王国⑲

 物音ひとつしない部屋の中でヨーゼフは独り言のように口を開く。

 俯き加減で話す仕草に威厳は感じられず、疲れきった老人の姿にしか見えなかった。それはヨーゼフが長年獣人たちのことで頭を悩ませてきた故のことだ。


「私は獣人との和平交渉を結ぶべきだと思っている。我が国は長年の間、獣人たちに苦しめられてきた。もう終止符を打ちたいのだ……。幸いにも獣人たちは我々に有利な条件を出してきている。谷の入り口に関所を設けた上で、谷の中腹に交易のできる町を建設する。これなら万が一にも中腹の街を占拠されても、関所で獣人の軍を追い返すことができる。関所に魔導砲を配置すれば、獣人は近づくことすらできないだろう。今までは谷を塞ごうとしても獣人に妨害されていたが、その関所を公然と築けるメリットは大きい」


 獣人の動きを制限する上で、それは王国にとってこれ以上ない条件であった。関所で谷を塞いでしまえば、王国は獣人の驚異に怯えなくてもすむのだから――

 だが、それだけに解せないのだ。獣人にとって良いことは何もない。それが罠である可能性も十分考えられる。

 しかし、そこにどんな罠があるのか、ヨーゼフには皆目検討がつかないというのが本音だ。

 だから、もし罠があるなら、それを打破する力をヨーゼフは欲していた。

 差し当たって現段階で考えられる罠があるとするなら、国王を誘き出しての謀殺だろうか――

 一頻り話したヨーゼフは顔を上げ、意見を求めるようにレオンの瞳を覗き込む。

 ヨーゼフの視線に気付いたレオンは少し考え込む仕草をしてから、意見を求めるように後方のアハトに視線を移した。


「全てはレオン様の御心のままに」


 返って来たのはそんな答えだ。当初の予定とは大分違うことからレオンは暫し黙考する。しかし、どう切り出していいのか分からず、レオンは思うままを口にした。


「少し意外だな。国王自ら態々わざわざ来たのだから、てっきりサラマンダーを貸せと言い出すと思ったのだがな。和平は受けず、谷にサラマンダーを住まわせた方が王国にとって利があるのではないか? なんならサラマンダーが谷を守っている間に関所を築くこともできるだろうに」


 レオンの言うことは最もである。勿論それをヨーゼフが考えていないわけではない。

 アルバンに至ってはまさにその通りだと大きく頷いていた。だがヨーゼフは首を横に振る。


「私も当初はそのつもりだった。だが、谷といってもその幅は広い。関所を築くにしても直ぐに築けるわけではないのだ。専門家の意見では、高さや強度を考慮するなら、最低でも一年は掛かるらしい。サラマンダーにも寿命はある。関所を築く過程で寿命が尽きることも考えられる。それに不確定要素が多すぎるのだ」

「――不確定要素?」

夜影ナイトシャドウが遭遇した者たちだ――」


 レオンの表情が僅かに曇る。夜影ナイトシャドウはクライツェルが率いるSランクの冒険者パーティーだ。不慮の遭遇とは言え、相手に大怪我を負わせてしまったことに変わりはない。

 だがクライツェルの判断に落ち度があるのも事実。攻撃されたらやり返されて当前だ。最初から逃げ出せばよかったものをと、愚痴の一つでも言ってやりたいくらいである。


「――どのような素性の者たちかは分からぬが、Sランクの冒険者を退ける手練が獣人と手を組んでいる可能性がある。夜影ナイトシャドウの話では、その者たちは魔法に長けており、極めて強力な魔法を使うということだ。如何にサラマンダーと言えども、上空から一方的に攻撃されたらひとたまりもあるまい」

「――確かにその通りだな。で? 私にどうしろと言うのだ。私の力を借りたいから態々来たのだろう?」

「うむ、国同士の和平交渉の場であれば私も立ち会う必要がある。だが何らかの罠である可能性も考慮しなくてはならない。そこでレオン殿には護衛を頼みたいのだ」


 レオンはあからさまに眉間に皺を寄せた。

 罠があると言われたからではない。一国の王が自ら赴くのだ。罠を警戒し、万全の体制を取るのは至極当然である。

 気になるのはなぜ自分が選ばれたのかだ。


「和平交渉は屋内で行われるのだろう? サラマンダーの図体では護衛は無理だ。それに私は魔術師で初歩的な魔法しか使えない。護衛を頼む相手を間違えているのではないか?」


 レオンの反応はヨーゼフの想定内である。隣に座るアルバンに視線を向けると困ったように肩を竦めた。


「レオン殿は類稀なる剣の天才と聞き及んでおりますが?」


 アルバンの問いにレオンは首を傾げる。確かに剣を使う職業も習得しているが、剣を使うところなど見せたことがないからだ。


「意味が分からんな。私は魔術師であって剣を使ったことがない。誰かと勘違いしているのではないか?」

「おや? 私の孫娘と手合わせをしたとお聞きしましたが?」

「孫娘? 誰のことを言っている。女と手合わせなど――」


 したことがない。と言いかけあることを思い出す。それはベルカナンの訓練場で出会った女兵士のことだ。確かに一度だけ剣を握ったことはある。

 だが、あれは打ち込みの稽古で手合わせと呼べるようなものではない。


「いや、確か一度だけベルカナンで女兵士の訓練に付き合ったな。確か名前はシャインだったか? ベルカナン方面の軍を指揮していると聞いたが――」

「ふむ、それは私の孫娘ですな」

「だが手合わせをしたわけではない。打ち込みの稽古に少し付き合ったにすぎん。やはり他の誰かと勘違いをしているのではないか?」

「私が孫娘から聞いた話では、何でも剣を受けとめ、剣先すら微動だにしなかったとか――」

「――兵士とは言え女の放つ剣だ。珍しくはないだろ」

「なるほど。王国最強の剣士である、孫娘の剣を受けて微動だにしないとは――」


 レオンは思わず聞き間違いではとアルバンの言葉を思い返す。


(いまなんて言った? 王国最強? 一体なんの冗談を言っている。ただの指揮官ではないのか?)


 軽い気持ちで訓練に付き合った相手が王国最強の剣士だと誰が信じられようか。まだ相手がむさ苦しい筋骨隆々の男なら話も分かるが、よりによって相手は若い女性である。

 俄かに信じがたい話に訝しげな視線を送るが、アルバンの表情は至って真剣そのものだ。

 王国最強の剣士より強い。それはどれだけ人目を引くことか――

 レオンは自分の迂闊な発言を今さながらに後悔していた。だが、いまさら時間を巻き戻すことはできない。

 それならいっそのこと、護衛の話を利用し、和平交渉の場に立ち会うのも悪くないのではと考えていた。

 それは他プレイヤーの介入も含め、万が一を考慮してのことだ。

 

「陛下、やはり護衛にはレオン殿も加えましょう。あの負けず嫌いのじゃじゃ馬が、剣の腕は化物とまで称する程ですからな」

「うむ、そうだな。何があるか分からない以上、手練の護衛は一人でも多く欲しいところだ。レオン殿、貴殿に是非護衛をお願いしたい。勿論サラマンダーもだ。獣人の襲撃に備えて屋外の警護に回したい」

「分かった。だが条件がある。それは――」




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