王国⑯
レオンは執務室の椅子に深く腰を落とし、腕組みをしながら頭を悩ませていた。
皇帝暗殺により王国と帝国の共闘はなくなるだろう。しかし、王国の獣人に対する遺恨は根深く事が簡単にいかないのも事実である。
特に王国の有力貴族の中には和平に反対する声が多い。そんな彼らが何らかの策を講じてくることは、考えの乏しいレオンの頭でも想像に容易いことだ。
先ずは情報の整理をしなくてはならない。そのためにも――
「さて、エルハバート。お前に聞きたい事がある」
「はっ!何なりと」
レオンに呼ばれたエルハバートは落ち着いた物腰でゆっくりと、そして深く頭を下げた。主を崇拝するような所作からは尊敬や畏敬の念が伝わって来る。
レオンからしてみれば仰々しいと思わなくもないが、彼ら従者たちにとっては当たり前の事なのだろう。
ナンバーズの教育が行き届いているのか、それとも自発的なものなのか――
どちらにせよ大きな問題はない。当初の不安を他所に従者たちの統制は取れているのだから――
レオンもまたエルハバートを失望させないためにも威厳ある態度を心がける。エルハバートの顔を見据えて厳かに口を開いていた。
「王国の今後の動きが分かるか?」
「幾つか見当はついております」
レオンが「うむ」と、鷹揚に頷くのを聞いて、エルハバートは自らの考えを口に出す。
初めは何気なく聞いていたレオンであったが、話を聞くにつれ、その表情が徐々に曇る。終盤に差し掛かる頃には、眉間に深い皺を寄せて項垂れていた。
「――と、ここまでが私の見解でございます」
エルハバートが話し終わると、レオンは思わず深い溜息を漏らす。
「はぁ……、つまりあれか?私が王宮に招かれると言うのか?」
「そ、それは……」
さも嫌そうな口調で言われてはエルハバートも即答することができない。だが、この場合の無言は肯定を意味する。
口ごもるエルハバートにレオンは肩を落とす。
レオンにもエルハバートの言っていることは理解できる。要約すると王国はレオンの騎乗魔獣、サラマンダーの力を借りたいのだ。
もっと分かりやすく言えば、国境の谷にサラマンダーを住まわせてしまおうと言うことらしい。
確かにそれだけで獣人たちは手も足も出せなくなるだろう。何せ相手は一万の獣人をいとも簡単に殲滅した化物だ。国境に蓋をしてしまえば和平交渉そのものを必要としなくなる。
要はその前段階として、王国は飼い主であるレオンのご機嫌取りをしたいのだ。レオンにとってはこの上なく迷惑な話でしかない。
(サラマンダーのことで王国が接触してくるのは前々から予想はしていたが、まさかこのタイミングとは……。だが、王国がサラマンダーの力に縋りたい気持ちは分からなくもないがな……)
レオンがもし王国の立場であるなら同じことを考えるだろう。抑、この状況を作り出しているのはレオン自身である。
全ては自分の蒔いた種、自から刈り取らねば誰も刈り取らないだろう。レオンが和平などと寝言を言わなければ、こんなことにはなっていないのだから――
「仕方ない。王国のご機嫌取りには乗ってやる。下手に断って王国との関係が悪化しても良いことはないだろうからな」
それはエルハバートにてっと願ってもないことだ。今まではシリウスを使い王国との接触を避けてきたが、そんなことがいつまでも続けられるはずもない。
エルハバートは敬愛する主に申し訳なく思いつつも、承諾してくれたことにほっと胸を撫で下ろしていた。
「それがよろしいかと。皇帝暗殺の件は一週間もすれば王都にも届くことでしょう。そうなった場合、王国は直ぐにでもレオン様と接触すべく動くはずです。使者の準備や根回しなどを含め、早ければ半月後には、レオン様の下へ国王から使者が送られると思われます」
国王からの使者かと、レオンは思わず眉を顰めた。
「――それは国王直々の使者ということか?シリウスを介して私に伝えても良いのではないか?見ず知らずの使者とは話をしたくはないのだがな」
それはレオンの本音であった。
一般の使者との面会であっても、礼儀に疎いレオンにはハードルが高すぎるのだ。それが国王直々ともなれば対応の仕方など分かるはずもない。
レオンは堅苦しい形式など御免とばかりにエルハバートへ問いただす。しかし、エルハバートは顔を伏せて表情を曇らせていた。
それだけでもエルハバートの言わんとすることはある程度察することができる。レオンは思わず(駄目なのかよ!)と、心の中で愚痴をこぼす。
「お言葉ですがレオン様。如何に国王といえども一介の使者を公爵に任せるのは有り得ないことかと存じます。速やかに使者を用意するためにも、使者には王都近郊に住まう下級貴族を当てるのが妥当ではないでしょうか?残念ですがシリウス公爵が使者として動くには無理が――」
「もうよい。エルハバートの言うことは最もだ。面倒だが使者を出迎える準備は必要だろう。その件については屋敷にいるメイドのノインと執事のアハトに伝えておけ」
「畏まりました」
レオンはエルハバートの言葉を遮り、諦めたように今後の指示を出す。その言葉に頷くエルハバートを見てレオンはあることを思い出していた。
政略に長けるエルハバートであれば、もしかしたら有り得るのではないかと――
「エルハバート、お前は政略に長けていたな?」
「その通りでございます」
「では質問だが、お前は戦術にも長けていたりするのか?」
「――戦術で、ございますか?」
レオンの言葉の意図が読み取れないのか、エルハバートは少し間を置いてから不思議そうに言葉を返す。
「そうだ。もし仮に互角の敵部隊と戦った場合、上手く皆に指示を与え、戦闘を優位に進めることはできるか?」
エルハバートは顎に手を当て少し考え込む仕草をした。それは王国と帝国が戦うことを想定してのことなのだろうかと――
もしそうであるなら、自身の持つ人心掌握や扇動と言ったスキルが有用ではある。しかし――
「レオン様、互角の敵部隊とは何を指しているのでしょうか?」
エルハバートの言葉にレオンの瞳がすうっと細くなる。
「他のプレイヤーとその従者だ」
先程より数段低い声で告げられた言葉は、冗談や戯言の類ではないことの表れだ。そこで初めてエルハバートはレオンが何を求めているのかを理解する。
もし仮に戦力が互角、もしくは微差なら勝敗は戦い方により決するだろう。だからこその戦術なのだと――
しかし、そのような能力をエルハバートは身に付けていない。人心掌握や扇動のスキルはレベル一桁の大衆に効果を発揮するものだ。この世界の一般兵であれば効果も期待できるが、それがプレイヤーとその従者となると話は大きく違ってくる。
「申し訳ございません。私にはレオン様の望む力はございません。お許し下さい」
エルハバートは深々と頭を下げる。
もしかしたら戦略面では多少なりとも役に立てることはできるかも知れない。しかし、それはあくまでもしかしたらだ。政略の一端が戦略にも繋がるかもしれないと言うだけの話でしかない。どちらにしろ実戦では何の役にも立たないことは明白である。
尤も、それは相手が同レベルであればの話だ。
そう、同レベルであれば――
そのためエルハバートは疑問に思っていた。この世界に他のプレイヤーが居るにしても、果たして我々と互角に戦える者が本当にいるのだろうかと――
頭を下げるエルハバートにレオンは一言「そうか」と告げると、エルハバートを下がらせ椅子の背凭れに体重を預けた。
レオンは誰もいなくなった執務室で物思いにふける。従者たちのこと、王国のこと、そしてプレイヤーのこと――
戦術に長けた軍師は欲しいところではあるが、レオンも簡単に手に入るとは思っていない。元々従者たちは個々の戦力が高いためか戦術に疎いからだ。そのためエルハバートに望む能力がなくとも然程気にはならなかった。
王国に関して言えば、エルハバートの助言もあるため問題にはないらない。もし問題があるとするなら、レオン自身が助言通りに動けるかどうかである。そればかりは当日になってみなければ何とも言えないだろう。
プレイヤーに関しては現状手の打ちようがない。相手が見つからない限り交渉すら出来ないのだから――
そのため今のレオンにできることはそう多くはなかった。
(取り敢えず撫子と連絡を取るか、鈴音を使者に選んだ理由を口止めしなくてはな。安易な理由で使者を選んだと知れたら従者たちを失望させてしまう。王国については時間の経過を見てからだ。まぁ、エルハバート辺りが上手くやってくれるだろ……)
結局は幾ら考えたところで頭の足りないレオンに今後の対応など分かるはずもないのだ。だからなのだろう、レオンが何時もの丸投げ思考に至るまでに時間を必要としなかったのは……
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