王国⑮
数分の会話の後、鈴音は数回頷くとレオンとの通話を切り溜息を漏らす。そして皇帝ヨアヒムに近づくと、その腕を掴み落とし穴の中へと放り込んだ。
それを目の当たりにして驚いたのはウォルカーだ。
落とし穴の深さも然ることながら、なにより地面から突き出た幾重もの槍が間違いなく命を刈り取るからだ。
落ちた皇帝がどうなったかは確認せずとも分かる。
「鈴音の
動揺するウォルカーとは反対に、鈴音は動じることなく淡々と話しだす。
「レオン様からのご命令。蘇生できないよう、跡形もなく殺せと言われた。だから――」
「[
「レオン様から至急戻るように言われた。この部屋は魔法で誰も入れないようにしている。でも時間の問題、兵士が来る前に戻る」
「それじゃあ、窓から空を飛んで逃げるんですね?」
廊下に出れば兵士と出くわす可能性がある。姿を消しても廊下を埋め尽くすほどの兵士がいては見つかる可能性が高い。
それらを考慮するなら窓からの脱出が無難であろう。
しかし、鈴音の首は横に振られ、次の瞬間には鈴音の尻尾がウォルカーの体に巻きついていた。
「[
その言葉が耳に届いた刹那、ウォルカーの視界は見知らぬ部屋を捉えていた。
それは見るからに王侯貴族が住まう豪奢な部屋である。分厚いふかふかの絨毯と、宝石で彩られた装飾品の数々。重厚なテーブルに添えられた鞣し革のソファからは美しい光沢が放たれている。
呆然と佇むウォルカーであるが、それも僅か数秒であった。ウォルカーはまたもや直ぐに目を丸くすることになる。
鈴音に手を引かれてそそくさと部屋を後にすると、そこには終わりの見えない通路が何処までも真っ直ぐに伸びていたからだ。
突如として豪奢な部屋に移動したのにも驚いたが、何よりウォルカーが目を奪われたのは漆黒の美しい通路だ。
黒曜石で作られた通路が星を散りばめたように輝き、視線を落とせば深い緋色の絨毯が何処までも続いている。通路の両脇には精巧な騎士の彫像が整然と並び、それは侵入者を拒むかのようにこちらを睨んでいた。
鈴音に尋ねたいことは幾らでもある。
一瞬にして移動した魔法のこと、神秘的とも言えるこの場所のこと――
だが今はそんなことを尋ねられる空気ではなかった。
先程までは平然としていた鈴音であるが、歩みを進めるにつれ明らかに表情が曇ってきている。
その表情から察するに、行き着く先が鈴音にとって良からぬ場所であることは間違いないのだろう。
ウォルカーにも大凡の見当は付いている。この先で待ち受ける人物が誰か、そして鈴音に何らかの罰が下るであろうことも――
本来なら慰めの言葉の一つでも掛けたいところではあるが、いくら考えてもウォルカーには気の利いた言葉の一つも思い浮かばない。
だからこそ、せめて鈴音の弁護だけはしなくてはとウォルカーは気を引き締め直した。
通路には二人の足音だけが微かに響き渡り、永遠にも等しい時間が流れる。だが永遠など有りはしない、全てにおいて終わりは必ず来るものだ。
何処までも続くと思われた通路は数十分の歩みで終わりを告げた。実際にそれほど長い時間を歩いたかは定かではない。重苦しい空気が時間の流れを遅く感じさせていたとも考えられるからだ。
巨大な扉を目の前にして二人は自ずと足を止めていた。
見るからに厚い金属の扉は薄らと色を帯び、仄かに光輝いている。それはウォルカーにも見覚えのある希少金属アダマンティン。
これだけのアダマンティンを購入しようものなら、大国の国家予算でも足りないであろうことはウォルカーにも理解できる。
(一体どこからこれ程の希少金属を手に入れたのか……)
それはウォルカーの当然の問いであった。今まで通ってきた通路やアダマンティンの巨大な扉。自国の城と比べても余りに次元が違いすぎた。
ウォルカーが口を開けて巨大な扉を見上げる中、鈴音の到着が分かっていたかのように、希少金属の扉は音もなくゆっくりと開け放たれた。
鈴音の視界が捉えたのは一人の女性。扉の向こうではレオンの側近の一人、ノインが静かに佇んでいた。
「レオン様は身支度を整えております。準備ができるまで玉座の前で跪いて待ちなさい」
普段は笑顔の絶えないノインの表情が険しい。
鈴音の表情は更に曇る。任務を全うできなかった苛立ちと、主を失望させた罪悪感。合わせる顔がないとはまさにこのことだ。
鈴音はノインの言葉に頷き一度振り返る。そして――
「ウォルカー、ここから先は勝手に口を開いては駄目。間違いなく殺される、大凶」
鈴音は玉座の間から向けられる殺気に自分が置かれている立場を明確に理解した。この先にあるのは断頭台だ。だが、自分の命と引き換えに主の機嫌が直るなら、それも悪くないかと密かに思う。
ウォルカーもまた鈴音の言葉に頷くことしかできない。
幸いにもウォルカーに殺気は向けられていない、それでも張り詰めた空気が鈴音の言葉が真実だと物語っていたからだ。
ノインに付き従い鈴音とウォルカーは深紅の絨毯の上を歩き出す。
玉座の手前でノインは誰もいない玉座に深々と頭を下げると、そのまま壁際に向かい歩き出した。鈴音とウォルカーだけがその場で立ち止まり、ゆっくりと跪いてレオンの到着を待つ。
壁際にはナンバーズと撫子が佇み、その内の数人からは強烈な殺気が鈴音に向けられていた。
どれほどの時間跪いていたのだろうか、幾度となく冷や汗が背中を伝う中、コツコツと複数の足音が鈴音の耳に聞こえてくる。
そして足音が止まると玉座の間に男の声が厳かに響き渡る。
レオンに同行してきたのだろう。玉座の横には従者統括のアインス、そして内政特化の従者である執政官のエルハバートが佇み、鈴音とウォルカーを見下ろしていた。
「面を上げよ」
その声に促されて鈴音とウォルカーは顔を上げる。
予想通りと言うべきか、玉座に座るレオンの姿を見てウォルカーは顔を強ばらせた。
(何が一介の冒険者だよ。こうして見ると何処からどう見ても一国の王じゃねぇか……)
どのような罰が下るのか、せめて鈴音の罰だけでも軽減するよう便宜を図れないだろうか?ウォルカーはレオンの言葉に耳を傾けながら思考を巡らせていた。
しかし、張り詰めた空気を打ち払うようにレオンの心配そうな声が聞こえてくる。
「二人とも無事で何よりだ。疲れているところ悪いが少し話を聞かせて欲しい。鈴音、皇帝は蘇生ができないように殺してきたな?」
「遺体は燃やして灰にしました」
鈴音の言葉にレオンは大きく頷いた。
この世界では遺体の状態により蘇生が難しくなる。蘇生実験で分かったことは蘇生は経験値を対価に行われるということ。それは遺体の損傷率に比例する。
遺体の損傷が激しいほど失われる経験値が大きくなり、経験値がなくなると蘇生はできなくなる。抑、この世界の住民は遺体がなければ蘇生すらできない。
尤も、これがプレイヤーや、その従者に当てはまるかは依然不明のままだ。自らの従者を使った蘇生実験などできようはずがないのだから――
「そうか、ならば問題はない。ご苦労だったな鈴音。それとウォルカーと言ったか?お前にも随分と迷惑を掛けたようだ。後で褒美をやろう。そうだな、最高級のドラゴンの肉を後で届けさせよう」
罰を受けるとばかり思っていた鈴音は、あれ?何かがおかしいと小首を傾げた。
それはウォルカーも同様である。任務を失敗したはずが、何故か褒美まで貰えることになっている。
当の本人たちが困惑する中、壁際から様子を見守っていたツヴァイが不満そうに口を開いた。
「レオン様、この者たちは任務に失敗したのではないのですか?」
ツヴァイの不快そうな声にレオンは困ったように眉尻を下げる。
確かに鈴音が直接皇帝に会いに行ったのは想定外のことだ。だが、どんな理由があるにせよ、鈴音を殺そうとした皇帝が悪いに決まっている。生かす価値すらない。
それに――
レオンは自分の隣に立つ執政官のエルハバートに視線を移す。
今回の件に関しては直前までエルハバートに相談し、問題ないと言われている。従者の中でも知略に長けるこの男が問題ないというのだから、皇帝が死んでも計画に支障はないはずである。
「私の計画に支障が出たわけではない。エルハバート、説明してやれ」
指名を受けたエルハバートは長い金髪の髪を揺らしながら恭しく一礼する。
切れ長な瞳とすうっと伸びた鼻先、そして見るからに柔からな唇、その容姿は女性と見まごう美しさだ。
もし男性と分かっていなければ、レオンが惚れていておかしくない美貌の持ち主である。
エルハバートはツヴァイに視線を移すと柔らかな物腰で会釈をした。
「今回のことは全てレオン様の計画通りでございます。鈴音の性格から親書を誰かに預けるなど考えられません。そのことからも、レオン様は皇帝の暗殺も視野に入れて鈴音を帝国へ向かわせたのでしょう。これは帝国が和平交渉を拒んだ時の言わば保険と思われます。皇帝が亡くなれば、帝国は次期皇帝の座を巡り他の国どころではありません。次期皇帝の覇権争いに国内の掌握、それには少なからず時間を要します。政権の移行が速やかに行われたとしても、国内の情勢が安定するには少なくとも一年は要するでしょう。それまで王国との共闘はないと考えてよろしいかと。王国に残された道は自国だけで獣人と戦うか、それとも和平交渉を受け入れるか。尤も、アスタエル王国の現状を鑑みるに選択肢は後者しかないでしょう。これにより帝国と獣人との和平は遅れますが、それもまた計算の内。全てはレオン様のお考え通り進んでおります」
壁際に並ぶレオンの従者たちは声を揃えて感嘆の声を漏らす。
それなら確かに帝国は他国どころではない。否応がなしに自国に目を向けなくてはならないからだ。
エルハバートの言葉通り帝国との和平は遅れるかもしれない。しかし、王国との和平に水を差されるよりは遥かに良いに決まっている。
従者たちが賞賛する一方、レオンもまた内心驚きの声を上げていた。
(へぇ……、俺はそんなことを考えて鈴音を帝国に向かわせたのか――って、そんなわけあるかぁあああ!鈴音は尻尾があるし獣人に見えなくもないから使者に選んだだけだよ!本当の理由を知ったらみんな失望するだろうなぁ……。このことは誰にも言わないように気を付けないと。あ!でも撫子だけは知ってるか、後で口止めをしないとなぁ……)
レオンは内心落ち込みながらもエルハバートに話を合わせた。
「うむ。鈴音は私の計画通りに動いたに過ぎん。ツヴァイが言うように任務に失敗したわけではない」
レオンの言葉を聞いて、鈴音に殺気を向けていたツヴァイと数人のナンバーズは殺気を鎮めた。同時にアインスがレオンに尋ねる。
「レオン様、それでは帝国はこのまま放置しても問題ございませんか?」
「そうだな、帝国は当面自国のことで手一杯だろう。放置しても問題はないはずだ」
「畏まりました。では、先ずは手はず通り王国を掌握いたしましょう」
レオンは「ん?」と思わず固まる。
(掌握?いつからそうなったんだ?俺は王国と獣人の和平を成功させたいだけなんだが――お前の中ではどうなってるんだ?何か話が飛躍してるんじゃないか?)
「あぁ、アインス?私は別に王国を掌握したいわけではないのだ。争いが起きないよう、王国とレッドリストの和平を成立させたいだけだからな?」
「はい、存じ上げております。その過程で王国がレオン様のものになるだけでございます」
「………………」
(アインスはいつものアレかな?俺の従者は時々頭がおかしくなるからなぁ……。まともに話を聞いてるとストレスが溜まるんだよな。取り敢えず放っておいても問題はないだろ……)
「まぁ、そんな冗談はさておき鈴音からの報告も受けたのだ。私は執務室に戻らせてもらう。お前たちも適度に息抜きを忘れるなよ。それとエルハバート、お前に相談したいことがる。後で執務室に来るように」
「はっ!畏まりました」
エルハバートの返事を聞いたレオンは鷹揚に頷き返す。そして即座に立ち上がると転移の魔法で姿を消した。
後に続くように他の従者も次々と姿を消す中、ウォルカーは緊張の糸が切れたのか安堵の溜息を漏らしていた。
それなりの覚悟で来たつもりが拍子抜けである。抑、皇帝を殺すことも計画の内なら、事前に教えろよと声を大にして言いたかった。
だが、計画の全容を知らされない任務は珍しくない。捕獲された時に情報の漏洩を防ぐためや、知らないことで任務を円滑に進められることもあるのだから――
鈴音とウォルカーが立ち上がると、遠くから様子を見守っていた撫子が二人に近づき、少し困ったような表情で優しく鈴音に語りかけた。
「鈴音、レオン様はあなたが罰を受けないよう、ご配慮して下さったのよ。慈悲深いレオン様に感謝なさい」
「やっぱり……」
鈴音も薄々それを感じていたのか、二つの尻尾をだらんと下げて申し訳なさそうに顔を俯せた。
「レオン様は日頃から仰っていたでしょう?失敗は成功で償えば良いと。レオン様のお役に立てるよう精進なさい」
撫子は優しく鈴音の体を抱きしめる。同じように鈴音も撫子の着物に顔を埋めて離そうとしない。
それは役立たずの自分への苛立ちと悔しさからだろうか。鈴音は僅かに肩を震わせ声を押し殺して泣いていた。
ウォルカーは声を掛けることもできず、ただその様子を見守ることしかできない。何より自分がもう少し上手く立ち回れたらという思いもあった。
そうすれば鈴音に悲しい思いをさせずに済んだのにと――
程なくして鈴音は撫子の体から離れる。
そこにいつもの無愛想――無表情――な顔が見えたのはウォルカーにとって救いだったのかもしれない。
「あ、そう言えば!鈴音の姉さん、国境に部下と牛車を置いてきたままですよ」
ウォルカーの言葉に鈴音も思い出したのだろう。同意するように軽くポンと手を叩いている。
「問題ない。
「もしかして、あの一瞬で移動する魔法のことですか?詳しく教えてくださいよ。どうなってるんですか?そんな魔法が使えるなら直接帝都に行けたでしょうに。走って移動する必要なんてなかったはずですよ?」
「ウォルカーは
「いや、伏せって、ちょっと酷くないですか?俺は犬っころじゃないんですから――」
そんな二人のやり取りを見て撫子は胸を撫で下ろしていた。鈴音の心が晴れるのも時間の問題だろうと――
きっと優しいご主人様は、鈴音が落ち込んでいたら悲しむに違いないから――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
粗茶 「粗茶です。久しぶりに続きを執筆したら、ストーリーや登場人物をすっかり忘れていました。トカゲ頭と馬鹿にされそうで怖いです」
サラマンダー 「(´・ω・`)?」
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