王国㉒
ヨーゼフの正面に座るのは威風堂々とした獅子の顔を持つ獣人だ。
テーブルに両肘を付いて手を組み、じっとヨーゼフのことを睨むように観察している。
その様子から獣人側の代表はこの者で間違いないと思われた。
他にも狼の顔を持つ獣人、そして熊の顔を持つ獣人も席に着いているが、この二人は交渉に積極的な様子には見えない。
なぜなら熊の獣人は腕組みをしながら瞳を閉じてまったく動かず、王国側の人間を見定める様子がないからだ。
狼の獣人に至っては眠そうに
直ぐに獅子の獣人が鋭い視線で戒めるも、それすら気にする様子がない。本当に和平を結びたいのか疑わしい態度であった。
何より一番気になるのが、獣人の側に座る女性たちである。
その数は二人。一人はベルカナンに使者として滞在していた尻尾を生やした女性の妖狐。
尻尾があることから獣人に見えなくもない。
問題はもう一人の方だ。
長い黒髪の女性は尻尾も生えておらず、その外見は人間そのもの。どこからどう見ても獣人には見えないからだ。
恐らくはこの女性が獣人に与する者なのだろうが、その素性を外見から窺い知ることはできない。
外見で気になることを強いて上げるなら、妖狐と同じ見慣れない衣服を身に纏っていることだろうか――
互いに相手を見定め最初に口火を切ったのはヨーゼフだ。真っ直ぐに獅子の獣人を見つめ、努めて温和な口調で話しかけた。
「遠路はるばるお越しいただき感謝する。このような会談の場を設けられたことを非常に嬉しく思う。先ずは自己紹介をしよう。私はアスタエル王国国王、ヨーゼフ・ジルヴェスター・エックハルト・エトヴィン・シュトール。気軽にヨーゼフと読んでくれて構わない」
獅子の獣人は大きく頷くと視線を横に逸らし、隣に座る黒髪の女性に目配せをした。
「それではこちらも自己紹介をいたします。妖狐はご存知と思いますので先ずは私から、この和平交渉の発起人である
撫子の言葉を聞いていたアルバンは小さく唸り声を上げると、それとなく小声でヨーゼフに呟いた。
「陛下、あの女性――」
「分かっている」
引っかかるのは撫子と呼ばれる女性が発起人ということだ。
獣人が発起人なら話はまだわかる。王国との中を改善することで、王国の侵攻を未然に防ぐことができるからだ。
問題は彼女が王国と獣人の中を取り持ちどんな利を得るかにある。
考えられるのは他国の関与だ。帝国は獣人と敵対関係にある。そのことからも帝国が関与しているとは考えにくい。
だとするなら考えられる国は一つしかない。
「教国か……」
ヨーゼフは小さく呟いた。
和平が成れば帝国は近い将来王国に侵攻するだろう。その隙を教国が見逃すはずがない。
東の帝国と西の教国、二つの国から挟撃されたらどうなることか――
「撫子殿にお聞きしたい。貴殿は人間でよいのかな? 獣人のようには見えないのだが――」
「人間で間違いございません」
「ふむ、では人間である撫子殿は獣人とどのようなご関係なのですかな?」
「分かりやすく言うなら友人でしょうか。私どもの一族は昔から獣人と共に暮らしておりますので――」
「共に暮らす? 獣人と一緒に生活をしているということですかな?」
「その通りでございます。私ども一族は獣人から住まいや食べ物を提供していただいております。その代わり私どもは魔法での傷の治癒や、
「――しかし、そのような人間がいるとは聞いたことがないが……」
「私どもの一族は今では十名しかおりません。住んでいる場所も国の中心ですので外には伝わらないのでしょう」
彼女の話を聞いたヨーゼフは少し俯くと、顎に幾度となく手を触れ暫し考え込んだ。
一切迷いのない話し方は嘘をついているようには見えない。
だが、この程度の質問が来るであろうことは予期していたはずだ。予め質問の答えを用意するのは簡単である。
僅かに瞳を動かし獣人たちの顔色を覗うも、特段変わった様子はない。
もしこれが教国の罠で、和平を結んだ後に獣人が手のひらを返したら――
ヨーゼフはそう思うも、そんな邪念を打ち払うように軽く頭を振る。そんなことばかり考えていては何もできなくなるからだ。
顔を上げて今は目の前の会談に集中すべきだと己に言い聞かせた。
「最後に一つお聞きしたい。撫子殿が王国との和平を望むのはなぜですかな?」
ヨーゼフの質問を聞いた撫子は悲しげな表情で伏せ目勝ちになる。その様子から察するに、辛い過去を思い出しているのかもしれない。
「理由は言わずとも分かるはずです。我々獣人の側に非があるとは言え、ベルカナンの戦いでは獣人にも大勢の死者が出ました。私の友人も少なからず命を落としています。このままの関係が続けば互いに多くの命が失われることになるでしょう。ベルカナンの戦いを教訓に獣人も変わろうとしています。人間を食料として見るのではなく、対等な立場の生き物として尊重しようと――。私が和平交渉の場に同席しているのは、獣人が人間と暮らしていることを知って欲しかったからです。私が獣人と共に暮らしているように、話し合うことで王国と獣人も分かり合えると私は信じているのです」
真摯に訴えかける撫子の瞳がヨーゼフの心を揺さぶる。同胞が死んで悲しむのは何も人間だけではないと改めて実感させられていた。
勿論、これは上辺だけの演技かもしれない。だがヨーゼフはそうではないと思いたかった。
そうでなければ不毛な争いがこれからも続く事になる。それは互いにとって不幸なことでしかないのだから――
「ガルム殿、貴殿らも心から和平を望んでいると信じてよろしいのですかな?」
会談の席に着いている時点で答えは出ている。
ヨーゼフの問いは相手を侮辱していると捉えられてもおかしくない。それでも聞かずにはいられなかった。
言葉で相手の答えをきちんと聞いておきたかったのだ。
「無論だ。私も多くの部下を失い戦いに疲れた。和平を結ぶことでもう終わりにしたいのだ」
不躾な質問にも関わらず、ガルムは嫌な顔一つしない。真っ直ぐ真剣な眼差しをヨーゼフに向けた。
ヴァンとオルサも同意とばかりに力強く首を縦に振るのが視界に入る。
やはり嘘をついているようには見えなかった。ヨーゼフは自分の馬鹿な発言を悔いた。だがそれも自分の心の弱さが招いたことだ。
誰かのせいにできるわけではない。
「疑うようなことを言って申し訳ない。この通り許して欲しい」
それは心からの謝罪であった。
国王が頭を下げることは本来あってはならない。それは相手が他国の王であってもだ。それは自国の非を認め、或いは自国が下であると示すことに他ならないからだ。
それでもヨーゼフは構わないと思っていた。いまこの場においては、和平を結ぶことが何よりも優先されるのだから――
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