおよそ二万。勝ち目はありませんぞ」
話を黙って聞いていたテオドールは、厳つい顔で難しい表情をつくる。
十五倍もの敵を相手に戦いを挑むのは自殺行為でしかない。如何に優れた戦術をもってしても勝ち目はないからだ。
しかしヨーゼフは事前にシリウスから出兵の理由を聞かされていた。そのためシリウスが死ぬために向かったのではないことを知っている。
「街道は限られている。帝国も三十万もの兵は一度に動かせまい。正面から戦わなければ、敵の出鼻を挫くこともできるだろう。シリウス卿は帝国の侵攻を遅らせるために出たのだ。その間に我々は少しでも多くの兵を集め、シリウス卿に合流せねばならん。問題は集められる兵の数だ。テオドール卿、西の教国に備えている兵はどれほど動かすことができる」
テオドールは腕を組むと下を向いて唸り声を上げた。
時折短く切り揃えたブラウンの顎鬚に触れ、瞳を閉じて動かせる兵の数を静かに思案する。
王国の西に領地を持つテオドールは教国に備えて多くの兵を預かっていた。
それでも国の正規兵が五万、教会で保護した孤児の少年兵が二千、私兵が五千、全て合わせても五万七千しかいない。
しかも、帝国の侵攻に合わせて教国が動く恐れもある。安易に兵を動かすのは危険であった。
「陛下、教国の動きも気になります。動かせるのはおよそニ万かと――」
それは余りに少なすぎた。だがテオドールの言うことも分かる。教国に対する備えは絶対に必要だ。
残りの動かせる兵は王都を守る近衛兵、そして街を守る正規兵だが、それらも全て動かせるわけではない。
ヨーゼフは眉間に皺を寄せ、不安げな表情をコンラートへ向けた。
「コンラート卿、そなたは確か街に兵を割り振る会議に立ち会っていたな。街の正規兵をどれだけ動かせるか見当はつくか?」
「各街の警備を最低限にしても、動かせるのは恐らく一万五千が限界でしょう」
「一万五千か……。王都を守る近衛兵の半数、五千を含めたとしても、全て合わせて四万では少なすぎる。どうしたものか――」
考え込む一同を見てアルバンは重い口を開く。
だがそれは出来れば避けたい案でもあった。
「陛下、いまベルカナンには獣人の裏切りに備えてニ万の兵がおります。既に関所は八割ほど完成していると聞いておりますし、ベルカナンの兵を一万五千ほど動かしてはいかがでしょうか? 他にも各街や村から徴兵を行い、数だけでも揃える必要はあるかと」
ヨーゼフは俯き考え込む。
その沈黙はヨーゼフにとって短くあり、他の者には長く感じられた。その場に居合わせた誰もが固唾を飲んでヨーゼフの言葉を待つ。
「――うむ、私もベルカナンの兵を動かす分には賛成だ。関所の建設に協力的なことからも、今では獣人が裏切るとは思っておらん。だが徴兵に関しては賛成しかねる。そんなことをすれば、徴兵を逃れるため王国の民は他の国へ逃げ出すのではないか? それは出来れば避けたいところだ」
「ですが街や村が襲われたら、何れは国民たちも戦いに巻き込まれます。最終的に自分の家族や財産、土地を守るために戦うことになるでしょう。きっと国民も分かってくれるはずです」
「だがな……」
ヨーゼフは言葉を詰まらせる。
王国の東に住む国民は徴兵を受け入れてくれるかもしれない。だが差し迫った危険のない西の国民はどうだろうか?
徴兵を行うということは、戦って死ねと言っているのと同じである。戦ったことのない素人が生き残れるほど戦争は甘くない。それに死ぬのを恐れて逃げ出す者も少なくないはずだ。
そう思うとヨーゼフは決断を下せずにいた。
「戦いに長けたテオドール卿はどう思う」
「――私はアルバン卿の意見に賛成です。他にも地の利を生かすため、街に籠城して戦った方が良いかと。それともう一つ、レオンの所有するサラマンダーは使えないのでしょうか? 今の彼は王国の貴族のひとり、国に使える以上、陛下の下で戦う義務があるはずです」
「既にレオンには断られている。王国の貴族である前に彼は冒険者だ。無理に戦いを強いれば、直ぐにでも王国を捨てると言われたよ。下手に帝国や教国に流れでもしたら目も当てられん。サラマンダーの力を借りることはできないのだ」
冷静に話すヨーゼフとは真逆に、テオドールの顔は怒りで見る間に赤くなる。椅子を跳ね飛ばして立ち上がると、握り締めた拳をテーブルに叩きつけた。
「馬鹿な! 王国の貴族であれば自国を守るため戦う義務がある! それを拒むとはどういうことだ! そんな奴は王国から追放すべきです!」
激昂するテオドールを見てアルバンは溜息を漏らす。
「はぁ……、陛下の話を聞いていなかったのか? 追放して敵に回りでもしたらどう責任を取るつもりだ。一万もの獣人を殺せるサラマンダーを相手に戦う事になるのだぞ? 一体どれだけの被害が出ると思っている」
「ならばレオンを殺してしまえばいい!」
「馬鹿を言うな。主を失ったサラマンダーが暴れるに決まっているだろう。もっと冷静になれ。少なくとも貴族として王国に留まっている内は敵に回ることがないのだ。それでよいではないか」
諭すようなアルバンの言葉は、テオドールの気持ちを僅かに落ち着かせた。
それでも怒りは収まらないのか、控えていた従者が椅子を直すのを見て、どかっと音を立て腰を落とす。
「テオドール卿の怒りは分からなくもない。だがレオンに爵位を与えたのは、力を借りるというよりも敵に回るのを恐れてのことだ。そのことを理解して欲しい」
「陛下がそのように仰るのであれば……」
口ではそう言っても納得がいかないのだろう。
それはテオドールの憮然とした表情が如実に物語っていた。
モーリッツとコンラートも顔を見合わせ複雑な表情を見せる。サラマンダーの力を借りることができたら勝ち目はあるのにと――
そんな彼らを他所にヨーゼフは時間を惜しむように話し出す。
「では話を続けよう。先ほどの徴兵の件だが、モーリッツ卿とコンラート卿はどう思う。やはり賛成なのか?」
意見を問われた二人は、互いに目配せをして意思を確認すると、静かに首を縦に振った。
それを見たヨーゼフも覚悟を決める。
「そうか……。では直ぐに徴兵の準備に取り掛かろう。集めた兵は全て東にあるメチルの街に移動させよ。恐らくそこが戦いの場となる」
貴族たちは頷き直ぐに部屋を後にした。
ヨーゼフは従者を追い払うと部屋にひとり残り考え込む。それは獣人の力を借りるか否かだ。
だが直ぐに思い止まり考え直していた。
多くの獣人を迎え入れ、もし裏切られたら――そう思うと余りにリスクが大きすぎた。
ヨーゼフは今後の戦いを思い失われる命を憂う。
(この戦いでどれだけ多くの若者が命を落とすことになるのか――)
そのことがヨーゼフの胸を重く締め付けていた。
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