王国⑳
帰りの馬車の中でヨーゼフは深い溜息を漏らした。
方針は決まったがやることは山ほどある。和平に反対する貴族の説得、それに国民にも説明をしなくてはならない。特に家族や友人を獣人に殺された者たちは許してはくれないだろう。
それだけではない。獣人と和平を結ぶことは帝国を敵に回すかもしれないということだ。
しかも、最悪なことに皇帝暗殺の件で王国は疑われている。それが一番の悩みの種でもあった。
偶然とはいえ、王国の重臣が帝国に赴いている時に皇帝が暗殺されたのだ。帝国が王国を疑うのは必然、今は帝国内部も混乱して主だった動きはないが、今後はどうなるか分かったものではない。
新しい皇帝が話のわかる人物であればよいが、もしそうでなけば最悪の事態も想定しなくてはならない。
ヨーゼフは顔を上げ、向かいに座るアルバンに視線を移す。
「アルバン卿、帝国に使者として赴いていたお主に聞きたい。獣人と和平を結んだ場合、帝国はどう出ると思う」
「恐らく我が国と敵対するでしょうな」
即答であった。商人として顔の広いアルバンは帝国との繋がりも深い。アルバンの言葉は無視できるものではなかった。
ヨーゼフは顔を顰めて大きな溜息を漏らす。予想していたことではあるが、実際に敵に回ると言われると心が大きく揺らいだ。
果たして獣人との和平は正解なのかと――
「では、獣人と和平を結ばなかった場合は――」
「それでも帝国が敵対する確率は高いでしょう。陛下が思う以上に、帝国内部には王国をよく思わない者が多いのです。これは噂ですが、皇帝暗殺の件を、我が国の仕業に仕立てるため画策している者もいるとか。私も直ぐに帝都を離れていなければどうなっていたことか――」
「――それほどなのか」
「陛下もご存知の通り、帝国は広大な領土を有しております。ですが豊かな土地は僅かしかございません。それに比べて我が国の領土は豊かな土地が多い。特に東の耕作地は実りもよく災害も少ない。帝国は喉から手が出るほど欲しいはずです」
「それでもアルバン卿は獣人との和平に反対なのか?」
「――正直なところ、私にもどうしてよいのか分からないのです。何が正しく何が間違っているのか……」
「そうだな、先のことが分かるなら苦労はないか――」
まったくその通りだとアルバンも思う。
商才に長けたアルバンには先見の明がある。だからこそ商人として大成し、伯爵という地位まで得ることができた。そんなアルバンでも今回に限っては八方塞がり、為す術がないのが現状であった。
戦になれば多額の金が動き巨額の利益を得るだろう。それは喜ばしいことではある。だが戦に負けてしまっては元も子もない。
それに帝国を敵に回すということは、多くの取引相手を失う事になる。例え戦に勝てたとしても、長い目で見れば損失の方が遥かに大きいのだ。
商人としては獣人との和平を断り、帝国との関係改善を図るのが最良ではあるのだが、帝国にその意思がないのが致命的であった。
やるせない思いが込み上げてくる。小さな背中をさらに小さく丸め、アルバンは悔しそうに唇を噛み締めた。
「アルバン卿、獣人と和平を結んでも、帝国が直ぐに責めてくるわけではあるまい。そんな顰めっ面をするな。それに帝国が必ず敵対するとは限らんではないか。友好関係を結ぶ手立てはまだあるはずだ」
それは慰めの言葉だ。だが、ヨーゼフの言葉通り、帝国が直ぐに責めてくるわけではない。次期皇帝の覇権争いに国内の掌握、それから兵を起こすとなると相応の期間を要する。その間に打開策が見つかるかもしれないのもまた事実だ。
「そうですな、まだ希望はあるかもしれませんな」
アルバンは皺だらけの顔で無理やり笑顔を作り笑い返す。その顔はなんとも滑稽であり、自ずとヨーゼフにも笑みがこぼれた。
「その通りだ。辛気臭い話はやめにしよう。城に帰れば嫌でもすることになる。それよりもよかったのか? この剣はレオン殿に見せるために持ってきたのだろう?」
ヨーゼフは座席に置かれた細長い包みを手に取り、目の前に持ってくる。そして丁寧に包みを解くと、そこには青い宝石で作られた一本の剣が姿を見せた。
突き出された剣を受け取り、アルバンは僅かに剣を抜く。
刀身までもが透き通る青で、見るからに実用品とは思えない。だが、この剣の最も素晴らしい点は、その見た目の美しさよりも優れた切れ味にある。
間違いなく国宝級以上、神話に語り継がれるような剣がそこにあった。
「陛下に以前お伝えした通り、購入した店主の話では、元の持ち主はレオン殿で間違いないとのことです。これ程の剣を一介の冒険者が持っているのはあまりに不自然。しかも先祖代々受け継がれてきた家宝だとか。そして今回レオン殿に直接会って確信しました。レオン殿は他国の王族ではないかと私は思うのです。そうでなければ陛下にあのような態度はとれますまい。陛下が今回直接お見えになったのも、レオン殿が王侯貴族であることを考慮してのことなのでは?」
流石はアルバンだとヨーゼフは感心する。
もしレオンが本当に王族であった場合、友好的な関係を築くためにも最大限の礼を尽くす必要がある。そうヨーゼフは考えていた。
王族とは基本的に我が儘な生き物だ。それはヨーゼフとて例外ではない。今でこそ自分の役割と重責を理解し国のために尽くしているが、若い頃などは随分と周りに迷惑をかけたものだ。
レオンとてそれは変わらないだろう。一介の使者を差し向けることで、レオンが不快に思わないと誰が断言できようか――
「その通りだ。以前からレオン殿は王侯貴族との噂が流れていたからな。そして更にはその剣の出処だ。王族の可能性がある以上、こちらも礼を尽くす必要がある。今回の一件、私としては素性を探るよい機会だと思うのだが――」
だがアルバンは首を横に振る。
「下手に詮索をすれば敵対されるやもしれません。陛下の前でも物怖じしないあの態度。聞かぬ名のため偽名も考えられますが、恐らくはどこか遠くの国の王族ではないかと――。それとレオン殿が王族であることは口外しない方がよいでしょう。素性を隠しているということは知られたくないということ。剣が使えることも伏せているようですから、それも内密にした方がよいかもしれません。Sランクの冒険者を敵に回したくはありませんからな」
そう語りながら、アルバンは剣を鞘に収め、ゆっくりと布で包み直す。その光景をぼんやりと眺め、ヨーゼフはレオンの尊大な態度を思い出していた。
一国の王にあんな態度を取れるのは同じ王族くらいのものだ。普通は他国の王に横柄な態度は取らないものだが、よほど我が儘に育てられたのか、それとも他に理由があるのか――
どちらにしても、ヨーゼフの悩みの種がまた一つ増えたのは間違いなかった。
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粗茶「登場人物の名前が被っていたり間違っていたりでこっそり直しました。申し訳ございません」
サラマンダー「こっそりっ!Σ(゚д゚lll)」
×エルハバート伯爵 従者の名前と被っていたのでこっそり変更
×アドバン伯爵 誤字
○アルバン伯爵 これが正解
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